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2018年初に下咽頭がんと食道がんの併発と診断。どちらも初期。2018年2~3月に下咽…

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2018年初に下咽頭がんと食道がんの併発と診断。どちらも初期。2018年2~3月に下咽頭がんの化学放射線療法、11月に食道摘出手術を受けて、現在「治癒」。いくつもの小さな治療の後遺症や影響に、日々、少し困り、悩む。元気にやっているけれど「健康」とは言いづらい、がん経験者。

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盛大な老婆心。誰かの“得”になりますようにと願いながら。

学生時代のクラスメイト夫婦が富山市に住んでいる。 元日の能登半島地震を受けて、LINEの同級生グループにはみんなが続々と心配するメッセージを送っていた。私は妻のほうと仲がいいので個人アカウントに連絡して、彼らはそれほど被害を受けなかったとわかった。 富山出身の夫のほうは報道職で、発災してすぐ緊急出動したそう。沈黙を保っていた彼が、2週間が経った週末の夜中、初めてLINEグループに次のような投稿をした。 報道の現場にいるプロだけあって、過不足なく、事実が端的にわかりやすくま

    • ヴィンテージな自分の価値を認める

      海外の雑誌やスナップで見ては「こんなふうに年齢を重ねたい」と憧れた、成熟した女性像がある。 流行に左右されない、たとえば綿や麻のくたっとした白いシャツにベージュのパンツを、ゆるんだ肌の質感や身体の線にそっと沿わせてさらりと。お化粧っ気は感じさせず、ただ赤い口紅が顔に生命力を与え、きりっと引き締めている。ヘアスタイルも作り込まずふわりと自然に。 あるとき、ヨーロッパのアンティークの椅子を見ていて思った。 小さな傷がたくさんあるけれど、触られ続けて角が取れ、艶が出た無垢の木の表

      • がんから6年 生きてよかったと思える夏の景色に出逢った

        蒸し暑い空気の中に、秋の気配が漂ってきた。遠くの入道雲を見てまだ夏だと安心して、真上を見上げて刷毛で引いたような雲を見つける。これは秋の雲だ。だってもうお盆も過ぎて、気づけば太陽の光もじりじりと灼くような熱線というよりは、ちょっと疲れたように和らいでいる。 下咽頭がん治療後6年、食道がん治療(食道摘出手術)後5年、がん経験者としてこの夏を振り返ってみる。 ・いつからかはっきり覚えていないけれど、たぶん夏に入る頃から痰がからむようになった。喉の奥の方、胸のほうにいつも少し出

        • 手術してくれた主治医が外科医を卒業していった

          「僕ね、この病院辞めるんです」。 それを聞いたとき、軽くクラッときて、涙が出そうになった。「私を置いていっちゃうの?」と。 でもその気持ちをぐっとこらえて、なんでもない感じを装って、「そうなんですか」と答えた。がんを併発していた私はいくつかの科にかかっていたから、それまでにも辞めてしまった先生たちがいて、そういうこともあるって知っていた。 だけれども。 食道がん摘出手術をお願いしたこの食道外科部長の主治医は、食道なしニンゲンに改造後の劇的な衰えから新生活の元気を取り戻すま

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          「ごくごく」と野菜ジュースを飲んだ

          陸上でお茶でおぼれかけて、またすこし心がへこんだ。 病気を経験してわかったのは、わたしは、成長するうちに習得し出来て当たり前になっていたことができないとき、ひどく自尊心を削られるということ。慎重派なので「これができない? ということはこれはできるの? わたし?」と、いちいち自分を疑う。 文字通り自分を信じられない「自信がない」状態に陥る。 それからしばらくしたある日、パックのジュースを飲んだ。外食してもあまり冷たい飲み物を注文しないし、ストローを使う機会がめったにない。 暑

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          47.2㎏、目標達成。もうがんばらなくていいや。

          下咽頭がんの化学放射線治療から約6年3か月。食道がんの手術から約5年6か月。 ひとつの目標にしていた体重をクリアした。 病気がわかったのは44歳のころ。もともと胃腸が強くなく、「最近たくさん食べているな」と思って体重が少し増えると、ひどくお腹をこわして数日あまり食べられなくなり、すっと戻るというのがパターンで、細身と言われていた。 それでも、代謝が落ち始める年齢でもあり、じわじわ太ってきたと感じ始めて、できるだけ太りたくないと焦り始めていた。身長161㎝、体重はその頃51

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          陸上で、一口のお茶でおぼれかけた

          行きつけの美容院では、ヘアカラー剤を塗って放置する間、お茶を出してくれる。 先日行ったとき、そのお茶に口をつけるタイミングを逸して、まだ飲んでいないのに次の作業に入られてしまった。髪をコームでとかしているので、頭を動かすことはできない。できるのかも(してもいいのかも)しれないけれど、私には「私の髪を施術してくれているのだから、じっとしている」選択肢しかなかった。 たった一口。ひとすすりのお茶。 さりげなく飲むつもりが、飲めなかった。そして、死にそうになった。(個人的な体感

          陸上で、一口のお茶でおぼれかけた

          がん治療、すごい経験値の大先輩

          私の下咽頭がんの化学放射線治療は2018年2月から始まり、入院、いったん退院して通院加療を経て、再入院して治療完了。体力の回復を待って最終的に退院したのはGWだった。桜の頃は、放射線治療の副作用の痛みが強まってずいぶん体重が落ち、治療の現実にだいぶ心が弱っていたと思う。 当時、病院の桜の前で妹が撮ってくれた写真の私は、弱弱しいぼんやりした笑顔だ。 といっても、その後11月に食道の摘出手術を受けたときは、入院中から退院後数か月、写真なんて撮らなかった。痩せて弱った自分の姿を見

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          場を壊す爆弾のスイッチを握っているような気分

          先週は、月曜日に住んでいる地域の50歳の無料眼科検診、金曜日が大腸の内視鏡検査だった。どちらも症状が出ていないうちに状態を調べておくために受けた。 喉と食道にがんが見つかったとき、食道外科の医師は「たぶん3~4年くらい前からありましたよ」と言った。「食道がんは、ここからの進行が早いんですよ」とも。がんが深く浸潤していない、進行的にはまだ初期でラッキーだった。けれども、内視鏡手術で削り取るには範囲が広すぎるということで、喉も食道も治療は簡単では済まなかった。 胃カメラを飲ん

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          がんがくれたプレゼントというより、がんを機に見つけて手を伸ばしたもの

          2月4日は「世界対がんデー(ワールドキャンサーデー)」だと病気の後で知った。 啓発の一環のテレビの特集で、がん経験者への「あなたのキャンサーギフトは?」というインタビューを目にしたとき、違和感を覚えた。 誰かから「がんになってよかったでしょ~?」と聞かれているみたいに感じた。 「キャンサーギフト」とは、がん経験から得たもの。わかりやすいのが「がん友(友人)」だろう。つらい経験ではあったけど、がんがなかったらこの人とは出逢えなかったから、「がんからの贈り物」。 でも私は「

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          ジコレンビン、カッコ悪さがすぎる。

          昨年末、あるWeb記事にあった言葉を目にしてドキリとした。というより、痛いところを突かれすぎて脳内で一回ダウンした。KO寸前。 いまの私は自己憐憫のお手本みたいだ。 「がんでキャリアを足止めされなかったら、わたしも今ごろもっとしあわせだったはずなのに!」 大きくつまずくことなく、元気そうにつつがなく暮らして、思い描いた方へ順調に進んでいる(ように見える)周りの人たちを見ると、ついそう思ってしまう。 「がんがなかったら!」 くやしがっているふうに思い込もうとしていたけ

          ジコレンビン、カッコ悪さがすぎる。

          ドラマチックじゃなくていいから、がんは欲しくなかった

          6年前の12月19日、安いキウイフルーツを買って食べたらとても酸っぱくて、喉にすごくしみた。刺すような鋭い刺激だった。その日はいつも最後にバタバタになる毎月のレギュラーの仕事が終わったところで、次が始まるまでの谷間の2日間の1日目だった。時間に余裕があったから、その後たまたま書店に立ち寄り、医療や健康のセクションにさしかかったとき、喉のことを思い出した。「あれって普通にしみるのと何か違った気がする…」。急に胸騒ぎがして、スマホを取り出して「喉がしみる」と検索したと思う。 そ

          ドラマチックじゃなくていいから、がんは欲しくなかった

          奇跡はほとんど起きないからこそ奇跡。知ってたけど。

          2018年5月の下旬、私は田んぼと畑が広がる九州の小さな町にいた。電車が1時間に1本か2本通っている単線の周りは青々とした山に囲まれた、とても静かでのどかなところだった。 2月から喉の放射線治療が、3月中旬から化学療法も始まって入院しゴールデンウィークに退院した。治療の副作用のいろいろの影響で、すっかりしぼんだおばあさんのようになってしまっていた。いろんな自信を失って人と会いたくなかった。 そんな時、趣味を通じて知り合った友人を九州に訪ねた。 知り合ったときから離れて住ん

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          「がんになってよかった」とか言えちゃうがん経験者の方が多数派なんだろうか

          胸部食道がんによる食道摘出(胃管再建)手術からちょうど5年。 受けなかったら、今もうここにいなかったのかもしれない。治療の後に一度もがんが顔を出していないことは、とてもラッキーなこと。だけれども、今もその幸運を思うより治療の副作用や後遺症の対処に日々気を取られている。 手術前夜、おなかを空っぽにする下剤のため夜中に何度もトイレに通い、「眠れない」なんて思うよりも疲れ果てて眠って、準備のために早く起きたあの朝。頭はぼんやり。ただただ、「嫌だな。」という思いだけが、ずん、と重た

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          食べるのがちょっと難しい人の旅支度

          病気を経験してからとても慎重になった…ならざるを得なくなったのが、食事。食べられないものがあり、食べること自体がちょっと大変で、食べ方に失敗すると体調を大きく崩すことがわかっているから、旅行となるとかなり構える。 年齢的な衰えも含めて、「胃腸の底力がかなり弱い状態」だというのが主観的な感覚。もともと胃腸が弱い体質で、胃袋がないためによく消化できないまま食べたものが腸に運ばれていくので、腸に大きな負担をかけているのだろうと想像している。ときどきがくっと調子を崩して下痢が続き、

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          “がん以前”の私へ

          私は自分のことを好きだと思えずにきた。 今も、病気後に体調が変わってしまって、そのことにうまく対応できなくて、生活がうまく回せず、だから仕事も以前のようにバリバリとはできなくなってしまって、人とも積極的に会えなくなって、「自分って人望がなかったんだな」と思って、そういうことにくよくよ落ち込んで…こういう私は昔からいつも「ネガティブ」だと認定されて、そういう自分が嫌だった。 仕事ができなくなったり人望がないことをくよくよするのは、人から評価されないと不安になるから。自信のなさ

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