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迷走する人生について

私は現在人生に迷走しております。
迷走といえど、どこから来てどこに向かうかというよりは、
どうやって道を歩いていけば良いのかすらも見失っているのです。
どこへ向かうかを考えなければいけない。そう思えば思うほど、実際焦ってしまいます。
焦ると周りと比較してしまい、比較すると自分を見失う。
自分を見失うと、心底落ち込みやすくなり、
落ち込むと、ひどく寂しくなるのです。
寂しくなると自分の存在価値について考えてしまう。
結果相対的に私の幸福は萎縮していき、パッと消えてしまいたくなる。
この循環の中、私はどうやって未来の話ができましょうか。

私なりに迷走といえど、効果的に迷走しているつもりです。
この迷走期が無駄にならないようにしたいものです。
そのために少しばかり軸を整えていこうと思います。
今私の中にある軸は
「意味のなさそうなこともやってみる」
「友人は手放さない」
「思ったところまでやり切る」
の三つが挙げられます。
そしてこれらに共通して
「焦らない」ということも意識しているものです。

まずこの「意味のなさそうなこともやってみる」ですが、如何せん私は一見未来に効果的なことばかりをしてしまうものです。
自分が興味のあることはさておき、基本的には社会的に効果のあるもの。
実績や経験値を重んじてしまうのです。
もしかするとこれらは良いことかもしれませんが、
意識しすぎて、自分の好奇心を見失ってしまいます。
何に興味があって何にワクワクするのかがわからなくなってしまうのです。
だからこそ、意味のなさそうなことをしてみようと思います。
自分がほんの少しでもやりたいと思った瞬間にそれを実行してみようと思います。
例えばですが、このnote今何人の人がこれを読んでいるのかわかりません。
今までの文章を見てもわかる通り、私は自分の思考の軌跡を残しているに過ぎません。しかしその副作用として、今読んでいるあなたが自身の人生をもう一度考え直すきっかけにでもなれば良いのかなと思っております。

次に「友人は手放さない」ですが、これは単に寂しいからです。
私にとって友人ないしは親友と呼ばれる他者はかけがいのないというよりもむしろ、私の生きる意味になっているとも思います。
なので私が大切にしたい人間を見分けないといけない。
友人に関しはまた後日長々と書こうと思っていますが、簡潔に述べるとするならば、私はいつもながら「私が好きな友人や親友に好かれる」というのが私に現在絡みついている想いであり、一つの呪いのようなものにもなっています。ただ笑って喋れる友人が隣にいれば私は十分なのかもしれません

最後に「思ったところまでやり切る」と言うことですが、
文字通りの意味です。
私はよくやりたいことや夢を人に語ります。しかもその拍子で実行に移したり、割と衝動的に行動します。
なので人をよく巻き込むのです。
加えて私は責任感が人よりあることを自覚するほど持っています。
だからこそ人に話し、背水の陣に自ら招き入れる形をとります。
今いくつもの水が背中の一寸後ろに広がっており、踏ん張っているところです。巻き込んだ人からは対して期待はされていないでしょうが、そんな切ない現実とは裏腹にかなり責任を持っています。
だからこそやり遂げなければと日々思う次第です。

期待されないという点についてですが、
私の正直な分析としては9割くらいの人は期待していません。
相手からするとただの鬱陶しいやつなのでしょうか。
そんな中一つこの行動等がいい影響をもたらした嬉しい出来事がありました。
私の行動で一人また巻き込んでしまった友人がいます。彼女は私の人生史の中でもものすごく珍しいタイプの子で、素直で純粋でとても話しやすい存在です。なので気がつくといろいろ話してしまっています。
そんな中彼女はこの私のふらついた千鳥脚を「行動力」と捉えたそうです。
実際行動力なんてのはこんなもんだとは思いますが、
これに影響されてか、彼女もまた素晴らしい一歩を踏み出しました。
私の一歩より、遥かに大きく、重い一歩です。その瞬間、私のこの無意味に見える行動が私のうちに作用するでなく、外に作用したと感じものすごく肯定された気がしました。
私が本当にしたいこととはきっとこのようなことなのかもしれません。

これら三つの軸を意識します。
効果があるとかないとかはさておき、とにかく自分にできることをしていきたいものです。
きっとそこで出た回答は決して正解ではなくただの仮案に過ぎません。
大事なのはその仮案に正解や不正解と言ってしまわないことだと感じます。

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