カタツムリと悪癖　（７）　月の時代・下

月の時代・下

　こっくりこっくり船を漕いでいるところに、男男女の３人組が左隣のテーブルにやってきます。男たちは半袖から刺青の入った腕をのぞかせて、大きく両足を広げて座ります。女は全身にスパンコールをくっつけたみたいな服に、やたら高さのあるヒールを履いています。

　　前回もここだった？
　　そうですね
　　え、マグロづくし
　　何が？
　　すませーん、カフェラテアイスで
　　あとチーズケーキ
　　ヘッドスパって美容室でやったの？
　　そう
　　じゃあホンモノのヘッドスパじゃないんだ

　男は片方の手で反対の腕をさすりながら、落ち着きなく首を動かし、もう１人の男はストローの袋を指で弄んでいます。女はスマホで一生懸命、何か文字を打っています。

　　ホンモノは、ここらへんにシャワーみたいなのあって
　　チョー気持ちいい
　　なんか最近おまえ飲むもの変わってきたね
　　お茶とかブラックとか
　　いや、その日の気分です
　　なんだよ
　　なんかあったの？なんか毎回イイカンジのとこでどっ
　　か行くよね
　　その言いかたやめてくれません？
　　抹茶ティラミスは？
　　ウマイと思うよ
　　夜は？
　　オレはフツーのでイイかな
　　オレら最近焼き鳥ばっかだな
　　たしかにそっすね
　　てかさ、六本木のスタバ行った
　　ヒルズの？
　　チャイ好きなんだよね、スパイスの
　　あー
　　ちょっとハラへったな
　　てか見て、この４つがそこ限定なの
　　あ、ほうじ茶いいね
　　行きたい、いつまで？
　　え、ゼッタイこれ、抹茶ティーラテもおいしい
　　これ好きなやつだ
　　うめえ、食べる？
　　おまえキャラメルマキアートしか頼まないじゃん
　　アライさんもそれしか頼まないし
　　同じかよ、よりにもよって
　　てかアライさん、ガラにもない
　　ラーメン食べたくて、みんなにオススメの聞いたの
　　秋葉原に行ったの
　　え、１人で？
　　で、魚介豚骨にした、家系はクサくなる気がして
　　ラーメンって海苔がうまいよな
　　あ、三田おいしいよ
　　ちょっとしなっとしたアレ、いいよね
　　つけ麺っておいしい？
　　あえて細麺で食うの好きなんだよな
　　あー、醤油系ね
　　これゼッタイうまいね
　　柴咲亭、シバサキさんがやってんだ
　　ケイオウ線の、自分家からちょっとのとこです
　　でも上北沢にも１店舗だけあります
　　あー、ここめっちゃうまそう
　　でも六本木にチョーおいしいつけ麺屋あるじゃん
　　行きたいっす
　　ラーメン食い行くか
　　席離れればいいっしょ
　　ウチがカウンター座るから２人テーブルでいいじゃん
　　オレらの背中見て食うってこと？

　クロード・ドビュッシーの「月の光」が静かに流れています。もうそろそろ日が傾いてくる時刻で、店内に昼過ぎのような活気はありません。どちらかというと、それぞれのテーブルでそれぞれの会話が、ぽつぽつと展開されています。さっきからこの３人がテーブルを囲んで麺類の話をしているせいか、私まで腹が減っているような気がしてきます。

　　てかさ聞いて、今日うどん屋さん行ったんだけど
　　スプーンで食べようとしたら、スプーンが
　　こういうカタチじゃなくて、こんなカタチになって
　　て、無理ってなった
　　はは、めっちゃ無理するじゃん
　　ラーメンすする練習したら？
　　YouTubeとかにあがってるじゃん
　　そういや、ネットで買うの？
　　ニキさんに電話しとくから
　　いなげや？
　　いやー、そろそろ柔らかいアイスクリームがおいしく
　　なってくる頃だ
　　あそこまた行きたい
　　北海道バニラアイス、モンブラン
　　ふー
　　何時に起きたの
　　１時っす
　　１時に起きて洗濯回して、シバさん起こして
　　全然寝てないっす
　　オレ風呂入ってすぐ寝たもん
　　シバさんよりオレ２時間寝てないっす
　　コウモトさん長い、サクッとって言ったのに
　　昨日飲んだのよ
　　サクッとって言ってたのに、全然終わんないもん
　　５時くらいに、さすがに
　　トモさんが火つくとね、もうダメだね
　　気をつけないと

　十草模様の器に置かれたチーズケーキが、フォークを差し込まれてだんだん小さくなっていきます。金属と陶器の触れ合うカチャリという音で、幸せが切り分けられていきます。私はアイスコーヒーを少し口に含みます

　　今日休みでよかった
　　昼職おまえどうなの？
　　ん、まあイイ感じ
　　そっか
　　もうグチが最近すごいんだよ
　　そんななの？
　　アレはけっこうチョー限界だった、眠くて
　　前日なんかしてて、そのまま仕事行って直飲みして
　　だりい、みたいな
　　ハコネさんは寄ってくる、ナカジマさんは直接ストレ
　　ス与えてくる
　　休日６時に呼び出されたからね
　　キツい
　　あん時１５分しか睡眠取れなくてヤバかったよ
　　なんかアラ煮を作ろうとしてたのね
　　でも作る工程が違くて
　　キッチンしかできない
　　ゼッタイくさいっすよ
　　マツダさんけっこうケッペキだからそういうも嫌いな
　　んだよね
　　タツロウさんもそういうの細かいから合わない
　　あ、今ＬＩＮＥ来たよ
　　すみません、寝過ぎたので今から出勤します、って
　　ヨウさん言いわけが正直すぎるのよね
　　マジメなんだけど、もうちょっと仕込みやってくんな
　　いかな
　　ウチの時、いっつもリョウさんいないんだけど
　　そうだね
　　うっさいなー、通知オフにしよ
　　ははは

　ここしばらく、喫茶店へ足を運んで聞き耳を立ててみて、わかったことがあります。たまたまそこに居合わせた人たちの会話を聞き続けてみて、気づいたことがあります。それは、少なからず私が彼らに感情移入してしまうということです。すなわち、彼らと旧知の仲のような気がしてくるのです。これまで会ったこともない彼らにです。おかしな話だと思うでしょうが、本当なのです。会話を聞き続けると、その人がどんな性質の人間かが、赤の他人の私にも少しずつつかめてきます。これはちょっとやそっと聞き耳を立てるのではダメで、それなりに長い時間彼らの中で交わされるやりとりを拾いつづける必要があるのですが、そうすることで次第に断片的な言葉の数々が徐々につながりを持ちはじめます。どんな職場に身を置いているのか、ＴシャツのサイズはＭかＬか、どんな女がタイプなのか、なぜ今機嫌が悪いのか、そういった一見どうでもいいような大したことない情報の１つ１つが、実はその人物をあらゆる方向から照らすスポットライトのようなはたらきをもって、一体どのような背景にその人物が存在しているのか、その輪郭線みたいなものを浮かび上がらせているのです。

　これはたいへんな発見でした。こんな平然とした公共の空間を、数え切れないほどの言葉が飛来している。私はそれを１つずつ捕まえて、手帖に書いてゆく。そうして、あらゆる人間模様が丸裸になってしまう。その危うさに気がついているのは私だけで、あとはみんな丸裸でテーブルに向かい合って、気にもせず、おしゃべりに夢中でいるのです。ここにはパブリックなプライバシーが充満しています。これは事件です。私はにわかに恥ずかしく、罪悪感を覚えました。しかし、その感情の発露を押しのけて、もっと巨大で背徳的な好奇心がむくむくと膨れ上がり、店の天井を突き破らんばかりに姿を現したのでした。

　ですから、私はこれを書かねばならない、という強い使命感——もっともこれは好奇心に従順な私の勝手な錯覚に過ぎないのですが——、もう夢中になってなおも聞き耳を立て店に存在しているのでした。そんな私のいきさつも露知らず、この３人組はタバコをうまそうに吸っています。

　　なんで休まないんだろうな
　　メンツ的には休めるんですよ
　　キョウグチさん、帰る帰るって言って、焼きバー行っ
　　てタバコ
　　やば
　　でもなんかけっこう、そん時のリョウさんの会社、人
　　に関する話多くて
　　意外とマジメな話をしてくんだよね
　　カズナに関してはひっぱたいてもいいと思いますけど
　　ね、つって
　　はは
　　リョウさんがひっぱたいてもオレがフォローできるし
　　役員です、って言うと、えっバイトじゃないの、って
　　なんでこんなとこいんの、って言う
　　こんなとこって自分で言っていいのかな
　　タツロウさん、１世代上ですもんね
　　いや、オレの５コ６コ上くらいじゃない？
　　いくつ？
　　３０
　　じゃあドンピシャですもんね
　　タツロウさんは、嫁子ども兄弟いるから酒やめたって
　　言ってたし
　　その理由カッコいいっすね
　　オレも同じ理由だから
　　なんでこっちチラ見すんだよ

　男が大きな声を出して、女が笑います。大きな声で話されると、実際なんてことないような内容だとしてもそれが面白く、笑うに足るユーモアだとして錯覚する現象があるような気がします。決してこの男が面白くないというわけではなく（私はそれを判断するに値しないのですが）、世の中にはそういうことがあるなという一種の観測にすぎません。そして、肝心の私はそもそも面白げな話を人前で披露するなどという機会も資質も持ち合わせておりませんから、いよいよこの話題をどう着地させるべきかわからなくなります。ともかく、ふとそんなことを思ったのでした。３人はなおも話を続けています。

　　でもさ、たまにキッチンどばーって入ってきて、ガ
　　チャンって閉めて行っちゃうよね
　　ショウさん痩せたよね
　　ウチも言った
　　そしたら、やってるラーメン屋がいま閉まってて、そ
　　れで行くとこなくて痩せたって言ってた
　　じゃオレ、ショウさんとラーメン行くか
　　あの時はでもメンツ面白かったよね
　　テツさんやめたらしいよ
　　今そっちの店やってるしね
　　でもテツさんて元々職人気質でもないし
　　年だし、寿司やりたくてってワケじゃないんじゃない
　　ヤスさんが、おいテツ来たぞ、って
　　ヤスさんオレのこと大好きだったなあ
　　テツさん嫌いな人への態度がバカおもしれーんだよね
　　オメエ使えねえんだよ、どっか行け！つって
　　オレもテツさんに、管理工できんかおまえ、つって
　　テツさんがそう言う時は若干バカにしてる時だから
　　でも結局ハッチのこと狙ってたんじゃないかって憶測
　　アイツ自分のこと好きだったら誰でも好きだから
　　ココアあんだね、ここ
　　こういうとこのココア、絶対ウマイ
　　てか、ヨネさん突然帰りましたよね
　　オレあの人に引き留められたのに
　　おい飲み行くぞ、って言ってたのにいきなり帰った
　　から
　　さみしくない？ソレ

　少し冷房が寒く感じて、私はシャツの上にもう１枚羽織ります。この季節は外に出ると暑く、それでいて店の中は空調のせいで薄ら寒いので居場所に困ります。無論、用のない客は早く帰っておしまいよ、ということなのかもしれません。それでもやはり、アイスティーのグラスを傾けながら、耳だけはこの３人の会話に同席しています。

　　ホテルってめんどくさくて
　　派閥がすごいんだよ
　　カズマ一派、シバサキ一派、マリル一派って分かれ
　　てて
　　肩ぶつかっただけで、てめえ何してんだオイってなる
　　くらい
　　宴会料理長、単品料理長、総料理長にも分かれてて
　　そりゃケンカもするわ
　　帝国ホテル、とか大きいところほんとヤバイらしい
　　ほとんど会社ないって
　　ウチの知り合いも帝国でマネージャーやってて
　　ちょっとカッコイイ風の人
　　そっから有楽町下りてきたんだけど
　　あの、ツジモトさん？
　　あー、そうそう
　　ホテルってそんななんだ
　　結局つぶし合いなわけじゃん
　　だからオレも当時、イケイケのふりしてたもん
　　ヨシモトさん自体すごい、あのタバコの話したっけ？
　　初日にタバコ吸うって言って
　　キッチン行って、バーンってドア閉めて、ＪＣＴって
　　いう大きな団体あんじゃん、あそこの名刺出して
　　で、「換気扇あるから大丈夫だろ」って言って
　　あの人、そういう精神だから
　　でもこの前も、和食の本出してて、あの人そういうと
　　ころにも呼ばれてるのよ
　　だからまあまあエラい人なんだけど
　　その点、リョウさんは好き嫌い関わらず、その人をど
　　うこうしようって気持ちがあるから
　　いやだからホント、リョウさんで良かったなあ

　１７時２７分。スマホに触れて画面に目をやると、もうそんな時間です。ずいぶん長いことここにいることになります。アイスコーヒーはまだ少し残っています。グラスの外側についた水滴を左手の指で拭き取ります。これは私の癖なのでした。

　ガラガラと車輪の音を立てて、キャリーケースを引いた集団が来ます。店員に連れられて私と同じ円卓に向かい合うようにして座りました。男が４人。コーヒーサイフォンがあるのでお互い顔は直接見えませんが、話し声ははっきりと聞こえてきます。キャリーケースの他に、音響用の機材か、楽器らしい荷物も見えます。全員がアイスコーヒーを頼み、そのうち１人は鞄からレッドブルを出して横に置きます。カフェイン多量摂取の布陣です。

　　西新宿は新宿じゃないんだよ
　　レギオンの隣にあるから
　　行ったらわかると思うよ
　　マジほんとに路上
　　いうてさ、路上ライブって公園とかさ、代々木みたい
　　な広場のイメージじゃん
　　マジほんとに路上、この前の通りみたいな
　　意外とできちゃいそうな気がする
　　池袋中央公園はスケボーとかもバチバチやってるらし
　　いからイケるっしょ
　　でもゲイがいる
　　そういうとヤッチ嬉しそうなんだよ
　　この顔がそう見えるかよ
　　まあでも新宿か池袋あたり抑えるとしたらソコかなー
　　渋谷は？
　　渋谷も、全然やるつもり
　　これ見て
　　全然イケてんじゃん
　　ここバスタの前
　　イケるじゃん、ここも
　　これジャスティンの曲だ
　　Love Yourselfなんてデカいとこのやってんじゃね
　　えよ
　　もっとディープなのならまだしも
　　正直言って、演出するような場所じゃないワケよ
　　マジの路上だから
　　ちげーよ、たぶんリスナーとかいるワケよ
　　池袋だと、近くリスナー通っても２、３人とかだし
　　あと地方だよね
　　地方はまあイケるでしょ、こっちより全然ユルイし
　　静岡は地下道みたいなとこあるし
　　リスナーとか知り合いに聞けばいいよ
　　名古屋と大阪と、あと北海道
　　大阪はイケる
　　逆に北海道はしんどい
　　ライブやってる人いたけど、やって欲しくないらしい
　　地域性がめんどいのよ
　　ダメだったらすぐ移動できるようにしておく必要ある
　　道内はうるさいとこばっかなのよ、大通り前と主要な
　　公園は
　　電車で来るやつもいるしね
　　大通り公園ならアクセスできるけど

　路上はその街の性格が最もよく表される部分だと言えます。新宿はよく駅前の路上で大道芸や演奏をしているのが見れますし、池袋に関してはルールがないのがルール、的な混沌があります。西側の駅前で新聞紙の上にあぐらで将棋をさしたりしているのはざらで、地下通路で酒飲みがひっくり返っているのが常です。上京したての当時こそ、私はその無秩序な光景にあからさまな嫌悪感を示していましたが、今となってはその収集のつかなさ、不清潔さこそが東京の愛おしさであると思い始めているのですから、おかしなものです。コンクリートに囲まれて排気ガスを浴びつづけたせいで頭が悪くなったのかしらと心配になりますが、よくよく考えてみれば、東京のど真ん中、古びた喫茶店で聞き耳を立てながら必死に手帖へ何かを筆記しているこの青年坊主、この男自身もまた東京というカオスを構成するのに立派に一役買っているに違いないのです。それを棚に上げて、見物者気取りでこんなことをぬかすわけですから、まったく笑えます。

　そしてこの４人の男たちは、何か、音楽には一家言ありそうな感じです。

　　前から思ってたけどさ、おまえ飲むの早すぎな
　　部活終わった後の高校生みたいな、スポーツドリンク
　　みたいにガブ飲みするじゃん
　　混んできたな
　　いいとこだろ、ここ
　　カップ並んでんのかわいいな
　　いっぱいあるしな
　　まあサイアクさっき言った通りの、川崎あたりでやる
　　のはアリ
　　緊急事態宣言出てないから、止められない
　　河川敷とかは５０００人くらい入るんじゃない？
　　ははは
　　たぶん絶対客は見ると思うし
　　ネットだとしてもね
　　向こうでデザイナー用意するよね
　　うん、やっぱりクオリティ違うと思うから
　　ヴィレヴァンもつなぐよ
　　めっちゃ回ってんじゃん
　　まあでも、やって損はないんじゃない
　　ミーハーはマルキューでやってんのスゲーってなる
　　から

　向かって右端の顎髭を生やした男は片方の耳にワイヤレスイヤホンを入れたまま、話すのに合わせてリズミカルに相槌を打っています。はたして相槌なのか、ミュージックに対するヘッドバンキングなのか定かではありません。私は、微妙にグラスの底のほうに残ったアイスコーヒーを一息にあおりました。

　　こっちでお金払って出るワケじゃないから
　　デザイナーとかイラストレーターを向こうで用意す
　　るって言われた時に、事務所がどう思うかだよ
　　まあ要するに、コラボグッズとかを用意して売るって
　　なった時に、何をコラボするって
　　１０９だよ
　　でも普通にグッズとかってバンバン作って出すってい
　　うのは、頭打ちだな、というか
　　ＣＤに付加価値をつけるためにグッズつけるのはオレ
　　もいいと思う
　　まあ、交渉しようよ
　　ボクらだったらイケるでしょ
　　店頭に置いてもらえばいいワケだしさ
　　でもズルいのはさ、向こうがさ、アイデアをテレビ電
　　話の時まで出さないじゃん
　　打ち合わせには最低２人で行かせたほうがいいと思う
　　ただ、マルキューのいいところは、田舎の学生とかが
　　来るから
　　ネットで拡散すれば効果的だと思うう
　　それこそ限定にして、こちらも提案を出していって
　　別に１０９とずっとやってくワケじゃないし、単発
　　だし
　　ウチらが今後やっていきたいことを基準にして、ＮＧ
　　出しつつ話をするべきだな
　　たぶんスダくんとかの持ち込みだって、ツイッターか
　　らというよりは配信者につなげて広げていった感じで
　　オレらから言わせれば、アレはクソ
　　YouTubeとかでも、おすすめとかに全部出てきたり
　　ああいう、使われれば何でもいいスタンスではない
　　じゃん、ウチらは
　　ＣＤ捌くことだけが目的か？っていう
　　別に公式に送ればいいじゃん
　　まあ、交渉次第
　　今後来るよ、たぶん

　４人のうち、キャップを被った１人がリーダーといったところでしょうか。おそらくはこのグループとしての進路を案じているように見え、方針や戦略についてやりとりをしているのが聞こえてきます。なにせ向かいの席ですから、その真剣さたるや、赤の他人といえど同じ円卓に同席している者として身の引き締る思いです。

　　めっちゃ引き合いに出して悪いんだけど、ためになら
　　ないブランディングって、盲目的だと思うんだよね
　　セラちゃんとかどう思う？
　　ブランディング間違えた時に、結局何がしたいの？セ
　　ラちゃんに何があんの？って言われれば、わかんない
　　じゃん
　　そういうところが自社で展開してる、信念もある
　　イラストレーターもちゃんとつけてブランディングし
　　てるところと比べられたとして、太刀打ちできないワ
　　ケじゃん
　　それでもバンバン売れるようになったとして、１０９
　　のしょうもないイベントに手を出したり、会社ぐるみ
　　で企画やったりするなら、そのブランディングまで
　　持っていかないと意味ないと思う
　　そこを飲んでくれるとこじゃないと、長い目で見て危
　　うい気がする
　　１つ、切り札としては、ナオボーが西野カナのとこの
　　社長に気に入られてて
　　そこになんとか紹介してくださいって言えば、検討し
　　てくれるらしい
　　ＹＯＡＳＯＢＩも絵師がいいんだよ
　　だからＬＩＮＥマンガで連載持って大きな展開につな
　　げてく道も作ったりとか
　　要は、小さい企業案件をやっていくことがオレらのプ
　　ロセスにどう影響してくるかを、見定める必要があ
　　るってこと
　　サンミュージックがだいたいこんくらいのギャラでっ
　　て言って、あの、とんねるずとかの放映もやってるん
　　だけど
　　オレら、同じ枠でもっとしゃべれそうじゃん
　　うん
　　それをユニバーサルの社長にに話したら、やりたいっ
　　て言ってて
　　オレはツルマキの良いところが、市議会とかの後ろ盾
　　があるってところで
　　バックアップね
　　そう、でも、そこに裏切られるとキツイなって
　　どっちかっていうと市議会議員とか区の役員とかは町
　　おこしに使われる活動ではあるから
　　ＹＯＡＳＯＢＩのほうは、マンガで売り込みするのが
　　いいと思ってて
　　そこが２、３段階したら同じように売り込むのが得策
　　だなって
　　ＳＯＮＹも同じで
　　だからほんとは会いに行って、若い人のパワー好きだ
　　から、そういうのって応用できると思うんだよね
　　そこから地方とか、例えばじゃあ山口でやりたいで
　　すって言ったりとか
　　ただ、そういうとこだよね
　　余計なものを入れたくないってこと

　窓枠から覗く外の色は暗い濃紺に変わりはじめて、客も徐々に帰りはじめます。人のいなくなったテーブルにスプレーを掛けてから、順々に拭いていきます。１８時４４分。ここは１９時には店仕舞いなので、店員はその支度で動き回っています。私もそろそろ帰ろうかしら、と頭では思いながらも、尻に力が入らず椅子から立ち上がれずにいます。ミュージシャンと見られるこの４人は、尚も熱い音楽談議に花を咲かせています。

　　コンちゃんが言ってるのもさ、信じられるものだけを
　　入れていって、価値を下げないように守っていくって
　　いう
　　まあ、そういうこと
　　だから法人化っていうのも、横のつながりじゃん
　　そういう戦いかたになっていくっていう変化
　　あとはナオボーにも言ったけど、女の子を使うだとか
　　髪の毛も巻いたほうがいいね
　　弁護士もついてるっけ
　　弁護士？
　　それは大丈夫、親戚に１人いる
　　全て必要なもの揃えるのはイケる
　　でも、人見て選ばないと後々響く
　　そういうのが会社の難しさ
　　レペゼン地球の見ました？
　　アレは会社を完全に抑えられてて。曲の権利も名前も
　　使えないって
　　だからウチでいうとイワモトさんが全部持ってて、っ
　　ていう
　　でもアイツ、６０００万の借金あって、それを元は手
　　引きした人がバックにいて、でも何か抜かしたら役員
　　権限でおまえクビねってなって
　　それは正直バカだね
　　フツーに考えて個人のレーベルって言い張ってるけ
　　ど、フタ開けてみれば半々でもなんでもないじゃん
　　だから、オレもナオボーに全部自分の銀行口座から出
　　資して、しっかり上と下を決めてから進めろって言っ
　　てあるし
　　オレも口を酸っぱくするくらい言ってるワケだけども
　　じゃあ株のトレーダーもやってるってこと？
　　いや、それは一部上場して、自分の会社の価値を開放
　　して出資を募るっていうシステムじゃん
　　でもそれだと金のあるやつに買い占められちゃうか
　　ら、独占禁止法があるから
　　まあでもサイアク５１％持ってればいいから、５１％
　　会社の場合は金利が１.１割で借りれるから、１千万ま
　　でいける
　　そこから資本金に突っ込めばいいはずだから
　　コケても痛くないじゃん、それだと
　　自分の資本から外れちゃうカタチで事業展開すると痛
　　いのよ
　　さっきの１０９のやつもそう
　　ただ、それくらいのメリットがあるかって話
　　知名度がどの程度広がったかっていう、数値化できな
　　い部分で判断しなきゃいけない
　　難しいよね

　私は床に落ちたペンの蓋を探して、テーブルの下を覗き込みます。屈んだ頭上の天板越しに声が反響しています。人の声と木は相性が良いのかもしれません。よく音が響いて、ギターのサウンドホールの中にいるみたいな気持ちになります。蓋は意外にも自分の椅子の脚のそばに転がっていたのでした。拾い上げて顔を上げようとして、天板に頭を打ちつけました。鈍い音がします。この音はあまり美しくありません。あくまで平静を装いつつ、内心顔をしかめてテーブルに座りなおします。その間にも４人の話題はポンポンと移っていきます。

　　ワークマンが売れた理由って知ってる？
　　立川に店舗があったんだけど、ワークマン女子ってい
　　うのを打ち出して、アパレル路線に変えたの
　　それで認知が広がったって言われてる
　　そういうとこのコンサルタントができないと
　　だから、いくつぐらいの人にターゲティングするのか
　　ブランディングを組んでく必要はあるよね
　　ほんと頭打ちの勝負だと思う
　　そういう視点で１０９をどう捉えるかっていう
　　正直オレは、法人化も含めて二の次だと思う
　　今だと公式化、グッズ販売、これからやろうとしてい
　　る路上ライブ
　　そこを含めた活動っていうのがオレらの軸で、それに
　　乗せていかないと強固になっていかないと思う
　　だから火がついたら強いと思う
　　オレ一つのことしかできないから
　　ヨシノリは器用だから、レコーディングも自分の放送
　　もやって
　　でも来る気配があんだよね
　　謎の追い風ね
　　適当にやってたことが軌道に乗ってきて
　　まあだから、これはチャンスよ
　　口座の中にオレ、なにかの時のために１０万入れてて
　　それをこの間ナオボーに引き出しといてもらおうと
　　思ったら、５０円しか残高になくて
　　やったわオレ、って
　　ははは

　４人はiPadを囲んで談笑しています。横並びに座っているために、両端の２人はほぼ立ち上がって画面を覗き込んでいます。私はその様子を尻目に帰りの支度をはじめます。来る時に手帳を無造作に押し込んだせいで、鞄の中で少し角が折れています。最近は、こういう些細なことであまり落ち込まないようにしています。大人になったというよりは、自分の愚かさとその因果関係について理解が深まったのだと思っています。もうほとんど客は引きはらって、残るはこの集団と他数名になりました。４人は各々の荷物をまとめ出し、店の照明も一段暗くなります。１日の終わりが近づいてきます。

　　新宿で飲み行った時にその話してたのよ
　　たしか女の子もいて、ヤスシがすごい酔ってたから
　　そこで金使っただろ
　　この話は公開ＮＧね
　　はは
　　これはブランディングに関わるから
　　そりゃそうだ
　　でもコンちゃん若干、恋愛体質みたいで
　　１回レコーディング呼ぶしかないな
　　泣かせちゃうよ、これは
　　捨てないでください、って
　　はは
　　というわけでフルレコードで売り上げを作ります
　　ナオボーはアルバム編集してもらってるから
　　いかんせん優しすぎるから、向こうにナメられてるよ
　　何言ってもいいと思われてるでしょ
　　服なんかすごかったね、何個も着替え出して
　　アレは大変だった
　　ただ、稼ぐとは思う、ちゃんと言えば
　　あ、ご飯行きます？
　　韓国料理屋行こう、この前の
　　おまえいくら下ろした？
　　オレに奢るぶん持ってきた？
　　あるよ、１０万しっかり
　　おい、それオレの１０万だから
　　こういうことだったか
　　ナオボーいくら？
　　うわ、４８１円
　　今月の電気代だよ
　　オレ２万５０００
　　オレも２万くらい
　　うらやましいわ
　　あ、これ持ってほしい
　　いいよ

　もう１９時になるようで、わらわらと席を立って行くこの集団のあとを追うようにして私も店を出ました。暗いはずの夜空は真下から街の灯りに晒されて鈍く灰色に見えます。星はあまり見えません。見えないですがちゃんとあって、それを私は知っています。田舎の山奥なんかで見上げると満天の星が見えるでしょう。その空と同じ空です。ここでは星は見えません。かわりに地上の光に照らされた空が見えます。見上げる場所が変われば見えるものも変わります。空に限った話ではありません。１つの場所に居続けていてもその変化に気づけません。私は今東京にいて、山奥の空を想いながらそんなことを考えています。東京の空はだいたいいつもこんな風です。店の中の照明が消えたのを見届けてから、帰路につきます。サンダルのかかとを路面に打ちつける音が、眠らない街に乾いた反響を残すのでした。

（８）へつづく

※このnoteには文庫本『カタツムリと悪癖』の本文原稿の一部を掲載しています。マガジンからバックナンバーがご覧いただけます。この物語は実体験にもとづくノンフィクションですが、登場する人物名などは、すべて仮名にしています。