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第34回読書会レポート:中島 敦『山月記』(感想・レビュー)

(レポートの性質上ネタバレを含みます)

今回も満員御礼!キャンセル待ちが出るほどの大盛況!
じわじわと当会の認知度が上がってきて嬉しい限りですヽ(*^ω^*)ノ

教科書にも掲載される本作品は、学生時代の授業での一コマなどさまざまな話で盛り上がりました。

さらには常連さんからのワインの差し入れもあり、久々にほろ酔い気分で和やかな会になりましたよ。

参加者のご感想

・短い!
・名声を欲している
・とにかく名声!
・他者との比較
・自分大好き男の末路
・評価を外に置く李徴、内に置く袁傪
・若さを感じる
・中島敦のテーマだったのでは?
・虎は日本では勇ましさの象徴だが中国では悪の象徴。

作者:中島敦(なかじま あつし)について

私は作家論をとらないスタンスなのですが、読書会での「山月記は中島敦のテーマだったのでは」という指摘が気にかかり調べてみましたよ。

明治42年(1909年)5月5日東京に生まれ。父方は漢学者の家系であり幼少より儒学や漢学の影響を受けていた。
父母の仲が悪くすぐに別居し父方の実家で育てられる。父親の再婚と転勤にともない各地を転々としながら幼少期を過ごす。実父や継母たちとの折り合いは悪く虚弱体質でもあったが、成績は常に優秀だった。
第一高等学校、東京帝国大学を卒業し、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら執筆活動を続ける。持病の悪化とともに教員職を辞し南洋庁の編集書記として南国のパラオに赴任。その最中に「山月記」を収めた『古潭』を刊行。「光と風と夢」が芥川賞候補となる。
昭和17年(1942年)12月4日に持病の喘息が悪化し33歳の若さで没する。

勉強しなくても成績が良く、でも健康に難のある愛に飢えた生涯。
そんな大きな影を背負っているところはさながら少女漫画に出てきそうな、女子が世話を焼きたくなるような人物に感じました。

(相当モテたと推測しますが、どうだったのでしょうか?私はこんな男性に惹かれやすいのかも??)

エリート一家に生まれさまざまに恵まれた環境で親の敷いたレールを走って来たのかと思いきや、実はその逆で家族に恵まれず可哀想な人生だったのだと同情してしまいます。

作家としての芽も出ず焦りだけが募っていった敦。
たしかに『山月記』の李徴にも通じそうです。

『山月記』:あらすじ

組織の中で「俗悪な大官」の下で屈して働くよりは、詩人として名を馳せようと官職を退いた李徴(りちょう)。しかし詩人としての芽は出ない上に妻子持ちの身の上で、やむにやまれず地方官吏へ復職します。
かつては鈍物として歯牙にもかけなかった同僚は出世していて、その命令の下で動かなければならない日々を過ごす中、李徴は公用先で発狂し行方知れずとなりました。
その翌年のことです。袁傪(えんさん)が地方へ赴いた際に虎に遭遇します。それはなんと李徴の変わり果てた姿なのでした。
叢から声だけで李徴は、自分の詩を伝録して後代に伝えてくれと懇願します。袁傪は部下に命じてそれを書き取らせますが、「第一流の作品となるには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」と非凡さに感嘆しながらもどこかひっかかりを感じます。
袁傪一行が丘の上まで来て先程まで居た場所を振り返って見てみると、一匹の虎が茂みから出て白く光った月を仰ぎ、二声三声咆哮して再び叢へと踊り入っていきました。そして二度と姿を見せることはありませんでした。

できない上司の下で働く気持ち……分かる!!


高級官僚としての地位をあっさりと捨てて、詩人として名を揚げることを選んだ李徴の気持ち、、、
なんでこんなにできない上司の言うこと聞かなきゃいけないんだ!と、私もいくつか転職を重ねてきたためよくわかります(なんだそりゃ笑)。

生活よりも自尊心を守ることを優先するという……。

もっとうまくやれればいいのでしょうが、博学才穎の李徴は組織でくすぶっているのは御免とばかりに、野心満々に詩人への道を突き進みました。そんな自己顕示欲を持て余した男の末路は悲惨なものと言わざるを得ません。

もちろん自分の心を守ることも大切です。我慢して働く必要はありません。

しかし同時に世間の評価と実力とのギャップを客観的に冷静に判断できる知恵を兼ね備えていなければなりません。

これは才能あふれる人の代表的な罠といえるでしょう。

残念。

「(非常に微妙な点に於て)欠けるところがある」とは?

李徴の詩は言わずもがな、第一級品なのですが、袁傪は微妙に何かが欠けていることを感じ取ります。

一体何が欠けているのか?
なぜ評価されないのか?

読書会では、「詩への愛や真摯な姿勢が欠けているのでは?」という指摘が出てきてその意見に私は深い感銘を受けました。

自身の技巧に酔いしれた高慢な詩が、人の心を打ち人生の支えになることはありません。

李徴は名声が欲しいがために、その手段として詩人の道を選びました。
けして情熱を持って我武者羅に詩人への道を突き進んだわけではないのです。

要するに分かりやすく他者からの評価を欲していただけで、ちやほやされたいという、ねじ曲がった自己愛が李徴を突き動かしていただけなのです。

評価を外に置く李徴、内に置く袁傪

それとは対象的に袁傪は温厚で身内を信じる人物として描かれています。例えば人食い虎が出るから危険だといわれても、「供廻りの多勢なのを恃み」出立します。

ここでの行動は、袁傪の部下の力を信じての行動ととれるのではないかという指摘がありました。
大きな組織の先頭に立ちながらも、お互いに固い絆で結びついた関係性を読み取れます。


物語の佳境でやっと李徴は、なぜ虎になったのかを悟ります。
妻子が道塗に飢凍することがないように計らって欲しいとのくだりで自嘲気味に、
「先ずこのことを先にお願いすべきだったのだ(中略)己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。」と。
なにか吹っ切れたように感じる場面でもあります。

「二声三声咆哮した」とは何を言っていたのか?

読書会の最後に、「”二声三声咆哮した”とありますが、何を言っていたと思いますか?」という質問が出てきました。

私は、虎として生きることを受け入れた雄姿を晒し、かつての友と決別する覚悟を示したかったのではないかと、虎として潔くプライドを持って歩んでいくことを誇示したかったのではないかと、人間の言葉を失った瞬間の咆哮と考えました。

みなさんはどのように考えますか?

ちなみにこの質問はかつて、中学校の授業で国語の先生から出されたものだったそうで、
そのときの授業では「さようならと言ったのではないか?」という意見が出たそうです^^

「さようなら」
たしかに!
そうかも笑

(2022年11月23日開催)

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