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中年編集者はどう生きるか

「四十不惑」なんて知らない

 島田潤一郎さんの書く文章が好きで、寝る前に読むのがほぼ日課になっています。
 どうしたらこんなに優しく包み込むような文章を書けるのか。万事に肯定的で本への愛情にあふれていて、読んでいると本をつくる仕事をやっていて良かった、明日も頑張ろうと思えるんです。

電車のなかで本を読む』(青春出版社)。寄り添うような文章が染み入る。

 『電車のなかで本を読む』(青春出版社)は島田さんが感銘を受けた本、面白かった本、救われた本を紹介していく読書エッセイ。こういう本にありがちな押しつけがましさが全くありません。
 それは島田さんが「昔は読書が大の苦手」だったからかもしれないし、あとがきで書かれているように「すべての人が本を読む必要はない」という考え方からくるのかもしれません。
 本が好きで好きでたまらなくて、たくさんの人に読んで欲しいはずなのに、猛プッシュはしない。でもどの本も魅力的に思えてきて、読みたくなります。

 そんな島田さんが同書の中で荻原魚雷さんの著書『中年の本棚』(紀伊国屋書店)を紹介していました。近くの書店に取り寄せて読んだのですが、これがとても良かった。

中年の本棚』(紀伊国屋書店)。自らの悩みを打ち明けながらの読書案内に引き込まれる。

 ミドルライフ・クライシス。中年の危機。
 中年期特有の心理的危機のことで約8割の人が陥ると言われているようです。辞書で調べると、中年はだいたい40代から50代ぐらいとされています。最近は30代後半も含むことがあるとか。

 人生折り返し、登り坂よりも下り坂になることが多く、先が見えてくる。今までできていたことが少しずつできなくなっていく、仕事なら今までのやり方が通用しなくなっていく、気力や体力も衰えていく、好奇心や興味の幅も狭くなる、といったことが重なり、落ち込んだりイライラしたりすることが増える。うつ病や不安障害になることも珍しくないそうです。

 『中年の本棚』は自身も中年であり古書収集が趣味の文筆家である荻原さんが、小説やエッセイ、自己啓発本まで中年をテーマにした本や文章を引用しながら思索している一冊です。作家たちがどのように中年期を過ごし、中年と向き合ったり逃げたりしながら乗り越えようとしたのか、たくさんの葛藤やヒントが散りばめられていました。

 自分も40代ど真ん中なので他人事ではなかったです。

 甲子園で白球を追う高校球児が同世代ぐらいの感覚だったのが、いつの間にか子供のように見えたときはいつだったのか。活躍している人がいると生年月日を見て、自分より年上だと安堵し、年下だとへこむ。さっき名刺交換した人の名前を思い出せなかったり、メールのレスポンスが遅くなったり、的確な表現が出てきづらくなったり、足先を机の脚にぶつけることが増えたり(衰えは先端かららしい!)。ジワジワ迫っている感覚はあります。ああ、これが老化というやつかと。

 同年代に聞いても、無理が利かなくなった、という話はよく聞きます。
 中年同士の会話では「アレアレ病」も頻発します。有名人の名前などが出てこず「あれですよね」「そうそう、あれあれ」「なんでしたっけ?」「だから、あれだよあれ」で会話が終わるやつです(自分で思い出さないと脳回路が復活しないと信じているのでスマートフォンには頼らない)。

 とにもかくにも、今までのやり方に固執することなく、チューニングしていくことが大事だと思いました。無理が利かないなら、無理しすぎない。バリバリやるのではなく、力を抜けるところは抜いて持続可能なペースを保つ。スピードが落ちたならより効率的に質を高める工夫をする。衰えることは退化ではなく成長の一歩であるとこの本を読んでいて気付きました。

 『中年の本棚』に収録されている『「四十不惑」考』は目から鱗でした。
 プロ野球選手としてのキャリア晩年を迎えつつあった中年期の野村克也が、ある本で「四十不惑」ではなく「四十初惑」という言葉に出合ったというエピソードが紹介されます。

 「四十不惑」はあくまでも人生50年時代の言葉であり、今は「四十初惑(四十ニシテ初メテ惑ウ)」だといい、人は40歳になって「初めて人生の方向を模索・確定する」と述べています。
 人生100年時代とするなら、「四十不惑」は「八十不惑」ぐらいでしょうか。

 『中年の本棚』は中年の危機に対する特効薬が示されているわけではありません。でもこの本で紹介される心構えを知っているか知っていないかでは生き方も変わってくるような気がしています。同じく中年期を生きる島田さんは『電車のなかで本を読む』の中で「夜通し語り合える友人ができたような気持ちになる、そんな一冊」と評しています。

 そういえば、チンパンジーにも中年の危機があるという話をどこかで読んだ記憶があったと思い出し、検索してみたらありました。

類人猿も“中年の危機”を経験
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7089/

 ある意味、人類の宿命ということで、無駄に抗いすぎることなく、受け入れるが吉かもしれません。この本を読んでいると、老化も悪いものではないと思えてくるから不思議です。

・できないことが増える。つまり、余計なことをしない。
・選択肢が減る。つまり、迷いがなくなる。
・興味の幅が狭くなる。つまり、あれもこれもと右往左往しない。
・体力が落ちる。つまり、早く寝るようになる。
・記憶力が落ちる。忘れたほうがいいこともたくさんあるはず。

 しかし、やっぱり編集者としてはどうなのか。
 同じのような悩みを抱える人がたくさんいるはずだから、そういう人に向けた本の企画を考えようというのは編集者としてのあるべき姿勢だと思うのですが、なぜかそんな気力がわいてきません。これが中年のせいなのか、そうじゃないのかは謎。
 四十初惑ということで、まだまだあがき続けたいと思います。

文/アワジマン
迷える編集者。淡路島生まれ。陸(おか)サーファー歴23年のベテラン。

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