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「どこでも行ける、いつでも手放せる、大丈夫。」

仕事があまり上手くいっていないせいか、最近この呪文を繰り返し唱えている。

身軽に生きる、ということ。

自分の場所を固定しすぎると苦しくなるから。

子供の頃、親の転勤でころころと住む場所が変わって、その度に人生がリセットされるような感覚を味わった。
通った小学校は4つ。

それはしんどいことでもあり、ここに固執しすぎる必要はない、という開き直りにも近い、ある種の強さを得たようにも思う。

失敗しても、気まずくても、居心地が悪くても、
「時間が経てば、ここから抜け出せるし。」
どこかでそう思ってきた。
いまが苦しい子供たちには、そう思ってもらいたいな。

同時に、うまく忘れる、という装置も身についた。
そのせいか、私は子供の頃の記憶がうすい。
印象的な風景はいくつか頭に浮かぶが、人の顔や出来事の記憶はほとんど消えている。

大人になっても、本質的には、その性質は変わらない。
踏ん張りが効かないし、どうしても、という強い想いを持ちにくい。そして、すぐ忘れる。

「ここではない感」は、逃避であることには違いないんだろう。
そして、大人になってからの逃避の味は甘い。

でもその性質は、身軽に生きる、ことにも置き換えられなくもない、ということにして、自分の中に肯定的に据え付けた。
固執しすぎず、ふわっとした軽さを心に備えること。

「どこでも行ける、いつでも手放せる、大丈夫。」

これは、自分を守るための呪文であり、苦しくなった時の自分なりの処方箋。

現実的には、そんなに簡単に居場所を変えられるわけではない。
でも、心のうえで根無草で生きることは、そんなに悪くもない。

今日はセンチメンタルな気分です。

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