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海のまちに暮らす vol.30|惑星のかけら、エンドロール

〈前回までのあらすじ〉
電車はどこまで走っても元の場所に戻ってくる。僕はいつもマグカップのことを思い浮かべる。

 昼に図書館で蔵書の整理をしている時、あ、今晩は映画を観ようと思った。休憩室にとぶWi-Fiは弱い。今飲んでいるパックのオレンジジュースぐらい、薄い。でもなんとかレイトショーの予約を入れて、18時退勤に合わせて自転車にまたがる。日中なかなか暑いので、福浦方面のアスファルトも必然的に熱を帯びている。桃色の夕焼けが明日も天気の良いことを僕だけに知らせつづけていて、自転車はペダルを漕ぐから車輪が回るのか、車輪に合わせてペダルが回っているのか僕はわからなくなる。家へ帰って熱いシャワーを浴びる。

 真鶴駅の無人プラットフォームの上を黒々した風が南北に乗り越えてゆくあいだ、iPhoneのミックスリストから、スピッツの惑星のかけらというアルバムの、惑星のかけらという曲が流れていた。〈骨の髄まで愛してよ 僕に傷ついてよ〉そんなことを言えてしまう人間の深遠な矛盾を歌にできたスピッツがうらやましいと思う。おそらく僕はスピッツにごく健全な嫉妬の感情がある。そして、嫉妬の対象を注意深く凝視していられる不幸な忍耐力が備わっている。だからスピッツをわりによく聴く。持ってきた文庫本は明るさが足りないので読むことができなかった。

 最寄りのシアターであるTOHOシネマズ小田原をGoogleマップで検索すると、予想に反して赤いピンはJR小田原駅からおよそかけ離れた地点を指し示すのだった。小田原は表面積がけっこう広いから、〈一応、小田原〇〇という名前だけど、実は小田原駅からだいぶ離れているんです、ごめんなさいね〉というような施設が多い気がする。小田原フラワーガーデンも、フレスポ小田原シティーモールも、マカロニ市場小田原店も、例にもれず小田原駅から少なからざる距離を置いている。その晩、僕は鴨宮駅から夜道を歩くルートをとる。

 初めて下車をした鴨宮駅はしんとしていた。水曜も終わりに近づいた住宅街には、夜の小川の底のような湿度をはらんだ暗さが流れていた。iPhoneのディスプレイが眩しすぎると思った。昼間の街の様子を知らないせいか、明かりのない家々のあいだを縫うように進んでいると、自分がたいそう小さくなって、おびただしい虫の死骸の重なりの中を歩いているような気分になる。風が生温かく心地よく、少し甘くて不快になる。硬直した外気の膜を高速で新幹線が突き破り、走り去る窓の四角い照明がオレンジ色の破線となって中空を縫い合わせ、それは今何よりも速いし、速い。一方、僕はTOHOシネマズ小田原へ着く。

 エントランスに客が全然いないので、間違った場所へ来てしまったのかと不安になったけれど、エスカレーターに運ばれた先にはいくらかの人々がいた。チケットを発行してトイレに入ると芳香剤の匂いが効きすぎていて、これはもはや芳香ではないのだなと考えているあいだに上映時間になる。肘掛けにのせた肘の、肘にとって最適なポジションをみつけるための165分。〈エンドロール〉。

 再び鴨宮駅まで歩きながら、自分は実際そこまで映画を観たくなかったのかもしれないと思う。でも昼間、映画を観る必要があるように感じたのは、いたって真面目に本当の、現実的な現象で、そこには一切の不純物を差し挟む余地もなく、そういうことがあると、自分のことを自分がいちばんよくわかっている、なんて嘘なのではないかと思うのですが、そういうことってみなさんにもありますか。僕にはしょっちゅうあります。

vol.31につづく




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