眞野しぎ

「変わりゆく暮らし、変わらないものたち」 コロナによる暮らしの変化が興味深い/40代か…

眞野しぎ

「変わりゆく暮らし、変わらないものたち」 コロナによる暮らしの変化が興味深い/40代からのLIFE SHIFTを思案中/ベランダのみどりの水やりが億劫な今日この頃

最近の記事

食いしばってはいけません

左の奥歯の詰め物が欠けた。 3年前くらいに虫歯治療で詰めた白い詰め物で、なぜかその治療後から、そこだけ、よく食べ物が挟まるようになってしまった。 食後は必ず糸ようじを使わないと気持ちが悪くて、年齢を経ればそういうものかしら?と諦めていたけれど、確実に不便を感じる日々。 歯医者さんに申し出ればよかったのかもしれないけれど、気弱が働いて、できずにいた。 先日欠けたところを詰め直してもらったら、今度は隙間が上手に塞がったのか、食事の都度、糸ようじを使わなくても大丈夫になった。

    • ひとさし指のカタチ

      祖母の命日に寄せて。 父方の祖母が大好きだった。 母がまだ仕事をしていた頃に、一緒に暮らして、まだ小さかった私の世話をしてくれていた。 以来、私はすっかりおばあちゃん子に育った。 祖父が急死した時、耳が遠かった祖母を独りにするのが心配で、大学生の私は春休みを祖母の家で一緒に暮らした。 その間にFAXの使い方を覚えてくれて、独りで暮らすようになった後に、チラシの裏に鉛筆で書いたのだろう、素朴で温かな近況を寄せてくれるようになった。 あの頃のFAXはまだ感熱紙で、ジーッジー

      • 場所を変える

        転職することを決めた。 長くいた場所を移すことは、怖くはある。 その環境が居心地よいものであればあるほど。 でも。 ここは社会人キャリアの折り返し地点。 このまま過ごす? フィールドを変えてみる? 自分から出てきた答えは「変えたい」だった。 このままを選ぶと、静かな退職化しそうな気もしてしまって。 運良く早々に、面白そうな場所に出会って、こちらに興味をもっていただけて、次の場所を決めることができた。 いまは多少の不安もありつつ、ワクワクが勝っている。 転職はあな

        • 11月になったから、を理由にして

          「11月になったから」は、日々をついまったりと過ごしてしまいがちな重い腰を上げるのに、ちょうどいい言葉だ。 寒くなってきたから、そろそろしっかり衣替えをして、部屋の冬支度もしなくっちゃ。 衣替えついでに、服の断捨離もしてしまおう。 加湿器を新調するつもりで春先に手放してしまったから、早くどれにするか選ばないと。 ベランダの植木たちも、冬モードに整えてあげよう。 下半期に入って、すこし経った。 来春からやりたいことを考えて、すこしずつ動き始めよう。 のんびりしていると間に

        食いしばってはいけません

          ベランダの小さな庭

          よく陽の当たる、奥行きの広いベランダのある家を選んで、5年目。 家の中でヒョロヒョロの観葉植物をおざなりに育てていただけだったのに、週末には日がなベランダでみどりの世話をするのが趣味になった。 秋の暖かな陽射しが気持ちいい。 実のなる木が好きだ。 ブルーベリー、オリーブ、ギンバイカ、花梅。 それぞれ思い思いに花をつけ、派手に花殻を落とし、赤や紫色の熟れた実をならせる。 細かに世話をしなくても、みんな丈夫にすっくと立っているのが頼もしい。 近くに養蜂している場所がある

          ベランダの小さな庭

          息苦しいのは、マスクではなく

          マスクの手持ちストックがなくなってきた。 このストックがなくなる頃には、ノーマスクが日常になっているかなと密かに期待していたけれど、まだそういう気配は感じられない。 また近々買い足さなくてはいけないのか。。 思えば、コロナ前も、マスクをよく着けていた。 年末くらいに風邪らしいものをひいて、マスクをすると顔周りが温かいから、そのまま冬の間はよく着けていて、そのうちに花粉が飛び始めて、結局ヒノキの花粉が収まる5月の連休あたりまではマスクをしているのが通常営業。 そう考えてみ

          息苦しいのは、マスクではなく

          歳を重ねることはポジティブ?

          昨日は高校時代の友人の誕生日で、いつものように、その頃の友人たちのグループLINEで、「おめでとう」を伝え合った。 出会ってから25年を超えても、それぞれの誕生日に変わらず「おめでとう」を言い合いながら、その時々の近況をシェアする。 コロナ以降一度も会えていないし、アメリカに引っ越したコもいるけれど、この関係が変わらず続いていることにホッとし、嬉しんでいる。 いつもなら「元気?どうしてる? 」とか、コロナの時期には「みんな大丈夫?早く会えるようになるといいね」とか、優しく

          歳を重ねることはポジティブ?

          手に馴染んだものがいい

          ほんの小さなことだけれど、最近コットンを買い替えた。 ふいに、いつものものでないものを選んでしまったら、使い心地が異なって、なんだか不自由でしょうがない。 ここ10年くらいのうちに、日用の消耗品は、すっかり自分の中で定番化してきたように思う。 いつもと同じ物を選ぶ。 なくなってきたら同じものを買い足す。 いわゆる、リピ買い。 そうして、時間をかけて、暮らしのスタンダードが整ってきた。 たとえば、 食器用洗剤は、フロッシュのアロエベラ。合わせて使うスポンジは、おさかなス

          手に馴染んだものがいい

          「どこでも行ける、いつでも手放せる、大丈夫。」

          仕事があまり上手くいっていないせいか、最近この呪文を繰り返し唱えている。 身軽に生きる、ということ。 自分の場所を固定しすぎると苦しくなるから。 子供の頃、親の転勤でころころと住む場所が変わって、その度に人生がリセットされるような感覚を味わった。 通った小学校は4つ。 それはしんどいことでもあり、ここに固執しすぎる必要はない、という開き直りにも近い、ある種の強さを得たようにも思う。 失敗しても、気まずくても、居心地が悪くても、 「時間が経てば、ここから抜け出せるし。

          「どこでも行ける、いつでも手放せる、大丈夫。」

          デパートの行く先

          1年に一度くらい、デパートの最上階にある老舗フルーツパーラーに行きたくなることがある。 桃が美味しい季節だったり、シャインマスカットの出回る時期だったりと、タイミングは気分によって異なるのだけれど、季節のフルーツがたんまり載ったホットケーキや、色鮮やかなパフェを堪能してくる。 そうして訪れた時、出会うと嬉しくなる風景がある。 それは、お買い物の途中なのだろう老婦人がひとり、美味しそうにクリームソーダを飲む風景。 白いテーブルに、涼しげなグリーンと真っ赤なさくらんぼが映える

          デパートの行く先

          人生の正午に、自分に名前をつけてみた 〜自己紹介〜

          こんにちは ^ ^ はじめまして。眞野しぎ といいます。 自己紹介代わりに、現位置確認をしてみようと思います。 40代は「人生の正午」と言うらしい ちょうど40歳になった年に、携わってきた大きな仕事がひとつの形を成し、同時にコロナがやってきた。 ひとつやり切った感と、これまで当然だったことが当たり前ではなくなった実感。 先のことが見えにくい不安と、何かが大きく変わっていくような期待。 そんな思いが綯い交ぜになった40代のスタート。 ウィズコロナの生活は、ある意味で強制

          人生の正午に、自分に名前をつけてみた 〜自己紹介〜

          緩やかに暮らしをアップデート ♯家電編

          これは、私なりのニューノーマルのお話。 TVをなくして、空間を自由に コロナ禍が始まる直前くらいの頃、TVを手放した。 映像はYouTubeで見るのがデフォルトになって、TVは朝のニュースを時計代わりに流すことしかしなくなっていたから。 同時に、Blu-rayレコーダーと、いくつか持っていたDVDやCDの類、TVとソファの間に置いていたローテーブルともサヨナラした。 TVerで、録画せずとも時間の拘束なくいろんなTV番組を観ることもできるし、音楽はAmazon Musi

          緩やかに暮らしをアップデート ♯家電編

          供養のしかた考

          先日、エリザベス女王の葬儀の様子を、思いがけず長い時間見ていた。 荘厳な雰囲気の中、車が沿道から投げられたお花まみれになっていたのが、なんとも愛らしい。 そんな世界一立派な葬儀を見ていて、葬儀という時間は本質的には、故人を天に送るものではなくて、見送る側が心の整理をするためのものなんだろうなぁ、と思い当たった。 どう供養されたい? もし、葬儀がそのための時間だとすれば、葬儀のテンプレートには、やや違和感をもつ。お寺をベースにした日本の葬儀のかたちは、江戸時代の統治方法か

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          知らんぷりの匙加減

          会社からの帰り途、歩道の端にネギが落ちていた。 スーパーに並んでいただろう、透明なフィルムに包まれた姿のままで。 こういう時のふるまい方の正解が、いつもよく分からない。 こんな嵩張るものを落として、なぜ気づかない? 拾ったとしてもなぁ、どうしたら、、交番に届けるほどでもないし、でも明らかなゴミでもないし、、ほら、落とした人が取りに戻ってくるかもしれないしね。 そう逡巡して、結局は通り過ぎてしまう。 アタマの中で逡巡しているとしても、ふるまいとしては、ただ”知らんぷり”し

          知らんぷりの匙加減