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あまりに敏感すぎるとどうなるのか?非HSPの人にこそ読んでほしい「敏感すぎる日常」【高橋敦『敏感にもほどがある』きこ書房】

世の中の5人に1人はいると言われているHSP(Highly Sensitive Person:過度に敏感な特性を持つ人)。これが多いのか少ないのかというのはさておき、そのへんの職場や学校には必ず1人はいる計算にはなる。「うちにはいないけどなぁ・・・」と心当たりがなくても、それはおそらく敏感であることを悟られないようにただただひた隠しにしているだけかもしれない。

課長に怒られている同僚を見て、自分が怒られているわけではないのに恐怖感を抱く。
ミスがないよう常に神経と気を張って、終業するころにはヘトヘトに疲れてしまう。
隣の同僚がキーボードを叩く音がいつもより強い気がして、なにか腹を立てているのかと勘ぐる。

もしも隣のデスクのあの人がこんなことを感じながら仕事をしていたとしたら、あなたはどう思うだろうか。申し訳なく思うか、はたまた「それは考えすぎだよ」と一蹴するのか。でも一蹴したところで、日々その「考えすぎ」と戦ってその人が仕事をしていることは、紛れもない事実なのだ。

この本ではそんな「敏感すぎる」著者が、4コママンガも交えてとてもわかりやすく日常の困りごとを綴っている。

たとえば外食。家族にとっては楽しいイベントのひとつだが、敏感な著者にとってはひどく疲れるイベントである。メニューの多さに圧倒され、セットメニューの複雑さに頭を抱え、忙しそうな店員を呼び止めるのにも気を使う。いくら手元に呼び出しボタンがあっても躊躇してしまう。

ハッキリ言おう。僕はこの気持ちが痛いほどよく分かる。友人と外食をするのは嫌いではないのだが、レストランに行けばこうして数多の逡巡を繰り返し、注文が通ったら通ったで今度は適度な時間に料理が運ばれてくるか、店員がミスをしてソースを取り違えないか、注文したものが何か忘れられていないか(ちなみに今日家族で外食したが見事にこのパターンが起こった)、あらゆる不安が次々襲ってくる。レジで最後に会計をして「ありがとうございました」と店を出るまで、気が抜けないのだ。

ほかにも、影の薄さに悩んだり、聞きたくもない秘密を聞かされてげんなりしたり、ちょっとした言葉尻がいつまでも引っかかったり、意識が空想がとめどなく拡大したり。敏感すぎる人は、次々こうした「トラップ」といつだって対峙している。僕もそうだ。そんなこと気にもとめない人からすれば「気にし過ぎだよ」で片付けられてしまうからこそ、こうした敏感すぎる人の気持ちを少しだけでもわかってほしいと思うのだ。

身近な人が「おや?」と思うほど敏感だったり、痛いくらいに繊細な気持ちを持っていることに気づく経験をした人は多いだろうし、きっとこれからもっともっと増えていくはずだ。そんなときはぜひこの本を手にとって、「敏感すぎる日常」とはどんなものなのか追体験してほしい。きっと世界が違って見えてくるはずだから。


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