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私は自信がないマイナス思考の女。2023年の1月、鬱になる。②


「鬱ですね」

優しい心療内科の先生に鬱だと診断されたその日、私は薬を処方された。
抗うつ薬とたぶん胃薬。

だけど私はその薬をすぐに飲みませんでした。
薬での治療が嫌なわけではなく、薬を併用しつつカウンセリングを受けながらの治療がしたかったから。

「そうか、心療内科は基本は薬だけの治療なんだ」と気付いたのはその時。

親友からの助言に救われる。


私はその日、古い付き合いの親友に連絡をした。
彼女も鬱経験者。薬の副作用がどんなものかを聞いたり、自分はカウンセリングを受けながら、補助として薬で治療をしたいという気持ちを吐露すると、いつも寄り添ってくれる彼女は経験者として助言をくれた。

「ΔでるたΔが必要と思った時に飲めばいいと思うよ」
「私は今は飲んでないけど、お守りとして一応持ってる。それだけで全然違うよ」

この助言は、補助として薬での治療をしたいと思っていた私にしっくり来た。
しっくり、ピッタリ、ピタゴラスイッチのようなそんな感じ。笑

そして私は母に宣言する。

「薬は今日は飲まない。必要と思った時に飲む。私はカウンセリングをメインに治療を受けたいと思ってるから、薬だけの治療は嫌だ」

これはたぶん自分に向っての意思表示でもある。

母の存在は何歳になっても偉大


わざわざ意思表示なんてしなくてもいいのに、つい母にはしてしまう。
いちいち報告しないと、嫌なタイプ。
アラサー、いやもうアラフォー。
だけどいつまでも母の前では子供。

鬱状態になって、不安で泣いてしまうような状態でも、しばらく仕事にはちゃんと出勤していた。
会社ではもちろん泣かない。
だけど出退勤時、車の中で泣いていた。
母は心配して退勤時間になると電話をくれて「待ってるから気を付けて帰ってきなさい」と毎日言ってくれて。

母親は誰よりも子供のことを分かってるんだなと思ったし、だからこそ鬱状態の私は年甲斐もなく母にギュッと抱き締めてもらえたら、仕事に行ける気がして毎朝そうしてもらっていた。

160㎝の私、150㎝の母。そして私はアラフォー笑

そんな母に、薬を飲まないことを意思表示してから私は回復に向かっていった。
親友からの助言は、本当に私にとって一筋の光で。
「不安なら飲めばいいんだ、でも今は必要ないから無理に飲まなくていいんだ」そう思えただけで、気持ちが一気に切り替わっていった。

病気かもしれない、という不安は考え出すと溢れる。
だから余計なことはネットで検索しないことにしたし、幼いころから通っていた内科の先生が「大丈夫」と言うなら信じようと思うことが出来た。

半月後、心療内科の先生に「薬はどうですか?」と聞かれた時は、かなり言い辛かったけど自分は薬だけの治療は嫌だということ、カウンセリングあっての薬の治療が理想だと話すと先生はうんうんと数回頷いて、

「今のΔでるたΔさんを見てると大丈夫そう」

そう言って、通院を終わりにするかどうかの話しをされた。
でも私は「今は落ち着いてるだけかもしれないから様子を見たい」と話し、また半月後の予約を取った。

鬱状態がひどかった間、会社を2週間程お休みをしていたのだけど、その頃にはいつも通り出勤出来るようになって、泣くこともなくなった。
見守ってくれた母には感謝しかないし、健康でいてほしいと今まで以上に思うようになった。

心療内科の最後の予約の日、先生に近況を話す。
時間でいうと10分とかそのぐらい。

薬を飲んでいないこと
普通に働けていること
余計なことは検索しない・見ない・避けてること
昨日、妊娠検査薬をしたら陽性が出たこと
明日婦人科に行こうと思ってるということ

先生は小さく両手を叩いて「わあ、おめでとー!」そう喜んでくれた。
私は自信がないマイナス思考の女。
だから「まだどうなるか分からないんですけど」と自分のメンタルや妊娠について色んな意味を込めて言うと、

「初めてここに来た時と顔が違うよ」
「不安になったら、いつでも来ればいいんだし」

その時の私に合った言葉をかけてくれた。

ちなみに翌日行った婦人科は、例の婦人科さん。

私は自信がないマイナス思考の女。
鬱にもなったし、毎週婦人科で色々と言われて「ダメなんだなあ」と思いながらもなんとか出産出来ました!笑
「妊娠期間って検索魔になりがち」と友人が言っていて。
鬱になったからこそ、【余計なことを検索して不安にならない】を実行して先生に言われるまま過ごせました。
(「赤ちゃん駄目なのかあ…」と思う時期は長かったけれど…)
鬱だったあの時期はしんどかったけど、【おかげ様で】感がある。


2023年は鬱・妊娠・引っ越し・結婚・出産と大忙し。

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