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「アート」という概念の変革が起きる「ベルリン」という街

この画像をアートだと思いどんな意味があるのだろうと深読みした人もいるかもしれません。意味は全くないです。
今日は私の話を少し。
幼いころから芸術が身近にあった私は、田舎に生まれ育ち、少しむず痒い気持ちでいました。
思春期もあったのか、芸術を披露することに羞恥心がいつもありました。
絵を描く母、服をつくる姉、音楽に没頭する兄。
3人とも有名なわけではないけれど、こんな環境の中で自分の好きな表現の形を見つけ、それを貫く姿勢に憧れを抱いていました。

芸術とは、アートとは、なにか手の届かないすごいものという漠然としたイメージがありました。上京してからもアートという分野に足を突っ込みたい身持ちを抑え、ネクタイをぎゅっと結び、労働に勤しむいわゆる、普通を生きていました。

ここベルリンにきて、私の漠然としていたイメージは確信へと変わります。
ベルリンという街はドイツ人に「ここはドイツではない」と言わしめる異質な都市です。いろいろな人種が混在し、性別に対する考えの変革の中枢を担っていて、表現の自由におおらかな場所です。
アートは何からでも、なんでも生み出せるということ、限界のない無限の表現を具現化できるもの。
アートはものすごいものという圧倒的な障壁をベルリンが取り払ってくれました。
ベルリンという街のいたるところにある「落書き」は見る人によっては芸術としてとらえられることができる。「ウォールペイント」はアーティストが道徳的観点も配慮し、作品として作ることで「落書き」という呼ばれ方をされない。要は受け手が芸術と認める場合と作り手が芸術と認める場合で、呼ばれ方や、種類も変わってくるということ。
ここではひとまず受動性芸術と能動性芸術があるということにしておきましょう。

ここで生まれる方程式が

表現=アート
表現者=アーティスト


この方程式はアートという存在をもっと身近に感じ、誰もがアーティストになれることを指しています。
表現をするための媒体には絵画や写真、音楽にファッションと様々あり、科学の進歩とともに表現の器も形を変え(絵画⇒写真⇒グラフィック)、アーティストは自分に合った器選びをするだけといったところです。


この考えを地元に定着させたいというのが今の目標です。
アートが地元に残る「古い、ダサい」という文化・歴史に対するマイナス要素を払拭できるのではないかと感じています。
友人が「アートは歴史を紡ぐ作業の一環」と言っていました。
現代アート然り、歴史に基づいて築き上げられた表現の形。
「結プロジェクト」が作る過去と未来の結び目。
地元でしかできない表現(アート)の形を模索して、生き残る町づくりに着手していきたいですね。
表現することは、ドイツ・ベルリンから学んだ、「人間として生きる」一番の核の部分だと思っています。



これからは表現者(アーティスト)の一人として生きていこうと。
こういう生き方してもいいと思わせてくれたベルリンに感謝。
クリエイティブじゃなくてもいい、コミュニケーション能力が高くなくてもいい、もちろんルールを守ることは大前提で、表現(アート)は人間の能力の一部です。誰もがアーティストになれる世界があってもいいじゃないか!
素敵な日本を、岩手を、奥州市を夢見て、今日もまた自分のできることをやるだけです。


今日のドイツ語
Kunst(クンスト):芸術、アート
この単語を用いた表現として
Das ist Kunst(ダス イスト クンスト)
直訳するとこれは芸術ですという意味ですが、「これは難しい」という意味で日常会話では使われています。


それでは今日はこの辺で、
次回は久しぶりのインタビュー回!
ベルリンで活躍する日本人アーティストに直撃!
お楽しみに~
チュース!!

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