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過去・未来・ぼくら対せかいⅠ


 私の一部になりつつある
amazarashiの楽曲の一つの題名からタイトルをお借りします。

未知の環境に身を置き、早三ヶ月。私は様々な経験をしました。
新しい友人ができ、新しいことをしました。
右も左もわからない青二才が社会に挑戦し、敗れたか、自分を再び見つめ直す結果になったのか。そして心の底から世界を変えようとする人間がふらりと前を通り過ぎて行きました。
私と真っ向から向き合ってくれる大人に出会いました。
私に感性を取り戻してくれた人。
私に合理的思考を植え付けた人。
私を卑下した人。
私を励ましてくれた人。
やはり同じ人間は存在しない。そう思わせてくれる日々であります。

かつて憧れたこの場所は、果たしてそのキラキラとしたままなのでしょうか。いや、そんなはずはないのです。何事も、過大な期待から始まるものです。
現在こちらに来て三ヶ月が経とうとしています。過去の私に教えてやりたいなと思っていたのも、過去になってしましました。
新しい世界というのはあまりに素晴らしく、美しく、そして残酷なものです。私の今までの「せかい」をふやかし、かつてない速度で、自分が小さく見えるほど、世界の解像度が高くなってます。
というのも私はこの速度に置いてきぼりで、三ヶ月その川に必死に逆らっていました。過去の私を肯定するがためか、未来に期待するがためか。独白すると、今この瞬間も何かに追われている気がして、何かに置いてきぼりになっている気がしてなりません。
心が、身体が、絶えず脈打っているのです。この焦燥に争うかのように、私は
「過去の僕」
「未来の僕」
そして彼らと対話する私の
「ぼくら」からの、
「せかい」への宣戦布告の恋文を送りましょう。
 
少し記憶が曖昧かもしれませんが、過去を振り返ってみます。
令和五年三月二十七日。私は乗車券と霧かかった夢と希望を握り締め、新幹線に乗りました。そこで置いてきた、「これまで」というのはなんとも幸せなもので、さまざまな人が私を必要としてくれました。
必要としてくれていたと言いますが、私の能力を求められていたわけでも、ましてや、私の実績を必要とされていたわけでもないと感じます。
私の周りの愛する人たちは、「私という私」を必要としてくれていたのかもしれません。しかし私というのは愚かなもので、その「世界」から離れないとそんなことにすら気づかなかったのです。
今の私だからこそ断言できます。あの頃は幸せでした。ここで過去形にしたのは今それを失ったからでは決してありません。しかし、距離と言う物理的障壁ができてからと言うもの、少し、失った気持ちになったのです。
あの頃は自分の周りの「世界」で私という人間を肯定してくれ、褒めてくれる人が沢山いました。恋人、妹のような後輩、兄弟のような友人、大切にしてくれた家族、掴みたかった憧れ、師匠、先生、全てが手の届く場所にありました。
その環境が与えてくれた「夢」を見て、私はそこに「さよなら」を言いました。
大阪駅の新幹線乗り場で振り返り、満面の笑みを浮かべられたのは良かったと思います。
そこで少し悲しい顔をしていたなら、きっと今の私はいないでしょう。

初日というものの、入寮期間最終日に入った私はひどく不安を覚えました。正直に話すと、フロアにいる人の質に落胆したのです。期待が大きい分、反動も大きく、かなり落ち込んだのを覚えています。馴染めない環境、慣れない生活、知らない人たち、叶えたい夢。すべてが私の大きい重石になっていました。ここで一つ、幸い私には友人がいました。彼はものすごく安心する人かというとそういう人ではないのですが、そんな彼が安全地帯になる程疲弊していました。
そんな中誕生日を迎え、この一年をどんなものにしたいのか真剣に考えました。急に先が見えなくなった中、私はとにかく、行動することにしました。

最初にアカデミックキャンプという論文を書くイベントに参加しました。この時は論文なんてどうでも良く、ただコミュニティーが欲しかったのです。新境地に足を踏み入れてからというもの、私を知らない誰かに揉まれながら、孤独かどうかもわからない状態を噛み締めていました。既存の友人に逃げ、どうしようかと考えて続け、偶然にもこのイベントにたどり着いたのです。
結果的にこの決断は英断でした。間違いなくいい人間に巡り会えた。
今私が少し肩を借りたいと思える人間のほとんどがここで出会った人たちです。ここでは私のような人間か、キラキラとした瞳を持っている方ばかりで、少し、眩しすぎるかなとも思えました。

ここで出会った人で、印象的だった人が二人います。

一人は芸術系の大学を目指して浪人し、その後今の大学に入学した方です。当初、直接的な関わりはありませんでした。友人からの紹介で彼女と出会い、衝撃を受けたのを覚えています。彼女はものすごく素直で、全ての色を吸収する新鮮な水のような感性をしている方です。
一つ一つの事象に感動し、一つ一つの感情を余すことなく噛み締め、自分のキャンパスにそっと着色する。そんな人です。
資本主義と言いますか、加速主義と言いますか、そのような人からは弱い人間と認識されるタイプの女の子です。
しかし、私はそうは思いません。むしろ色より数字を見て、魂より人材とみる人間には辿り着くことのできない境地だと思います。利益もコストも考えない。
心のままに生き、心のままに感じる。それができるのは、傷付くくことも噛み締められる強さを持っている証拠なのではないでしょうか。
私はそれができません。どうしても傷つくのを恐れ、避けてしまう。自分の魂と戦うのを避けてしまうのです。そんな私にとって彼女の心はものすごく美しく見えます。
私もかつてはそんな感性を持っていたと思います。というより、人間は誰でも持っていたはずです。そんな心を失ってしまったのはいつだったのでしょうか。
変に中途半端な両翼を得てしまった私は今ひどく苦しんでいます。夜中に感性を爆発させ、昼間はいつものように死んだ魚の目をしている。この均衡はいつか壊れてしまう気がしています。
そんなことを考えるきっかけを掴ませてくれた人に出会いました。

もう一人も直接的にイベントで知り合ったわけではありませんが、間違いなく私の人生彩った人間です。彼は同い年なのにも関わらず、ものすごく優秀な実績を持っている方です。
規格外の知性と行動力を持ち、本気で世界を良くしようとしている人です。正直私は悔しくなりました。
こんな人間がいるとは思わなかった。
私が必死で走っているトンネルの一番先の光っているところに立っている。
そんな存在です。逆光であまり見えませんが、確かに輪郭が写っていて、振り返ることもせず、ただ走り続けています。
なのに私は今立ち止まっています。
だから焦るのです。
それらを一本のトンネルと考えてしまっているこの軟弱な心が許せないのです。
でも私はこのトンネルの入り口を眺めてしまう。
なぜならその方が近いから。
近い分明るく見えるから。
このトンネルがいつ空けるのか、誰も教えてくれないのです。

今思えば、私の道行先に霧がかかり始めたのはここからだったのかもしれません。しかしこれはまだ序章。
新たな色に心くくる瞬間が、毎日起こり、この物語もまだ三週間ほどの出来事です。
私はどうなってしまうのか
いつか私も落ち着く時が来るのでしょうか。

人生に意味を問うてしまった。
木漏れ日が刺激に変わり、風が吹く度、お天道様が微笑み、さっと暗くなる。
時間が私を押しているのか引っ張っているのか、
それとも置いてきぼりにされているのでしょうか。

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