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【自己紹介】なぜ僕がデザインに取り組み・苦悩し・それでも向き合うのか(前編)

こんにちは。みなさん初めまして。
磯野と申します。僕はいまコンサルティング会社でエクスペリエンスデザインのコンサルタントとして働いています。

今回はこれから様々なコンテンツを発信していくにあたり、自己紹介(デザインへの考え)をお伝えできればと思います。



はじめに

かなり長くなってしまったのですが、UXデザインのお仕事を始めるまでの僕の変遷の全体像を書いています。

背景としては、仕事を通じてこれまで4年ほど(大学を含めると6年ほど)自分なりにイノベーションやデザインと向き合ってきて、アクションや思考を振り返ると何かしら発信が出来るのではとそんな想いを胸に筆を取ります。

幼少期は文字すらもうまく読めず、社会人になっても言葉を紡ぐことが苦手で発信なんてものは恐ろしくてやってこなかったんですが、沢山の人のお陰でちゃんと成長ができまして(いきなりざっくりになってしまった、こういうところ…)やっと発信ができます…

ただ、なにか発信するにもまずは自己紹介からということで、今回は僕のこれまでの四半世紀を振り返りながら、なぜ今デザインに取り組み、苦悩し、それでも向き合い続けているのかをお伝えできればと思います。

つらつらと綴っていたらかなりの文字数になったので琴線に触れた箇所を掻い摘んで見ていただければと思います。
少しでも僕の思想を理解し共感し、協業してくれる仲間が増えたら御の字です!



1章:無関係に見えてたデザイン

モノづくりだけは自然と取り組むことが出来た幼少期

幼少期は基本座って授業が受けることが苦痛だったので小5くらいまでまともに授業を受けたことがなく校長室やリソースルーム登校が割と多かったです。
音楽などは出席日数が足りず成績がつけられないなんてこともあったくらいでして、興味のないことは全く出来ない・そもそも授業をみんなで受ける理由がわからないなんて思っている面倒な生徒でした。(国語、特に古文はずっと壊滅的)

ただ、モノをつくることやパソコンや数学と科学には強い関心があったためひたすら好きなことをしていました。

レゴで大きな飛行機を作ったり、たばこの吸い殻でアートを作ったり、パソコンでグラフィックを作ったり、テクノロジー×ものづくり的なことの関心はここで醸成された気がします。
他にも自由研究や数学は結構好きでして、元素を無駄に暗記したり、数学は比較的自然と問題を解いてました。

こんな大層なことはやってないですが笑

学年や年齢が上がるに連れてぼちぼち社会適合をし始め、ノーマルな教育にも適応しつつ、なんとか高校までは行けるようになります。
中学や高校では、ものづくりが学生生活を大きく占めていたわけではないですが、美術や情報や理科系の成績は悪くなく、芸術系の進路もありかもな〜と頭をよぎっていたこともあります。


ヒューマンインタフェースとの出会いが将来へのきっかけを与えてくれた

高校生の後半ともなると、受験を考えはじめるのですが、当時あまり真剣に考えていなかったのもあり「なんか難しい数式書いてたらかっこいいかも」と思い、理系に進みます。

ただ、何を血迷ったのか理系に進んで2週間で文系に転じ始めます
これは真面目に本当なのですが、夢の中で「お前は英語を学んで世界に出るんだ」という天啓があり、何故かそれに従いました。(マジで今振り返っても意味がわからない)

ただ、高校生の時は洋楽や洋画(主にSF映画)を通じ世界の様子を覗き見つつ、これまでの人生で日本社会で生きていくことへの生きづらさを抱えてもいたので、それゆえに無意識に言語に、世界に関心が向いたのだろうと自分では解釈してます。

英語を学ぼうと言語系の大学を目指していたところ、ある展示会で当時SFCに在籍していた筧先生の研究室の美しく先進的なプロダクトに触れ、「これを学ぶべきなんだ!」と衝撃が走り、学問として何に該当するのか良くわからないものの「なんか面白そう」という理由で英語などそっちのけで筧研究室を目指し始めます。

(このときはヒューマンインタフェースやヒューマンコンピューターインタラクションというワードを認識できているわけでも、思考を言語化出来ているわけでもなく、この後紆余曲折します)



2章:モノづくりと向き合い始める

何か生み出したい気がする。けど何を生み出すべきかわからない

結果としては不合格となってしまったので、似たような学問を学べそうな大学の学部に進学します。

入学前に抱いていた「筧先生の研究室にあったようななんかを作りたい」という想いは時を経るごとに薄れてゆき、例にも漏れず序盤は「普通」の大学生を過ごします。
それはそれで楽しいのですが、なにかはちゃんとやろうと思い、最初に手を付けたのは入学前のもう1つの目標だった映画製作でした。

今や有名映画監督の奥山大史くんのお手伝いなどをさせていただくものの、全く熱が入らず「映画見るのは好きだけど作るのはあんまりだな」と気付き映画製作はやめてしまいます

大学卒業した後のこと・将来の仕事についても目を向け始めますが、正直自分がやりたい仕事なんて全くわかりませんでした。

「とりあえず海外で仕事したい」と思い外資系企業とりあえず受けたり、「仕事良くわかんないな」と思い適当にサマーインターンに行ってみたり、「なんか良さそうだから」という理由で某ファッション系のスタートアップの長期インターンの面接を受け「それって本当にやりたいことですか?それやってて楽しいですか?」と激詰めされてお見送りをくらうなど文字通りの迷走です。

一方、ストリートダンスやコーヒーが好きだったので、休学をしてLAでのダンス留学やシドニーでのバリスタ修行を通じてスキルを高めつつ、好きなものを通じて仕事にすることも考えます。
ただ、単に「踊る」・「コーヒーを淹れる」ことは自分が楽しんでいるだけで社会へのインパクトの薄さにモチベーションが感じられず、一旦仕事にはしないという決断をします。(ダンサーやバリスタの仕事に意味がないと言っているわけではないです笑)


そういえば僕は映画に内在する未来を作りたかった

何をやりたいのか分からない。けど、やりたいと思うことでないとうまく前に進めないという性格だったので、一回自分の中に籠もる期間を設けることにします。

内省を重ねる中、子供の頃から好きだったスターウォーズや当時流行っていたアベンジャーズシリーズなどを再び視聴し始めます。
視聴している中で「あ、僕はこの世界に居たかったんだ。映画を生み出すのではなく、映画の中にある世界を生み出したかったんだ」と気づくことが出来ました。

なんというかこういうカッコいいし、楽しそうだし、未来的だし、何よりすごくワクワクする。

ここから自分にとって、「心から喜びを感じやりたいと思えること」、「仕事を通じ成し遂げるべきこと」を再定義することになります。


次章に向けて

今回は一旦ここまでとなります。読んでいただきありがとうございます!

次回以降では、自分の成すべきことの気づきを起点に社会に向けてどういったアクションを起こし、そして実際にデザインをする中でどのような苦悩に直面したのかをお話します。


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