編集者は本をつくるたびに洗脳されている!?
今宵、本の深みへ。編プロのケーハクです。
今回は、「編集者は自分がつくった本の影響を受けまくる」というお話をしたいと思います。
皆さんは、一冊の本がどれくらいの制作期間でつくられるのかご存じでしょうか?
書籍の制作期間は、数年かかるものもあれば、場合によっては2〜3ヵ月という非常に短いスパンで完成させるものもありますが、ざっくり平均すると半年くらいかかります。
一冊の本に付き合う期間はけっこう長く、その間、その本で扱うジャンルについてかなり研究することになりますし、著者の考えや主張というものを芯から奥深く理解することになります。
つまり、編集者は企画ごとに“半年間の洗脳”を受けているみたいなものなので、「つくった本の影響を受けないわけがない」ということです。
キャリアの長い編集者の多くが、「ハイブリッドな専門家」のような人格に形成されてしまう(蘊蓄が凄まじい)のは、このせいです(笑)。
そして現在、私を洗脳しているのがこの本。
『図解版 人類の起源』篠田謙一 監修(中央公論新社)です。
この本は、国立科学博物館長の篠田謙一先生の新書ベストセラー『人類の起源』(中公新書)をビジネスパーソン向けに図解版としてリメイクしたもの。親本が存在するものの、篠田先生に追加取材を行い、新たな情報も加えているため、制作期間は約10ヵ月を要しています。
この本のテーマは、人類史を長いスパンで捉えること。約700万年前に人類の祖先がチンパンジーとの共通祖先から分岐して以来、いかにして現代人の集団が成立していったのか? という人類の壮大な旅路が書かれています。
そして、全体を通して伝わってくるのが「私たちは、ホモ・サピエンスというひとつの種である」というメッセージ。
民族とか、人種、国や地域とかの括りは、いまだに問題の火種になることが絶えませんよね。つい先日のアカデミー賞授賞式でも人種差別の問題が炎上したばかり。
マイノリティの問題や、さまざまなハラスメントの問題が毎日のように糾弾され、世界では戦争による悲劇が現在も続いています。
このような状況から、最近は「多様性」という言葉が叫ばれ続けていますが、この本の制作に携わってから、私たちは元々多様性から生まれた存在であることを初めて「ちゃんと知った」ような気がしました。
多様性とは、相手を理解することから始まると思いますが、自分とは違う「他者」を積極的に理解しようとするとき、なんとなくその対象を「枠」に括ってしまっていませんか?
「日本人は」「アメリカ人は」「中国人は」「男性は」「女性は」「若者は」「高齢者は」などと、カテゴライズして枠に括ると、なんとなく理解できたような感覚になり、自分が理解しにくいものに関しては特にざっくりとした大枠で捉えがち。
ところが、自分に近しい存在、例えば友人や家族になると大枠でカテゴライズせず、それぞれの個人として認識し、その複雑多岐な存在を自然と受け入れているはずです。
このような思考のクセによって、自分が理解できない存在を「ざっくりとした枠」で括ってしまうと、対立や分断を生んだりし、ロクなことにならないような気がします。
極端な話、親友が「LGBTQ」だったり、国や人種が違かったりするからって気にするか? という話。近い存在だと自然に多様性を受け入れているのに、遠い存在ほど「分類して」突き放す感じに。
この本の内容を追っていくと、「この種は純粋な種。この民族はこういう起源を持つ」といった明確な区分けをすること自体に意味がないと思うようになります。
そもそもホモ・サピエンスという種自体が「純粋種」ではなく、ネアンデルタール人やデニソワ人といったほかの人類と交雑しながら進化していった、グラデーションのような存在だから。
そうなんです。私たちの祖先にはホモ・サピエンスですらない別種の人類を受け入れ、交雑していたという事実があります。それって、同じサピエンス種でありながら、民族や人種の違いで対立してしまうような現代の感覚からすると、ものすごく多様性のある社会だと思いませんか?
アフリカ大陸で約30万年前に誕生した私たちホモ・サピエンスが、世界に拡散したのが6万〜5万年前。そこから地域を行ったり来たりし、当然国とか関係なく、長い年月をかけて混ざり合ってできたのが現代人の集団。
日本人だって、いろいろな地域から日本列島に流入してきた人類が、めっちゃ交雑して、千年以上も集散離合を繰り返してできた集団です。たまたまそこに行き着いて暮らすようになったホモ・サピエンスというだけ。
人類という長い歴史のスパンで捉えると、そういう人種や民族、性別や世代、個性の違いというものに対し、大枠に括って別物扱いすることになんの意味があるのだろうと感じるようになりました。そもそも「純粋な民族」という考え方自体が成立しないように思います。
争いごとごとや対立が絶えない今の社会に閉塞感を抱いている人は少なくないと思いますが、この本を読むことで、少し違った視点を手に入れることことができると思います。
気持ちが大らかになるというか、本当の多様性ってなんだろうね、という気づきのきっかけになるのではないかと。
以上が、10ヵ月間の洗脳を受けた、私が感じたことです(笑)。
現在はまた、ほかの洗脳を受け始めておりますが……。
文/編プロのケーハク
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