【自己紹介】なぜ僕がデザインに取り組み・苦悩し・それでも向き合うのか(後編)
こんにちは。磯野です。
前回に引き続き、デザインへの想いを書き連ねて行こうかと思います。
前編はこちら
今回は社会人・エクスペリエンスデザイナーとして働き、どのようにして自らのデザインへの考え方が変わっていったのか、そして何に苦悩し、これから何をしようとしているのかについてお話できればと思います。
3章:デザインする喜び・葛藤
不器用ながらも実直に現場でデザインをしてみる
いくつかのスタートアップやベンチャー企業でマーケティングやデザインやカスタマーサクセスのインターンをした後に、UXコンサルティングを行っているビービットに新卒で入社しました。(アフターデジタルで有名)
最速で成長してやろうという意気込みもあり、めちゃくちゃ働きました。
他の会社では珍しく、UXリサーチをしながらUXUIデザインを行い、同時にプロジェクトマネジメントをしつつコンサルテーションをするというスーパーマルチタスクを行っていました。
「これ1人で出来るの?」と疑問符が出た方、あなたの感覚は間違っていないです。
それはもう当初は何も出来ず、ひたすらリサーチのログ取りだけをしていました。
特に僕はあまり器用な方ではないので最初は躓きまくり、毎日サンドバッグのように強烈なFBを食らっていた記憶があります。(毎日残業ばかりしていたら「お前コストでしかない」と言われたことも。笑)
一方、会社には今まで出会ってきたことのないような優秀な方が多く、簡単ではないがコンサルタントとしての仕事を全うしていく姿を見て自分もプロフェッショナルとして頑張らねばと思っていました。
意味のあるデザインをし、クライアントに貢献できる喜び
ただ、不思議なことに人間、時間を投下しているといつの間にか苦手なことも出来るようになり得意なことは伸びていくものです。
沢山の案件での経験を経ることで、UXリサーチを通じた一次情報の収集やユーザ視点でのカスタマージャーニーの設計・UIとしての具体化などが少しずつ出来るようになりました。
また、クライアントワークの性質から副次的にプロジェクトマネジメントやプレゼンテーションのスキルも上がっていったかと思います。
そして、アウトプットをクライアントと協業して作っていくことで、クライアントも価値を感じ喜んでくれる。
いい仕事をさせてもらえているな〜と思ってました。
社会(クライアント)のために仕事ができ頭を使ったデザインができること、そして同時に少しずつでも自分が成長していけること、この2つに支えられ日々楽しく過ごしていました。
また、案件にも恵まれ、サイトリニューアルやアプリ開発などの具体工程のUXデザインから事業開発やサービス設計と言った抽象工程のUXデザインまで幅広く経験させてもらいました。
達成感はありつつも、突然手が止まってしまった
4年ほど働いたくらいで、「プロジェクト推進が一通り型になってきたな」、「クライアントにも満足いただけるようになったな」と感じ、これまでの努力が報われた感触を掴みました。
ただ同時に、突然「あれ、なんかしんどい。」となり、なぜかこのタイミングで急に手が止まってしまったのです。
実は新卒で仕事を始めた頃からちょっとしたズレは感じてましたが、4年ほどやってみて見える世界も広がり「僕の目指したい方向性が違うのかもしれない」と強く感じてしまったのです。
新サービス設計をしていてもアウトプットに既視感を感じる。(車輪の再発明をしている感覚がある)
クライアントにその場では感謝されるが、結果的にアウトプットが世に出ていかない。(UXデザインだけでUIデザインや開発連携が足りない)
社会を前進させるモノづくり(究極的にはイノベーションの創出)が出来ていないのではないか、さらにはその先の僕がもともと成し遂げたかったSF映画に内在する未来は作れないのではないか、と思うようになってしまったのです。
そう感じてしまったのはなぜなのか、この現状の発生原因はなんだろうと考えるようになりました。
最終的に
「1人でのデザインの限界」
「ユーザー中心の方法論の限界」
「利用されるテクノロジーの限定性」
の3つに落ち着きました
4章:デザインへの違和感の正体
1人のデザイナーではダンジョンに立ち向かえない
よくVUCAの時代と言われるほど、現代のデザイン対象・取り組む課題はとても予測困難さを孕んでいると良く言われます。
そのため、DX案件などは求められるスキルや役割も桁違いに広く、深い。
一方、現場ではUXデザイナー基本1人がリサーチからデザインを行い、コンセプト設計〜具体化まで担わないといけない。
これでは全ての工程が中途半端になってしまい、リソースの問題から良質なアウトプットが創出されないということが発生してました。
もう1つのケースは、上記が難しいがゆえ、案件そのものが極小のスコープで切り出され、戦略や開発などの前後の工程がわからないままUXデザインを行い、最終的に実装しリリースされたものは当初生み出したかったUXからは大きくかけ離れてしまうなんてことも多発していました。
これらはデザイナーが(中途半端に)何でも屋になってしまっていることが起因していると考えます。
ユーザー中心設計は人間のどこを見ている?
最初に断っておきますが、ユーザを見ないデザインは言語道断です。
テクノロジーを身近にし社会を前進させることができたのはユーザを中心に添えることが出来たからであり、それだけに人間中心設計やユーザ中心設計やデザイン思考は優れていると僕は考えています。
ただ、その「ユーザ」として定義する対象があまりにも時間軸として短すぎることが課題だと思っています。(ちょっと良くわからないですよね)
ここで有名なイリノイ工科大学のマシュー先生の言葉を借ります。
要するに、人間の善き生を中心として添えるのではなく、ビジネスの文脈から生まれたお金を生み出すユーザを中心としてシステムやサービスを設計してしまっていることが課題であるということです。
確かに人間はサービスを利用することで短期的には幸福が得られることも多いですが、長期的に見たときにどうなのかはまた別問題であると考えます。(少し前のロビンフッド問題などが代表例ですね)
テクノロジーはそこにあるのに、何もできない自分がいる
これは個人的な興味も含まれてくるので世間一般の課題感ではないですが、iPhoneの登場からメインとなるデバイス(インターフェースの形態)に10年以上変化がないことを課題に感じています。
コンピューターのインターフェースは1960年〜1970年代のコマンドラインインターフェース(CLI)から進化し、1980年代のグラフィカルユーザインターフェース(GUI)を経て、2000年代のタッチインターフェースやその後の音声インターフェースなどいくつかの形態変化がありました。
ただ、基本的にはスマートフォンにおけるタッチインターフェースから主要となる形態は変わっていません。
一方、MITメディアラボなどのアカデミックの場では、TANGIBLE BITSやRADICAL ATOMSと言った概念のもと、物理的な物体をデジタル情報と同様に動的に変形できるインターフェースを構築することを目指していたりします。
要するに先進的な技術は世の中に存在しているのに、うまく社会実装が出来ていないことに個人的に課題感を感じています。
「僕が映画で見た世界はもっとコンピューターと人間が自由に繋がっていたよな」と「なにかもう少しワクワクする世界はつくれるのではないか」と。
5章:「デザイン」をする
そもそもデザインとは何なのか
「デザインってなんですか」という問いがシンプルさゆえ答えにくい。
まだ道半ばではありますが、今の僕の暫定解は、「人と人が作ったものを”繋ぐ”こと」です。
ビジネスというものは良いものを世の中に普及させてくれるが、放って置くと弱者から搾取を始めてしまう。
テクノロジーというものは社会を前進させる起爆剤になるが、放って置くとただ生み出されそのうち衰退し消滅してしまう。
そこをデザインがひたすら繋ぐ。
テクノロジーと人を繋ぎ、人の生活の礎となる道具を生み出す。そして道具とビジネスを繋ぎ、長期的に道具を普及させ世の中を前進させる。
それが最終的にイノベーションに繋がる。
こう見るとデザインって本当に素晴らしい営みだなと感じます。
デザインはもっとExtraordinaryになれる。
デザインのケイパビリティを最大化させイノベーションを創出するために、僕が取るべきと考えているアクションが以下の3つになります。
専門性と多様な知見を合わせ持ちながらもチームで攻略を目指す
こういったイノベーション創出のためのデザインをするにも相手はDXなど未知なるモンスターです。
当たり前だけど、1人でDXを推進する・新たなサービスを生み出すなんて無理難題ですよね。
けれども専門性がないと、また何でも屋デザイナーになってしまう。
そこで、近年良く求められているのが「越境人材」です。
僕が説明する必要なんてないほど知れ渡ってますが、なにか1つ以上の専門性を持ったうえで他の領域まで拡張(越境)していける人材のことを指します。
そして、専門性+多様な知見を持ったうえで他の専門性を持った人と協業することでチームや組織としてケイパビリティを拡張していく。
1人で出来ることなんて少ないからこそ、みんなでデザインしてみんなで新たなものを創出していく事が重要だと考えます。
僕もこれからは、UXUIデザインを基軸としながら戦略レイヤ・開発レイヤに染み出していくということを実行できればと思っています。
良いものを作るために、未来から今を、地球市民を中心に
次に商業化した「ユーザ中心設計」に対してのソリューションとして考えているのが、ビジネスの現場での未来投機的なデザインアプローチの実践です。
特にスペキュラティブデザインやトランジションデザインなどの実践が鍵ではないかと考えています。
これは一例ですが、Takramの「Shenu: Hydrolemic System」は、スペキュラティブデザインの一例として、人間の体自体を「水筒」として捉えることで、水の管理を根本から見直すアプローチをとっています。
ただ、これらのアプローチはビジネス的に確実性(採算性)が薄いことから、ビジネスの現場での実践が難しい。
そのため、アカデミックでの実践がまずは求められるのではないかと考えています。アカデミックという実験的な場で一定のビジネス的なバリデーションをとったうえで、現場で実践するということが必要そうです。
「過度にビジネス化したデザインをもう一度人間の手に戻していきたい。」という想いを忘れずモノづくりをしていければと思います。
アカデミックに閉じ込められているテクノロジーを市場へ開放する
現状、ビジネスの世界で用いられているテクノロジーはスマートフォンを基軸にしたテクノロジーです。
でもMITメディアラボを始めとして、アカデミックの場には沢山の素晴らしく有用性の高い技術(インターフェースの形)が潜んでいる。
けど彼らが市場に出るには、開発コストや市場環境への適応などの複数の壁が存在しています。
未来を含めた市場ニーズを見たうえで、必要な研究をスタートさせつつ既存のテクノロジーを活かすような研究・インターフェースの社会実装をしていかなければなりません。
そのためには、まず自分で市場を理解し、技術を理解し、プロトタイプを作成できないと話が進まないと考えてます。
となると、やはり再度アカデミックの場に身を置くべきではと思うところです。
先進的なインターフェースが社会実装されているものだとメディアアートが主なものですが、正直ちゃんとデザインにも活用できるはず。繋げられるよう頑張りたい。
おわりに
道半ばながら、節目に感じたので僕のこれまでの歩みとデザインへの想いを語ってみました。
こう振り返ってみると紆余曲折ありましたが、やっぱりワクワクするような未来を作ってみたい・それを社会とつなげたいという想いは変わっていないんだなと思いました。
また、こんなに長い文章を書いたのは久々かもしれないです。笑
うまく伝わるかな、日本語的におかしくないかな、飽きさせないかなとかなりドキドキしながら綴ったのでここまで読んでくれて嬉しいです。
もしこれを読んで一緒にデザインに取り組んでみたい・一緒に仲間となって働きたいと思ってくれたら幸いです!
ではまた。
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