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さよなら私の闇深男子たち

※文中に登場する作品のネタバレがあります。注意しながらお読みください。

このnoteは私が闇深男子を卒業するまでの過程をまとめた小噺である。

「愛しの闇深男子コレクション」


私のnoteで一番人気なのは「六三四の剣~乾俊一について熱く語る編~」。
アップしてからかなり経っても、じわじわとスキを伸ばし続ける乾さん。さすがやで、乾さん。私もスキだよ、乾さん

私は昔から歪んでいたり闇が深かったり狂っていたりする男性キャラクターが好みだった。
幽遊白書の神谷先生、六三四の剣の乾さん、賭博破戒録カイジの一条、天使の囀りの高梨さん、愛と幻想のファシズムのゼロ……。

心の中に闇深男子コレクションの棚があって、ゼロを筆頭として並べてある。

「闇深男子を好きになる理由」

なぜこういうキャラクターを好きになるようになったのか?

まずひとつめには、母親と太宰治の影響があると思われる。(母と太宰治の話はこちら
母は太宰治の大ファンだ。修学旅行で太宰が情死した川を観に行ったり、太宰と同世代を生きた相手に嫉妬したり……かなり、重度の、である。
私は太宰治は作品は好きだが(優しい作風だと思う)、太宰治本人については私が好きというより「母が好きな相手」としての興味が強い。

「母親→太宰治→死」という流れで、乾さんやらゼロみたいな死にたがりキャラや、あるいは神谷先生や高梨さんのような「死」の匂いのするキャラクターに惹かれるのではと思う。

「人間失格」の感想はこちら



次はふたつめの理由。
自分が一番最初に好きになった男性キャラは、思い出せる限りだと「みかん絵日記」の吐夢のお父さんになる。このころは普通の趣味だったと思う。
(今でもこういう穏やかで優しい感じのキャラは闇深系とは別で好き。ハンター×ハンターのウイングさんとか)

これがどうしてこんな闇深男子好きになったかと言えば、分析すると幽遊白書、はっきり行くとドクター神谷では、と思う。神谷先生の表の顔と吐夢のお父さんが似ているのである。

吐夢パパ(みかん絵日記6巻162p 安孫子三和)
表のドクター神谷(幽遊白書14巻62p 冨樫義博)

似てない? 似てるよね。同じ系統だよね。
表の顔の神谷先生は、優しそうで性格もそちら寄りなのだが、彼には裏の顔があるのだ。

「ドクター」という特殊能力で殺人ウイルスを撒いたり脳内物質をコントロールして「おかげで痛みもまったく感じねえフェフェフェ」と言い出したり「素手で解剖してやるぜあーー!」とか「けきゃーー!!」とか「数えきれない屍の上…それが俺の死に場所だ」とかうそぶくやばい人なのだ。

私が好んで使う「脳内麻薬が出てる!」というのが神谷先生の影響なことに読み返していて気付いた。

裏のドクター神谷(幽遊白書14巻84p 冨樫義博) どやぁ。

吐夢のお父さんと神谷が重なって、闇属性の神谷先生に堕とされてしまったのだ。
その前から、死々若丸とか鴉とか好きだったから、元々こういう傾向はあった……というかほとんど幽白のせいで歪まされたような気がする

あと、「六三四の剣」の乾さん。集団暴行されそうなヒロインを颯爽と助ける王子様みたいに登場したのに、その後別の女子を暴行未遂した上陰険ストーカー男にくるりんぱしたやつぅぅぅ!!(なぜかその女の子とくっつく勝ち組) 格好いい王子さまを後から陰険男に変えるのやめ!! そのまま好きになっちゃうだろ!! なっちゃうだろ!! スキ!
割と彼も戦犯な気がする。乾さんの記事はこちら
※乾さんにはちゃんと深い魅力があるのでぜひ読んでほしい

『六三四の剣』ワイド版7巻 村上もとか 王子様だったころ
『六三四の剣』ワイド版7巻 村上もとか 陰険になったころ

極めつけは、「新世紀エヴァンゲリオン」の相田ケンスケと、愛と幻想のファシズムの相田剣介(ゼロ)である。

あれほど闇深の宝庫なエヴァンゲリオンで、私が好きになった男の子はケンスケだった。これも普通の、三枚目だけど大人っぽさのある普通のいい子だった。それで好きだったのに!(まあ「僕だってエヴァに乗りたかったのに」の一言も印象深い)

 後に読んだ「愛と幻想のファシズム」の相田剣介のせいで闇属性にどっぷりなってしまったのだ。 (愛と幻想のファシズムの感想はこちら

「愛と幻想のファシズム」とは、村上龍の小説で、エヴァの鈴原トウジと相田ケンスケはこの作品の主人公二人から名前をとられている。
中二病体育会系男子トウジとヘンタイ芸術家ゼロが世界征服を目指す青春物語だ。

ゼロは自称芸術家で、周りからは変態扱いされ、酒に溺れたり女に逃げたりリストカットしたりするメンヘラちゃんだ。でもその弱々しい感じとか純粋でロマンチストな感じとかが憎めなくて、作中何度も死を選ぼうとしてハラハラさせられる、何とも魅力的なキャラクター。ネタバレになるが、最後死んでしまうので余計に心に突き刺さっている。

一人称なうえ超絶長い小説だから、人生を読まされているに近いものがあった。だから架空のキャラクターとはいえど好きな人が死んでしまった悲しみや無力を強く感じた。
長らく私にとって一番愛している大事な大事なキャラクターで、心の中にはゼロの墓標が立っていた。

ゼロ・トウジ・フルーツ(イメージ)
ゼロ・トウジ(イメージ)

かくして私の闇深男子好きはゼロによって確固たるものになったのだが……。

「闇深男子卒業のとき」


実は最近、昔に比べると闇深系男子にぞっこんにならなくなった。好みは好みだが、ちょっと離れて客観的に見る感じで、「うああああんしゅきしゅきぃぃぃ俺の嫁えええええ!!」みたいなテンションにはならなくなった。

きっかけはわかっている。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

この話の相田ケンスケが、これがまあいい男になっていて……! 詳しくは映画をご覧になってほしい。
それこそ、闇深系好きになる前の、吐夢のお父さん系の、穏やかで優しい大人になっていて……!

しかも釣りしちゃってるよ。釣りといえば愛と幻想のファシズムだよ。あんまりエヴァの話で違う作品持ち出すのもアレだけど、名前そのまま取ってきているの製作陣だから!! 名前どころか性質も若干被せちゃってるから!!

普通の「シン・エヴァンゲリオン」についての感想はこちら

大人になれないまま死んでしまったゼロを大人にしてくれた。
監督がゼロを救ってくれたから、私はやっとゼロの墓標にさよならが言えた。

皮肉にも、私を闇深男子から卒業させたのもまた、相田剣介(ゼロ)だったのだ。

相田剣介(ゼロ)から名を取ったケンスケを、シンエヴァで光属性にされたことで闇払いされてびっくりするくらい闇深男子趣味が落ち着いたのだ。
闇深男子は今でも好きだが、執着を正気に戻してくれたエヴァはマジにすごい。ある意味私の人生を変えた。

コレクション棚に、最後に飾ったのは「鬼滅の刃 無限列車編」の下弦の壱さん!(画像ないから検索してね) ある意味エヴァの前に観てよかった映画。エヴァの後だったら、好きにはなってもそこまでドストライクにはまらなかったのではと思う。

闇払いされる前に好きになったキャラクターはその後ももちろん好きである。こと架空のキャラにおいては名前を付けて保存主義なのである。ただ、ちょっと距離ができたというか、「好きだったなああなたのこと」、という、過去の恋を思い出すような、懐かしい心境になっている。

そんな中でも、ゼロについては健全な好青年に変えてくれちゃったから、私は闇深男子コレクション趣味を卒業できてかつゼロのことは現在進行形で卒業せずに済んでいる。シン・エヴァンゲリオンは私という人間にとってはパーフェクト・解だったのだ。
(実際、どういう意図で制作されたかは関係ない。私の買った二時間半なのだ、私が一番気持ちよくなれる解釈をするのだ)

「卒業、そして大人になっちゃった」


闇深男子の卒業、大人になってしまった……それを強く自覚したのは、「少年のアビス」という漫画を読んでいるときである。
(今回の記事を書くために先んじて昨日の投稿をしたのだ)

「少年のアビス」
閉鎖的な田舎の闇に包まれてどこへも行けずもがく少年少女たちの物語である。

闇を煮詰めて煮詰めて作ったような、まさしく闇鍋な作品。登場キャラクターは男も女も闇を抱えている。
少年のアビスの感想はこちら

お話の雰囲気はマンガで読む「人間失格」(太宰治)という感じで、太宰治系クズ小説家(似非森)も登場する。
主人公令児は現代版・葉蔵という感じ(違う部分も多いけど)。

登場キャラのクズヤンキー・玄が気になって仕方がないのだが、考えてみると乾さん系なんだよね。
なんだかんだ趣味変わっていないのね……。
令児と玄はちょっとゼロと冬二の関係っぽいところもあるしな。令くんの「れい」も零(ゼロ)だし。焦がれても焦がれても手に入らない。空っぽだから。

主人公の幼馴染は太宰治系クズ小説家(似非森)に憧れる文学少女のチャコ。
チャコちゃんは1話から「津山三十人殺し」の話をし始めて、掴みはオッケー☆ って感じ。

その他、令児ママも、女教師も、いろいろとみんなヤバい。ママのファムファタル感は魅せられちゃう。芝ちゃん先生はめっちゃ楽しい。

マンガ版太宰治作品的な空気に、ゼロ系主人公に、乾さん系幼馴染、ヒロインは全員ヤンデレラ……そりゃあハマるわ。
さらにあーこういう系ね、こういう展開ね、なんて単純ではない。予想を裏切る展開が多いのも面白い。

という漫画なのだが!

これを読んでいて確実に自分の精神が変わったのを感じた。

玄とか令児とか、昔ならぜったい変なこじらせたハマり方してた。
チャコも。
しかし、何かが違う。好きの種類が何か違う。
好きだけど、なんかもう、目線が保護者(?)になっている。

学ランの男の子に非実在青少年ですら恋ができなくなってしまった……!

この作品は心中モノだから、こじらせたハマり方をしないのが正しい作品だと思う。
だからヤングジャンプ(青年誌)連載なのだろう。
大人になってから「こんな時代もあった」と懐かしく読むタイプの作品。

だからこれで正しいのだけど……何とも、切ない。私だけ、大人になっちゃった。

また、少年のアビスだと、令児より玄のほうが感情移入して好きになってしまった。

もし今、「愛と幻想のファシズム」を読んだらゼロよりもゼロに振り回されながら支えるトウジに感情移入したかもしれない。
いや、わからないな、玄は高校生だから可愛いけどトウジは20代だからな。20代であのイキり具合はちょっとごめんなさいかなあ。それとも作品自体なんじゃいこれってなるかなあ。やっぱり好きって思うかなあ。
なんてことも思った。
でも、読み返さない。振り返らない。想いはあの頃のまま冷凍保存し続ける。

玄の望みは「令児に生きて欲しい」「一緒に町でずっと暮らしてほしい」。でもそれを口で伝えることはしたくない。令児に何かを求めたくないから。求めたら令児は従ってしまうから。それでいて不満は溜まっていくから殴る蹴るになるという、悲しいくらいに典型的なDV男。ある意味リアル。登場人物の中で令児のことを一番考えているはずなのに。

でも彼自身が令児ママから精神的虐待されているし、かなり苦しいものを抱えている。

似非森はわかりやすく太宰モチーフ(というか似非森が太宰気取っているというべきか)だけど、実際に太宰っぽいのは令児なんだよね。誰の事も見捨てられないまま誰の事も不幸にしていく。
太宰はその性に命まで賭してしまったけれど、令児はどうなるのか。

令くんには生きて欲しいな、私のゼロは死んじゃったから……。

好きなジャンルの作品を読み、好きなキャラクター像に出会うことで、図らずしも精神の変化を自覚させられてしまった。
これは想像以上に身を切られるような思いに満ちる。

「卒業後の私」

上記は男性キャラについてだが、女性キャラについても驚くことがあった。

「鬼滅の刃」に出てくる堕姫ちゃんが、我が家の猫に見える……ッ!(ざわっ)

(我が家の猫)
(おんぶも好き)

堕姫ちゃんのムンッってした顔がうちの猫にそっくりで、かわいい~って、すごくかわいくなっちゃった。好き。
堕姫が妓夫太郎に肩車されているシーン

それにさ、妓夫太郎の堕姫ちゃんへの接し方。 猫じゃん? 猫っかわいがりじゃん? あれは猫なのよ! 猫ー!!(まともじゃない)

「おにーちゃああん!!」「わたし一生けんめいがんばったのにー! こいつらが邪魔するのー!」
駄々こねる感じとかもまさに猫! こういう猫いる!

禍々しく出てきたのに涙ぬぐってあげて妓夫太優しい。
うんかわいいよなあーーー!! わかるぞー妓夫太郎ーー!!(もはや別の意味で末期)

真面目に付け加えると、ここは、幼児みたいに泣きじゃくる鬼とそれを慰める気味悪い姿の鬼。というのがアンバランスで、異様で禍々しい空気になっているのが素晴らしい場面です

堕姫は死んだ年齢のまま精神年齢とまっているのだなと思うと切ないけれど。

ところで妓夫太郎しゃべったら想像以上に気味悪くて良いですねぇ。
あの雰囲気なのにめっちゃ頭回るところも素敵。個人的に顔は好みです←

「俺はお前にかまうからなあ!」いいわあ。こんな陰険な台詞よく思いつくw

兄妹とも鬼になっても遊郭から離れた生き方ができないのが悲しいけど、最後に焼き尽くして死んだのは解放されたかったからかも。あるいは怨念か。

私は好きだぞ妓夫太郎ぅぅ(本当に闇深男子卒業できたんか? いやでも妓夫太郎さんは下弦の壱さんみたいなサイコパス系じゃないし! 鬼なだけだし! 陰険だけど!)。

すねた女の子は猫に見えるようになるわ、学ランの男の子は非実在青少年でも恋できなくなるわ、歳をとるって、切ないね。


「今だからこそ」


闇深男子を卒業してから読んで良かったなと思う漫画がもう一つある。
「嘘喰い」だ。

「嘘喰い」
知と暴の入り混じるギャンブル漫画。「ギャンブル」「肉体バトル」「ヒューマンドラマ」という違う要素が絶妙な加減で混ざり合った作品。
絵柄はだんだん耽美系になっていくしスーツの男が戦いまくるから女子でも楽しめる漫画だと思う。女性キャラも魅力的。
ホラーっぽい演出も私は好き。
カイジとかハンター×ハンターとか好きだとハマるかと。

嘘喰いっていう作品は、心に傷を抱えたキャラクターは多いし展開はえぐいが、根はすごく健全である。

マンガ嘘喰いについてはこちら
映画「嘘喰い」の感想はこちら

ちなみに私は門倉立会人と、主人公の斑目貘が好きだ。

門倉さんは陰険とは無縁の硬派で男っぷりの良いキャラクターである。
そして斑目貘はどんなときでも生を諦めないキャラクター。

ゼロも乾さんも死にたがり(でも本当は生きたい)。とかく死にたがりを好きになる自分に、まっすぐ生を求める彼が刺さった

「俺は命をかけるが 死んでもいいなんて一度も思った事はない」

名言。こういうキャラを好きにさせてくれたのは素晴らしいし、こういうキャラを好きになる精神に自分がなったのだなとも思う。
闇深男子卒業前と卒業後ではハマり方が変わったのではないかなと思う作品だ。
そして今のハマり方をして心底良かったと思っている。


10代の私に乾さんやゼロがいてくれたように、これから今の私に必要なキャラクターや作品を見つけていくのが楽しみだ。


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