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供養のしかた考

先日、エリザベス女王の葬儀の様子を、思いがけず長い時間見ていた。
荘厳な雰囲気の中、車が沿道から投げられたお花まみれになっていたのが、なんとも愛らしい。

そんな世界一立派な葬儀を見ていて、葬儀という時間は本質的には、故人を天に送るものではなくて、見送る側が心の整理をするためのものなんだろうなぁ、と思い当たった。

どう供養されたい?

もし、葬儀がそのための時間だとすれば、葬儀のテンプレートには、やや違和感をもつ。お寺をベースにした日本の葬儀のかたちは、江戸時代の統治方法から来ているらしいが。
葬儀、戒名、香典、お墓、仏壇、など、もろもろ。
いまも基本的にはそのスタイルが守られている。

祖母が亡くなった時、葬儀から3回忌までの一通りのスタンダードを体験した。
でも、それらによって祖母を供養できたのか、自分の中ではあまり実感がない。
むしろ、大往生だったという納得と、祖母が大事にしていた古い縫い物道具をひとつひとつ手に取りながら処分したことが、悲しい気持ちの整理には大きく奏功したように思う。

翻って、自分が死んだ時、を考えてみる。
もうこれは絶対と言っていいが、葬儀のテンプレートはどれも必要ないなぁと思う。

身近な人たちが見送ってくれるのは有難いけれど、わざわざお金と時間を割いてもらうのはどうかな。
お付き合いのあるお寺もないし、初めましてのお坊さんに送ってもらうのも、なんだか変な感じがする。
生まれ育って長く暮らした場所で、お墓に入って眠りにつくなら、それも意味あることかもしれないが、子供の頃から転勤族で、属地意識が備わっていなくて、そういう場所も持ち合わせていない。
そもそも無宗教で生きてきて、死んだ後に仏のお名前をいただいても、それは申し訳ない。信心深くなくてホントごめんなさい。
時間が経ってふと思い出してくれるのは嬉しいけれど、写真は恥ずかしいし、毎日ご飯とお水を供えてくれなくても大丈夫。

そう思っている人って、実は少なくないんじゃないだろうか。
悼み方は、本質的には個人の思い出や経験に基づくものであったほうがいいはずだ。

墓じまいさせてください

でも、どんな形をとったにせよ、いずれ骨は残る。
お墓を持たないとすれば、いまあるチョイスの中では、粉骨して樹木葬、とするのが現実的なのかな。
本当は、そういう専用のものではなくて、なにかの飼料や肥料になるとか、循環的で生産的なものに使ってもらったほうがよっぽどいいのだけれど。

それから、個人的に直近で憂鬱なのは、実家の墓管理問題。
地方にあって、祖父母が建てたお墓。親はそこで生まれ育って、就職して東京圏に転勤し、定年後にその地域にUターンして暮らしている。でも、その子世代の私たちにとっては長期休暇に「帰省」する場所で、自分の住処という認識がないし、将来そこに暮らすこともないだろう。

親はそのお墓に入るつもりでいるだろうけれど、片道4時間のそのお墓は、この先どうしていくことになるのか。
十分に管理できていないお墓は、ご近所の迷惑になってしまう。

自分たちの代になったら、墓じまいして永代供養したくなるんだろうな。なるべく住処に近い場所のお寺にするから、と。
「私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません」をちょっぴり信じて。
いまは、親がその道を自ら選んでくれることを願うが、この思い、はたして届くだろうか。

後残りは少なく

いまのスタイル、いつまで続くのだろう。

亡くなった後は、すこしの間、身近な人が思いを馳せてくれるだけで充分。
もっと、装飾的でなくて後残りの少ない方法でいい。

たとえば、そうだな。
お経はなくてよくて、寝ずの番もしなくていいから、白い薔薇の小さな花束を持たせて、速やかに火葬してくれるといい。
お骨は大きな壺に入れなくていい、細かく砕いて邪魔にならないように上手に処理してほしい。出来れば、カルシウム分として(?)何かに還元してくれると嬉しい。

どこでもいい、木を一本植えて、20年後にもし誰かが覚えていてくれたら、その木から玩具をつくって、子どもの施設に寄付してほしい。植えっぱなしの木は森林を荒らすから。

エリザベス女王の荘厳な葬儀の風景から、そんなところまで考えをぐるぐると巡らせてしまった。

世代のよって考え方も違うだろう、自分のその時はまだ何十年か先かもしれないけれど、弔うカタチ、もうそろそろ変えていってもいいんじゃない?と。

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