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場を壊す爆弾のスイッチを握っているような気分

先週は、月曜日に住んでいる地域の50歳の無料眼科検診、金曜日が大腸の内視鏡検査だった。どちらも症状が出ていないうちに状態を調べておくために受けた。

喉と食道にがんが見つかったとき、食道外科の医師は「たぶん3~4年くらい前からありましたよ」と言った。「食道がんは、ここからの進行が早いんですよ」とも。がんが深く浸潤していない、進行的にはまだ初期でラッキーだった。けれども、内視鏡手術で削り取るには範囲が広すぎるということで、喉も食道も治療は簡単では済まなかった。

胃カメラを飲んでおけば内視鏡手術で取り切れる時期に見つけられたわけで、受けたことがなかったのは、やっぱり悔やんでいる。
だからこそ受けることにしたのに、先週はとても気分が重かった。何か異常が見つかったら思うと怖くて。

病気が見つかって最初の入院の数日前に、遠方に住む学生時代の友人が久しぶりに近くに来て、仲間で集まることになった。迷ったけれど、「最後かもしれない」みたいな気持ちもあって顔を出した。

40代半ばの男子3~4人と女子5~6人だったと思う。40歳を超えたら、若い頃の仲間で久しぶりに集まると、男子は健康報告というより不健康報告あるいは不健康自慢をするようになった。私には不毛な話だった。(50歳が近づいたら、女子が集まると更年期についての話をするようになるのと同じだと気づいた)

その日も、その頃に健康のため飲酒をやめ、植物性たんぱく質中心の食生活に変えたと言った男子が、「みんな元気?」という文脈で「健康診断受けてる!? 受けた!?」と主に男子に向かって聞いた。そして数人の「受けたよ」と答えた人たちに「よし! 偉い!」と言った。

健康診断を受けることはいいことだ。「偉い」と言われた側もまんざらでもなさそうで、どうやら彼らは検診結果に問題なかったようだとわかった。
でも、がん患者だった私はとても変な気持ちになった。もし、答えが「受けたよ。実はそしたら胃がんが見つかってさ」とかだったら、軽く聞いてしまった側はどうするんだろう? 健康診断を受けるということは、病気が見つかる可能性があるということを完全にお忘れだよね? あるいは、病気を普通に告白するのが当たり前なのだろうか。

「『私、がんが見つかったんだ。来週、入院して治療。」って言ったら、空気が凍るかな?」なんて想像して、場を壊す爆弾のスイッチを握っているような気分になった。
もちろんそのスイッチは押さなかったけれど。

治療を終えて回復した頃に新型コロナウィルスが流行し、4年以上間が空いて久しぶりに会った旧友に「元気だった?」と聞かれると困った。私は病気のことはあまり言いたくないほうだし、軽い挨拶のつもりで「元気だった?」と聞いた人には「実は2か所にがんが見つかってね…」なんていう答えはふさわしくない感じがするから。それこそ、その場を凍らせてしまう。だからそういうとき私は、適当に言葉を濁す。

女性に体重やスリーサイズを聞いたらセクハラと言われる。でも「健康体ですか?」と気軽に聞いてもOKなのは、冷静に考えてみれば不思議なこと。身体状況や健康のことって、究極の個人情報だ。聞かれたくない人にとっては“ヘルスハラスメント”と感じてしまうかもしれない。


「ヘルハラ(の可能性)」と書いて、「誰にも病気の可能性がある」と読む。

「何か異常が見つかったら思うと怖い」は、「嫌だけど検診を受けて病気を早く見つけたほうがいい」と読む。

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