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【文章作成の基本】かぎかっこの効果的な使い方

 中学や高校では、国語便覧という副読本というか資料集があります。中高生のみなさん、使いこなしていますか。これがなかなかに国語の資料集としては充実しているのですが、みなさん、学校のロッカーの中や机の下の「こやし」になっているのではないでしょうか(かく言う私も学生時代そうでした)。しかしそれはもったいないです。

 古文・漢文からことわざ、慣用句、文学史、文語文法や口語文法から手紙文、小論文の書き方、志望理由書の書き方に至るまで、国語に関することは何でも網羅しています。まさに一家に一冊必携の書。私も本屋で買って、今文章添削の仕事に使っています。

 そこで今回の本題である「かぎかっこの特殊な使い方」についてですが、実際この国語便覧でかぎかっこの使い方について調べると、こう書かれています。

かぎ「  」 二重かぎ『  』
 かっこの一種で、使用法は原則として(  )と同じ。
●会話文や語句の引用。
●文章中で注意をひきたい部分、または語句などの特殊な意味づけを強調する。
●『  』は、おもに「  」の中に「  」を入れる場合。
●書名や雑誌名を示す場合にも用いる。

『新訂版 常用国語便覧』 加藤 道理 他 編著

 今回注目したいのは、二つ目の「語句などの特殊な意味づけを強調する場合」です。会話や引用部をかぎかっこで括ることや強調するためにかっこで括ることは小学生でも当たり前にわかっていると思いますが、この「特殊な意味づけ」とはどういうことでしょうか。これが今回のテーマです。

 これをより具体的に理解するために、いつも使っている『句読点活用辞典』で、かぎかっこの使い方について調べてみましょう。なお、この『句読点活用辞典』は、句読点のみならず全ての約物(文章記号)についての辞典です。

 かぎかっこ「  」
 ~中略~
【用法】
 英語のクォテーション・マークに該当し、引用や会話、強調強化、皮肉、それに書名や誌・紙名などを示すのに用いる。ただし、書名や誌名は二重かぎを用いることが多い。

『句読点活用辞典』 大類雅敏 編著

 ここで明らかなように、「特殊な意味づけ」とは「皮肉(アイロニー)」の意味です。ある語句を皮肉として用いる(用いた)ときに、「これは皮肉で言っていますよ」ということを読み手に示すために、その語句をかぎかっこで括ります。では、どう使うのか。例文を示しましょう。

例:さすが日本の国会議員は「勤勉」だから、裏金作りにも熱心だ。

 皮肉とは、その文脈の意味と逆の「よい意味」を持つ言葉をあえて使って表現することで、その文脈上の「悪い意味」を際立たせることです。勤勉とは一生懸命真面目に働くことで「よい意味」を持つ言葉です。しかし、いわゆる「日本人の勤勉さ」も、この文脈では逆の意味に働きます。勤勉な人は、本来裏金など作りません。ですが、日本の国会議員は「コツコツと真面目に」裏金作りをしていると皮肉っているのです。この場合、本来の勤勉の意味では使っていません。「特殊な意味づけ」がされています。そのため、かぎかっこで括って、読み手に注意を促すわけです。
 
 この文章の冒頭で、私もそれを使っているところがあります。この文章冒頭の一段落目で、私は、みなさんに国語便覧が「学校のロッカーの中や机の下の『こやし』になっているのではないでしょうか」と問いかけています。この「こやし」も本来の意味では使われていません。

 こやしとは、田畑で農作物を成長させるための肥料です。転じて成長に役立つ栄養となるもの、という意味で比喩的に用いられます(例:学校での勉強がこやしとなって、今の私がある)。しかしよく、着なくなった服がずっとタンスにしまわれたまま全く着られていない状態にあることを、「タンスの『こやし』になっている」などと言います。この文章の冒頭の「こやし」もこれと同じ使い方です。この慣用表現での「こやし」となっているもの(服と国語便覧)は、全く使われなくなっているため、普段の生活に全く役立っておらず、日常のQOLの向上に全く寄与していません(もちろんその服を入れておくことで、タンスが植物のように成長するなんて馬鹿なこともありえませんね)。ですから「成長に役立つものである」というこやしの本来の意味とは逆の意味(役立たない無意味なもの)で、皮肉として「こやし」という言葉を使っており、そのため、かぎかっこで括っているのです。

 私のつたない文章だけでは、十分な例とは言えないので、もう一つ例を引きます。小説家谷崎潤一郎の『痴人の愛』の一節です。

【例文】

~略~ まず模範的なサラリー・マン、―――質素で、真面目で、あんまり曲がなさ過ぎるほど凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めている、―――当時の私は大方そんな風だったでしょう。「河合譲治君」と言えば、会社の中でも1「君子」という評判があったくらいですから。
それで私の娯楽といったら、夕方から活動写真を見に行くとか、銀座通りを散歩するとか、たまたま奮発して帝劇へ出かけるとか、せいぜいそんなものだったのです。もっとも私も結婚前の青年でしたから、若い女性に接触することは無論嫌いではありませんでした。元来が田舎育ちの無骨者なので、人づきあいがまずく、したがって異性との交際などは一つもなく、まあそのために2「君子」にさせられた形だったでもありましょうが、しかし表面が3君子であるだけ、心の中はなかなか油断なく、往来を歩く時でも毎朝電車に乗る時でも、女に対しては絶えず注意を配っていました。あたかもそういう時期において、たまたまナオミという者が私の眼の前に現れて来たのです。

『痴人の愛』 谷崎潤一郎 著

※ 本文中の「君子」という言葉への番号は〆野が付けた。
※ 一部の漢字表記を、かな表記に改めた。

 主人公(河合譲治)がナオミと出会った経緯について、主人公自身が語っているところです。いわゆる私小説の形態なので、「主人公の語り≒地の文」になっています。8年前に当時28歳だった主人公はナオミと出会い、ナオミは現在主人公の妻となっています(ネタバレではないですよ!物語冒頭ですでに書かれていることです!)。当時カフェで働いていた15、6歳(!)のナオミと知り合うときのことが、ここでは書かれています。

 君子という言葉がここで三回登場しています(本文中の番号を参照)。内、一つ目と二つ目の君子はかぎかっこで括られています。自らが会社の中でも「君子」と評判だったと、主人公自身が語っています。君子とは「徳の高い人格者」ということです。「聖人君子」なんていう言い方もする、「よい意味」の言葉です。

 本来の意味なら、自分から「私は君子です」なんて、「自分でよく言うわ!」という感じですよね。しかし、次の段落で、たしかに、映画鑑賞や観劇などの高尚な趣味を嗜み、健康的かつ文化的な日々の過ごし方をしているため「一見したら君子のよう」だが、それはそもそも自分が地方出身で人付き合いが苦手であり異性との交際経験がないため「結果として君子のように」他人からは見えただけに過ぎないと、自己分析しています。そしてその実は、年頃の、世の若い男性と同じように自分も内面では悶々としていて、女性を「そういう気持ち=エロ心(笑)」で常に(油断なく、絶えず)見ていたというのです。そんなときにナオミが自分の目の前に現れたというわけですね。

 つまりかぎかっこで括られた君子は、「自分は決して君子ではないのに、地方出身による経験不足から女遊びなどのふしだらなことをしていないため、他人からは君子として見られている」ということを自らで皮肉って、自虐的に使っているところなのです。自分も普通の若い男性なので、人並みに女性を「いやらしい目」で見ていたわけで、全く君子とは言えないのだ、と説明しているのです。しかし28の男性が15、6の女性と付き合ってしまうというのは、まあ、今の時代ではなかなか問題がある行動ですよね(笑)。

 それはともかく、三つ目の君子にはかぎかっこがついていません。これは、文字通りの君子本来の意味で使われているからです。「表面が君子であるだけ…」と言っています。ここは本来の意味の君子でないと、文意が通りません。したがって、ここはかぎかっこなしの君子、ということになります。

 このかぎかっこの使い方は、現代文の問題を解く上でも有効な知識となります。早稲田などの難関私大の国語では、狙われやすい頻出の出題ポイントです。もちろん小論文作成にも役立ちますので、是非このかぎかっこの使い方を活用してみてください。

〈参考図書〉

『新訂版 常用国語便覧』(2021年10月5日新訂版発行)
浜島書店 刊 加藤 道理 他 編著

『句読点活用辞典』第1版第2刷(1981年2月1日発行) 
栄光出版社 刊 大類 雅敏 編著

付記:例文引用に関しては、青空文庫さんを活用しました。



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