ジコレンビン、カッコ悪さがすぎる。
昨年末、あるWeb記事にあった言葉を目にしてドキリとした。というより、痛いところを突かれすぎて脳内で一回ダウンした。KO寸前。
いまの私は自己憐憫のお手本みたいだ。
「がんでキャリアを足止めされなかったら、わたしも今ごろもっとしあわせだったはずなのに!」
大きくつまずくことなく、元気そうにつつがなく暮らして、思い描いた方へ順調に進んでいる(ように見える)周りの人たちを見ると、ついそう思ってしまう。
「がんがなかったら!」
くやしがっているふうに思い込もうとしていたけれど、くやしがりながら諦めている心の奥では、自分を憐れんでいる。
本当の気持ちはこれだ。
「かわいそうなわたし…!」
もっと言えば、
「かわいそうだと認めて労わって。ちょっとくらい優遇してほしい」
と思っている。
そのくせ、病気があったことをあまり人には話していない。話すことで『がんの人』のイメージになるのが嫌だから。矛盾している。自分でもまったくメンドクサイ奴だと思う。
だ
け
ど
・
・
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すこし冷静になってみたら、そんなにかわいそうでもなくなっていることに気づいた。
一度にたくさん食べられなくて、休憩をはさんだり人の3倍くらい時間をかけたりしつつも、定食1人前くらいを食べられるようになっている。
身体を起こして寝るために毎朝感じていた倦怠感も、ヨガで身体の使い方やほぐし方がわかってきたら、だいぶ楽になってきている。
最近は週に3回も格闘技のジムでトレーニングできる。
そして、それだけ動いても、手術前を超えた体重を維持できるようになってきた。
なにより、食道がんの手術から5年、下咽頭がんの化学放射線治療からは6年経った。新しいがんが見つかることなく暮らしている。
自分が苦しいなら人と比べて苦しさを打ち消す必要はないと思っている(治療の頃にそう思うようになった)けれども。それでもやっぱり、再発や新たな病気、深刻な合併症的な症状がないのは、かわいそうどころかすごくラッキーな人だ。
そろそろ、『【ちょっと特徴的な体質をもつ】健康な人』っていう認識に変えたらどう?
いつまでも甘えてないでさ。
そんなふうに思いをめぐらせ、10カウントでKOになる前になんとかむくりと立ち上がった。さて、これからどうするのか。
現実的にはやっぱりがん以前とは違う。たまには困ることも起こるし、人に頼まなければならないこともある。
困ったことがあるなら「これに困っている」と言う。(「困っててかわいそう」ではなく)
体調や体質的に難しいことがあれば「これが難しい」と言う。(「難しくてかわいそう」ではなく)
いまの状況が嫌なのは、「いまのこの状況に腹が立っている」と言う。(「この状況かわいそう」ではなく)
病気の影響でできないことがあってくやしいなら、そう言ってもいい。
けれど、それが本当にできないことなのか、どうにかしてできないか考えてどうにかするべく動いてみたらどうか。
ダメージを防ぐためにディフェンスはしつつ。足を止めずに。
ダウンをひとつとられたよれよれファイター。対戦相手は、“かわいそがる”弱い自分。
ふんどしを締め直して、どすこい。
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