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地方創生Coach Note【復興へ向けての振り返り⑧「ブレイクスルー・ファシリテーションへ」】

【わかっている!と思いこんでいる「現在地」を疑い、様々な人の様々な視点で眺め、観察し、それを共有し、誰しも理解できる正確な現在地を描く。そこに驚きを共感共有し、つながりを深める最初の体験をつくる。これが、出来ているようで、出来ていない多くの失敗事例にみられる落とし穴なのです】

前回はファシリテーターとしての「在り方(Being)」。そして注意の払い方や準備といった失敗しやすい部分を回避するところに触れていきました。そして今回。ファシリテーションにも様々な状況や流派もありますが「復興」を主眼としたブレイクスルー・ファシリテーションの進行にフォーカスして進めてみたいと思います。

☆ブレイクスルー・ファシリテーションの概念

今回 note のこのシリーズでもたびたび登場しているMITのエドガー・シャインは「何が問題で、それに対して何が出来るかというプロセス自体に当事者(クライアント)を参加させる」必要性を強く訴えています。その背景として

「一つの正しい問題定義と一つの正しい解決策を主張することが不適切」

な状況が社会的に当たり前の時代になっているからです。旧態然とした原因の特定と解決(交換)といった手法では、そこが解決したひずみでまた新たな障害がいくつも生み出されるばかり・。解決からはむしろ遠ざかってしまいます。そして、

「今日の複雑な問題は、特定のツールで解決できるような技術的問題ではない。私たちに出来る最良のことは、実行可能な対応策。つまり、私がここで【適応型の行動】と呼んでいるものを見つけることだ」
 
と触れています。もちろん、この行動は計画や解決策を前提としないものであって、コンサルタントのツールやマニュアル等の正解を導く何かではありません。いわゆる*OODAのような行動し、修正しながら目標に向かっていくつものルートで近づいていく。そんな動きをイメージすると良いでしょう。
 
*Observe(観察)⇒ Orient(状況判断)⇒ Decide(意思決定)⇒ Act(実行)4フェーズを繰り返して運用し、迅速な意思決定や行動を促すためのフレームワーク。アメリカ空軍パイロットの意思決定システムとして生まれたが、現在は予測困難な未来(VUCA)における有効手法として社会一般のビジネスシーンにも浸透している。
 
そしてこの行動目標を生み出すために、これまでにないプレゼンシング(前回参照)を生み出す対話が必要とされているわけです。それは、
 
誰かの「正しい答え」に従うのでなく、また一人一人のバラバラな「私の答え」に任せるのではない、私たちの「意志(方向性)」を生み出す時間とプロセスが必要・
 
と明記されています。この上記二つの答えを超え、私たちという集合体(コミュニティ)による言語化された共通の目標。
 
それを生み出すのが「ブレイクスルー・ファシリテーション」というわけです。

☆新しい時代へ向かう勇気の一歩

国内におけるファシリテーションの場が往々に失敗、あるいはコミットメントの薄い表層的なものになってしまう理由の一つが、前記エドガー・シャインの語った課題設定に対して当事者(クライアント)を参加させないというミスです。
 
これは行政のトップダウン集会で対話以前の事後報告、おしつけで紛糾するシーンがまさにです。当事者不在での課題設定を行った為に、課題そのものを誤り、さらにはその失敗の責任を誰も取らず。そして課題を設定した学識者やコンサルも逃げてしまい、否応なく当事者にそのツケが来るのは以前にも触れた今の三陸エリアの風景ともいえます。結果、行政不信がより根深いものになってしまいますし、人口流出に拍車がかかってしまいます。
 
東日本大震災で数少ないこうした状況を回避した東松島市の事例はリンクの通りですが、2000人以上の市民が対話へ参加し、主体的な復興の目標を描いています。その結果として復興住宅の入居率がほぼ100%のような状況を生み出していますし、これらは先日の輪島市でのワークショップで当時の振り返りがありました。その中で「地域の再建において高校生の為に駅から近い場所・」といった意見等が生まれていたのはまさに「私たち」の言葉と感じることが出来ましたし、こうしたファシリには国際経験の深いJICAが協力支援を行っていたり。その準備、実行のきめ細かさは目立っていたと思います。
 
また、同じく宮城県女川町における『女川のまちは俺たちが守る』を旗印にした民間組織「女川町復興連絡協議会(FRK)」における平成23年4月設立総会時の
 
「町の復興には10年も20年もかかるので、これらの復興の中心となるのは、若者世代。町の復興は責任世代となる30代、40代の若者に託す。還暦以上は口を出さず、側面支援に徹する(弾除けになる)」
 
とのメッセージも学びたいところです。還暦を迎えていた商工会会長のこの意志の発現により、今の女川が出発出来たといっても過言ではないかもしれません。加えて、この後に続く「活動人口」の促進というテーマは、前記した「適応する行動」を加速化させる意味でも効果的でした。

続きます!


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