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2023年の4月の私

おはようございます。
ΔでるたΔです。

去年、出産をしました。
子供の【ぐで太】の成長の早さを日々感じながら、最近は去年の今頃地元の婦人科に毎週通っていたなと思い出します。


毎週首を傾げて唸る婦人科の先生

会社からわりと近い婦人科。
その婦人科に初めて受診したのは妊娠する3ヶ月前ぐらい。
婦人科系の病気の疑いがあると内科で言われたのが受診のきっかけだった。
口コミがとても良かったし、ネットで事前に予約を取れることもポイントが高かった。
後に不妊治療がメインの病院と知ったのは、初診から2度3度と診察を受け、病院の口コミを再確認してから。

生理が予定日から10日以上遅れ、妊娠検査薬を初めて試した後、病院を予約。
「しばらくこの先生ともお別れだぜ」と思っていた前の月。
その時私はピルを処方してもらっていた。

次の生理がきたら、3日目から飲む予定だったピルはお蔵入り。
妊娠の数週でいうと4週目から5週目ぐらいとのことでした。

「まだ胎嚢が見えない」と翌週再度受診。
「モヤがかかっているように見える」と【絨毛膜下血腫】の話をされ、先生は苦い顔をする。
そこから毎週のように受診するも「胎嚢が見えるはずなんだけどな」と言われたり、「筋腫もあるし、難しいかもな」と言われたり。

元々マイナス思考の私、それでいて妊娠前の1月・2月と約1ヶ月近く鬱状態だった私は「そうか、流産か…」と決まったわけではないのにその答えに辿り着いてしまっていた。
諦めが早いタイプ。
だから流産の場合、どういう処置をするのか先生に聞いてみたけど「まだそういう時期じゃないから」と言われてしまう。

いやいや先生、だったら不安を煽るようなことばかり言うのやめてくれよ。。。

内心そう思っていたけれど、マイナス思考の私が「難しいかもしれないけど、信じて頑張っていこう」と言われてもきっと相も変わらず「赤ちゃん駄目なんだろうな」と思っていたことでしょう。

思わず笑ってしまった先生の発言

通っていた婦人科の先生はおじいちゃん先生で、問題発言が多い人。
初めて受診した時も「あなたは妊娠しづらいから、早く良い人見つけて結婚して、すぐに不妊治療した方が良い」なんて言う人だ。

失礼な人だな、もちろんそう思った。
そして2度・3度と受診する度に同じことを先生は言ってくる。
【独身】【アラサー】【子宮筋腫】【卵巣嚢腫】とそんなカードが並んでいると先生はついそう言ってしまうのか、全く同じことを言われたと憤慨する人を口コミの中に見つけた。

ちなみに私は妊娠前の受診でほぼ毎回言われてました。
最後の方は先に「妊娠しづらいんですよねー?」と笑いながら先生に相槌を打っていたものだ。

妊娠後も毎回苦い顔をして、マイナスなことしか言わない先生の元、どうにか迎える9週目。
心拍の確認が取れたりと着々と成長をするぐで太。
8週目頃の受診時、産院ではなく不妊治療専門の病院では10週目以降は診れないとのことで出産したい病院を決めておくよう話をされていた。

ただ私の場合、結婚を機に遠く離れた地へ引っ越すことや里帰り出産の予定もないことから引っ越しまでの3ヶ月間、数回通うだけのために別の病院に改めて通うのってどうなんだろう?と思ったり。
そのことを先生に相談すると「まあうちでそれまで診てもいいんだけど」と言ってくれた。
が、その翌週の診察の日、改めてその話をすると先生はカレンダーを見ながら

「GWがあるんだよなあ…うちはGW連休になるから、何かあった時診れないんだよ。’何かありそうじゃん、あなた’」


そう笑いながら言い放った。
初めて診察に同席したパートナーも「あれは無くない?失礼すぎない?」と呆れつつ苦笑いを浮かべていた。
ちなみに私はもちろん呆れていたけど、それ以上にいつも不安を煽ってくる先生をパートナー見せることが出来て満足していた。笑

誰に話しても「そんなこと言う先生いない」とか「ひどすぎ」と驚かれる。
もちろん酷い先生だなとは思うんだけど、やっぱりマイナス思考の私には逆に色々と覚悟が出来て合っていたように今でも思う。
’こういう先生’そう思えば、笑い話になる先生だ。

産後に届いたメール

予定日より少し早めに出産した私。
産後すぐ、あの先生の病院からメールが届いた。
診察をしたことのある患者さん全員に送っているであろうそのメールには、先生の訃報と、以降の対応などが記載されていた。

産後2日目、まだ入院していた私は驚いた。
もし私が地元で出産をしていたら、
もし、あの病院が産院でそこで出産すると決めていたら、
と、そんな考えが過ったり。
それこそ「’何かありそうじゃん、あなた’」に当てはまっていたかもしれない。

正直恨み節はある。
だからこそ「先生、無事産まれたよ」そう思うし、伝えたい、言ってやりたい、と思っていた。

「良かった良かった」そう言ってもらいたかったな、と思うのは、やっぱり私には先生が合っていたからなのかもしれない。

きっと毎年この時期になると恨み節と共に先生を思い出し、ぐで太の誕生日には「先生、元気ですよ」と言ってやりたくなる。

2024年の4月の私は、そう思うのです。

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