異なるバージョンの地球
社会人になった今、朝見かける登校中の中学生たちは子どもにしか見えない。しかし、小学生の頃のことを思い出すと、記憶の中の中学生はとても大きく大人にしか見えていなかった。
大人になった現在と当時の身体のサイズが違うため、記憶の中と現実世界のサイズ感にギャップが生まれていたのだ。このギャップが面白いと思った。
世界は、常に自分のサイズを基準に認識されている。
子どもにとっての1mと大人にとっての1mは、長さが違う。子どもにとっての一歩と大人にとっての一歩も、長さが違う。すなわち、子どもにとっての地球は、大人にとっての地球よりも大きく広い場所なのだ。
身体の個体差によって世界の認識は変わる。
寒がりと暑がりの人がいるのは、感覚として違う温度の世界に生きているからだ。視力が違う人同士も、それぞれ別の見え方の世界に住んでいることになる。
同じ人間同士でもそうなのだから、そもそも身体の構造が違う動物や虫、植物にとっての地球は、さらに違う世界なのだろう。
私は、宮田陵平という身体を通してしか感じられない地球に住んでいる。このバージョンの地球を体験できるのは私だけだ。そんなことを考えていたら、自分が自分として生まれたことが何か特別なことのように感じられてきた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?