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さいさんの地方創生 note【能登半島地震が表出させた現在地⑦・対話とヴィジョン】

表面的課題をとにかく潰していくことに自治体が汲々としてしまい、戦略なき戦術対応であらゆるコストが増大し、公務員の負荷は正比例でうなぎ上りになるでしょう。しかし一方で、そこに暮らす市民の心は反比例して地域や自治体から離れていき人の流出が加速化する。東北沿岸部でみてきたシーンが、能登でも今、繰り返されているようにしか見えません。

例えばこうした分岐点と呼べるような状況で企業や個人の支援を行う際には、客観的な現在地を受容し、向かう方向を定め、どのような状態や状況を描くか(output)、その状態や状況がどんな波及を及ぼすか(outcome)を具体化していきます。そして、この際には先の行政習慣「無謬性原則」ではタブーとされる失敗時の最悪のケースもまた想定します。

とした前回の続きです。

☆「夢」「理想」そして「幸福」の姿

夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
幸福を求める者は夢なかるべからず。(渋沢栄一)

さて、まず唐突ですが、皆さんは自分自身の「夢」「理想」や「目的」を言葉にして語ることが出来るでしょうか?

昔、漫画家の手塚治虫さんは「夢は100個持ちなさい!」と語っていましたが、自分の中でああなったらいい、こうできたらいいという自分自身への期待をいくつもあげていくことが出来るでしょうか?

今日はまず、平時においても有事においてもキーポイントとなる「夢」「理想」「目的」「ヴィジョン」といった言葉達について考えていきたいと思います。

☆何かを始めるのに遅すぎることはない

私たちはいつから「夢」「理想」。あるいは「希望」といった何かを言葉にすることがなくなってしまったのでしょうか?

世界共通。小さな子どもたちはいつも語っています。「ああしたい」「こうした」「こんなことを」「あんなことを」と目を輝かせて一日を過ごしています。しかし、この日本という国の大人たちは示し合わせたように口を閉ざしてしまうのです。

国の理想。いわんや地域や街の理想というものも、そこに暮らす人々のこうした「夢」「希望」の言葉達(Seeds)を育んで、実現化していった集合体なわけです。その集合体が空虚であれば、実りがないのも当たり前です。

僕は地方創生系のお仕事等でいくつかの自治体において

「可能な限りそこに暮らす人々の【願い】や【意志】をたくさんみつけて、その願いや意志が共存させる世界を描く。それがヴィジョンであって、その目的を言葉にして、目標を定める。それが皆さん本来の役割であり、欠かせない一歩目ではないでしょうか?」

と伝えたことがあります。すると、公務員の皆さんは一様に

「でも、アンケートには何も書いてこない」「反応ないんです」

といった言い訳が出てきたりします。つまり、人々が「言わない」から「やれない」「やらない」という理屈ですね。そこで、

「アンケートではわからないですよ。多くの対話機会を得て、その対話に参加した一人一人の言葉の奥にある個々の何かを探り、その中にある核の言葉を拾い上げていく。その拾い上げるスキルこそがコミュニケーションであり、ファシリテーションです。自分達自身が描けていない未来像を、市町村民が日常的に言語化できているわけもないでしょう」

と言うと

「難しいですね・・」

と反応される方がほとんどです。
この対話そのものに対して「難しい」という言葉で避ける。それが何を意味しているか・も理解されていないのかなと感じます。

実際問題として「難しい」から「実」のない種を育てて、仕事をしたフリをしていればよい・・という理屈は通りません。行政だから許される、公務員だから仕方ない・なんてわけもなく、むしろ行政の在り方、公務員の選択としてNGな態度とも言えるでしょう。
 
けれど、それが国から地方自治体まで日常化している。
そんな今の日本です。

そして「人間煮詰まると、手の届くトコに簡単な正解を作る(響 ~小説家になる方法~)」の言葉通りで、いわゆる「事例コピー」という参考書に逃げたり、コンサルに丸投げすることで自分達を守ろうという選択になります。その積み重ねのうえに、今の結果(実)。失われた30年が存在しているとも言えるでしょう。

一昔前の先進事例ともてはやされた特定個人や行政が主導した自らの世界観を空き家や空き店舗に拡げようとした街であったり、行政が都会の大企業や大学と組んでトップダウンで押し付ける形で改革を進めた地域。そんな事例達は、もれなく個人の限界が街の限界という状態に陥り、衰退、縮小、撤退しています。また、行政においてはその失敗を隠すために次の企業、次の大学と連携し、同じ失敗を繰り返そうとして、地域の人々の心がさらに離れていっているようにも見えます。

そんなあとから失敗だった事例をコピーしても、より被害が大きくなることばかり・なのがリアルな話で、むしろ当然の帰結です。

☆理想を語れなくなったら

ですので、その意味からも私たち自身も「夢」「理想」を語り、発信も出来ている状態にあることは今後より重要となっていくことでしょう。

そしてもちろん、ここまでの論の逆説的な話にはなりますが、個々が夢や理想を語れる状態であることは、単に地方や地域、街をよくする以上に自分自身にとって「実(益)」があるからです。

なぜなら、私たちは「未来」に対してよりエネルギーを発揮していく生き物だからです。
 
その為には、私たち自身が自らのエネルギーを投入するに値する。そう感じるだけの可視化された「言葉」が必要となってきます。

その言葉が「目的(Purpose)」ともいえるでしょう。

アルフレッド・アドラーは「人間の行動には全て目的がある」とも語っています。一見、目的がなさそうに見えても実のところ無意識化に選択(実はパターンがある)している。これは近年の脳科学でも研究されているところでもありますね。

*と、長くなってきたところで次回に続きます!


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