がんから6年 生きてよかったと思える夏の景色に出逢った
蒸し暑い空気の中に、秋の気配が漂ってきた。遠くの入道雲を見てまだ夏だと安心して、真上を見上げて刷毛で引いたような雲を見つける。これは秋の雲だ。だってもうお盆も過ぎて、気づけば太陽の光もじりじりと灼くような熱線というよりは、ちょっと疲れたように和らいでいる。
下咽頭がん治療後6年、食道がん治療(食道摘出手術)後5年、がん経験者としてこの夏を振り返ってみる。
・いつからかはっきり覚えていないけれど、たぶん夏に入る頃から痰がからむようになった。喉の奥の方、胸のほうにいつも少し出てくる。炎症のしるしではないかと思わせるもので、また何か体に起こっているのではないかと不安になっている。
・暑くなり始めたころ、2度膀胱炎を繰り返した。
・「胃からの逆流を予防する」という効能で手術後ずっと処方されていた抗生剤を一度やめてみた。膀胱炎でかかったクリニックの医師に「そんなに長期飲み続けるものなのか」「膀胱炎を繰り返した耐性菌がこの薬の影響であることも否めない」というようなことを言われ、自分でも薬は一生飲まなければならないのか考えたりしていたから、主治医に相談して「やめてみたら必要かわかる」という見解で。
するとある夜、頭を上げた体勢で横になっているのに胃からの逆流で目が覚めた。その後、ずっと胸やけしているような感覚が続いて、処方を再開してもらった。
・歯がとれた。放射線治療の前に、「いちばん奥2本の歯の状態があまりよくなく、そこに放射線が当たるから先に抜いてしまうほうがいいかも」と言われた。そのとき残したら、3年くらい後に状態が悪化して結局抜くことになった。2本の歯を失ったことで負担がかる歯の根が炎症を起こしてよく腫れていて、とうとうかぶせものごと取れた。
生来歯が弱く、さらに放射線治療で唾液が減って自浄作用も相当に落ちてしまった。歯のトラブルが多いタイプであったのを、がん治療の副作用が多少なりとも加速させていると思っている。
・体調は不安定。精神面は、痰の不安や歯のことが「がんさえなければ」と思わせ、落ち込みにつながっている。でも加齢が進行中で更年期であることも考えると、不安定な体調は酷暑のための夏バテの影響が大きく、がん治療はそれほど関連がないだろうと自分なりに分析している。
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9月に誕生日という区切りがあることもあって、時間の経過を意識させる夏の終わりはいつもそわそわする。
今年の夏にも忘れものをしたくない。
もう一等賞決定の今年の夏のハイライトは、岩手県・遠野のひまわり畑。
目的地に向かう電車の車窓から見えたひまわり畑に思いつきで行ってみたら、ちょうど見ごろを迎えていた。遠くを囲む山々の緑、真っ青な空に白い雲、そして花びらの先までみずみずしくいのちの通った力強いひまわりの黄色。お天気も完璧で、あいまいさのない油絵のような原色のコントラストは、強い日差しの夏にしかない色彩。
見渡す限りの青と緑と白と黄色、静かで安らかな世界は、現実から切り離された異空間のようだった。
行ってよかった。
この2泊3日の東北旅行、行くか迷った。以前から泊まってみたかった人気のお宿の予約を夫がとってくれていた。でもお値段も張るし、お宿以外にどうしてもと思う理由がなくて、行かなくてもいいかなと思った。
決めたのは、喉の違和感があったから。また病気が見つかるのかもしれない。この夏が最後かもしれないんだから。もしそうなら、お金のことを今心配しても意味がない。
病気がわかる直前の夏を楽しまなかったことを後悔したくせに、時間が経つとじわじわと忘れてしまう。
それは、回復して日常を築き直せているしるしなのだろうけれども。
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訪れた岩手の海辺の街は、人がまばらでひっそりとしていた。田舎の小さな街の静けさは、人に見放されたみたいでさみしくて、私はちょっと怖さを感じることが多い。
でも、ここは怖くはなかった。それは、街が新しくてきれいだから。もともとあったであろうさびて古びた建物を津波がさらってしまったから、真新しい建物ばかりになったわけだ。
そう気づいたら、とてもへんな気持ちになった。
泊まったお宿の女将さんは、震災復興のシンボルのような存在でメディアにも登場していた方。
一度は波にさらわれて「死ぬんだな」と思ったけれど、ぎりぎりのところで息をすることができて、「生きよう」と決めたという彼女のインタビューがあちこちに掲載されている。私のがん以前、復興のために奔走していた頃にお会いして、ぴかぴか明るい笑顔に元気をいただいていた。
その海辺で唯一流されなかったお宿を地域の希望として再建することに使命感をもって、お宿を立て直しながらその地域の復興に奔走し、見事にその役割を果たした。それなのに、コロナ禍を経て経営は悪化し、再生ファンドの支援を受けて経営再建を図る体制に変わったところだったことを、帰ってきてからはっきり知った。
「お久しぶりです!」と再会したときには、温かく優しい笑顔のままでうれしかった。レジリエンス(回復力、しなやかさ)の象徴の役を担い、いつも笑顔のイメージの一方で、経営に悩む様子も隠さずドキュメンタリー番組で映されたりしていて、心配もしていたから。
だけど、チェックアウトして出発する前に写真をお願いしたら、「まだお盆前なのになんだか疲れちゃった」と笑顔が少し疲れていて。
あ、がん経験者と震災の被災者は「レジリエンス」の部分で通じるものがあるかもしれない、と思った。
生き残ったからバンザイ、とは言い切れない…。生き残ったら、生きなければならないのだ。そこにものすごい苦労があっても。「生きられなかった人の分も」と思うと、プレッシャーもあると思う。どうやって立て直したらいいか全然わからないのに、見えない多くの人との“約束”を背負って…とても重くて苦しい部分がきっとある。それでも、回復しようとがんばり、回復したようにふるまってここまできたのではないだろうか。
がん経験者の私も、がんによるつらさを味わった人のいろんな想いを勝手に背負って苦しくなっているところがある。私の場合は特にスティグマを嫌って病気のことをあまり明かさず、できればなにもなかったように…私は、強がっている。
震災から13年、前にお会いしてから8年経っている。女将さんが歳を重ねたことも、忘れてはいけない。
女将さんと一度ゆっくり話してみたい。また泊まりに行こう。
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