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陸上で、一口のお茶でおぼれかけた

行きつけの美容院では、ヘアカラー剤を塗って放置する間、お茶を出してくれる。

先日行ったとき、そのお茶に口をつけるタイミングを逸して、まだ飲んでいないのに次の作業に入られてしまった。髪をコームでとかしているので、頭を動かすことはできない。できるのかも(してもいいのかも)しれないけれど、私には「私の髪を施術してくれているのだから、じっとしている」選択肢しかなかった。

たった一口。ひとすすりのお茶。
さりげなく飲むつもりが、飲めなかった。そして、死にそうになった。(個人的な体感です)


食道は地味だけれど重要な働きをしている。それは「蠕動運動」。腸の蠕動運動はよく聞いていた。便秘症だったから、「腸の蠕動運動を促すべし」という情報によく出合った。腸で言うなら、蠕動運動により便を運んでもらうという意味合いだと理解している。

実は食道にも蠕動運動があると、食道摘出手術後に知った。食道は食べたものを胃へと「蠕動運動」で運ぶのだそうだ。私は食道を取ったので、蠕動運動の作用を失った。
自覚としては、「食べ物が入っていかない」「食べ物を飲み込むのが大変」。意識して「んっ」と力を込めて飲み下さないと、口の中にあるものを「さりげなく、すっと」口の中から胃の方へ送り込むことができない。だから食べることにすごくエネルギーを使う。

意識して飲み込もうとしても、ちょくちょく空気が一緒に入ってくる。
食道があったときにも、ごくたまに空気の塊を一緒に飲み込んでしまって痛いということはあった。おそらく、飲み込みを大失敗して大きな空気の塊を飲んでしまわない限り、蠕動運動でうまく調整されて少しの空気なら抜けていったのではないかと想像する。でも今はそうはいかない。
食べ物が動いていく流れのようなものがないので、入ってしまった少しの空気が押し戻されてくる。食べ物や飲み物はなんとか落ちたとしても、空気がそこにある違和感、不快感、苦しい感じが残る。

そんなときは、げっぷで出せばいい。それは正解なのだけれど、食道がない今は、げっぷのように空気を抜こうとすると胃の方に落ちたはずのものたちが逆流してきてしまう。
小さい嘔吐みたいな感じ。もちろんそれは避けたい。

どうしたらうまく飲み込めるのか、試行錯誤した。
そうしていつしか自然に身に着けたのが、飲み込むとき、少しうつむいて気管に空気が入らないように道をふさぐ方法。
でも、手術から5年が経って慣れてきてあまり意識せずにやっていたから、それがそんなに大切なものだと認識していなかった。


美容院で頭を動かさずにお茶を飲もうとしたら、空気が入ってしまった。苦しい。そうなってからでもうつむけば、幾分か抜ける。でも、頭を動かせない。
顔を上げたままなんとか飲み込めないかとトライしたけれど、空気が押し戻されてくる。何度もやっているうちにあっぷあっぷしてきた。私は、息継ぎがうまくできなくて長く泳げない人。下手な息継ぎで息を吸おう吸おうとするから、かえって苦しくなる。(実は息を吐き切れば自然と空気が入るので楽に息継ぎができると教わったけれど、それが下手でパニックになってしまい、泳げるようになっていない)それと似た状態。

鼻呼吸しかできない状況で、飲み込めないものを飲み込もう飲み込もうとしていたら、息を吐き続けているようになって、“息ができなくて苦しい”錯覚にとらわれた。

陸上で、一口のお茶でおぼれかけていた。

頭を動かさせてほしいと頼めたらいいのだけれど、口の中にお茶があったから話せなかった。
ちょっと落ち着こうと、飲み込もうとするのを止めて鼻で深く息を吸った。すると少し冷静に戻って、「頭を動かせるようになるまで、飲まなければいいんだ」ということに気づいた。
それから数分、お茶を口にためたままやりすごし、スタッフが離れたとき、うなずくようにして飲み込んだ。一見、何事もなかったように装えたはず。

どっと疲れた。
簡単な、「普通な」ことができないって、意外と自尊心が傷つく。それは病気の経験で知った大きなことのひとつ。このときも、みじめな感情の残像が残った。

帰宅して、夫にことの顛末を話した。
「私を殺したい場合、口にお茶とかを入れて、吐き出させないように口をふさいで、頭を動かせないように壁に押し付けたら、『お茶を喉に詰まらせた事故死』がつくれると思うよ」。

私だけに使える完全犯罪のトリック。

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