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中学生。初めての恋人が人生の進む方向キッカケをくれた。

この子が私の人生の転機となるきっかけを与えてくれた。

初めての恋愛ということもあり、彼女のことばかり考え、ずっとずっと一緒にいたい。結婚したいと思った。まさに青春。

当時、彼女は中学卒業したら美容師になる!と話していた。

私は勉強嫌いと、早くお金を稼ぎたかったこと、彼女と少しでも長く一緒に過ごしたい想いから自分も美容師になることを決意。

美容学校は受験もないので一切勉強もせず、周りが受験勉強で血眼になっているのを横目で見ながら遊んでいた。

彼女は内緒でくせ毛程度にパーマをかけていた。
中学生なのでもちろんパーマは禁止。

私もどうしてもパーマをかけてみたくなった。
ドキドキしながら生まれて初めて美容室に行き私はパーマをかけた。

結果としては大失敗。

見事におばさんパーマの男子中学生に。

翌日、おばさんパーマのまま登校すると、みんながじろじろ見て興味本位におばさんパーマを触りに来る。

うわさは瞬く間に広がり、他のクラスからもたくさんの見物客が来た。

もちろんすぐに職員室に呼ばれ説教されたことは言うまでもない。

しかし当時の担任は若い男性の先生で26~27歳位だった。

私が美容師になりたいということを知っていたため、お前の髪型に対する興味や気持ちはわかる。

しかし規則があるので早めにパーマをとってくるようにとやんわりと諭してくれた。

この噂は同学年内にとどまらず、校内1,2を争う不良で、しかも少林寺拳法の茶帯でオールバックの強面の先輩に、放課後下駄箱前に呼び出されるというおまけつきだ。

この中学の時の担任の先生は後に故郷の長野に帰り定年まで先生をしていた。

卒業後も中学時代の友達と東京から長野まで長時間かけてバイクで遊びに行ったり、成人してからもみんな彼女連れで長野県の先生宅に泊まりに行ったりと交流していた。

年賀状は中学卒業後35年間続いた。

友達が3年間高校に通っている間に手に職をつけお金を稼いで早く自立したいと思っていた。

ところが美容師になるきっかけをくれた大好きな彼女に突如フラれる事になる。
今さら受験勉強も間に合わないしそもそも高校に行く気もない。

自分の置かれた状況と失恋のあまりのショックに少しだけグレてみた。

しかし、偶然にも兄の友達も中学卒業と同時に美容学校に進み美容師になっていた。

よく家に来て兄にパーマをかけたりカットをしたりしているのを見てすごく楽しそうな仕事と興味を持った。

美容師の話や仕事の楽しさを教えてもらった。

中学卒業後は二両編成の深緑色のチンチン電車がガタゴトと大きく揺れながら走る世田谷の松陰神社にある美容室で朝から夕方5時迄見習いとして働き仕事を終えると、バイクに跨がり世田谷から246ルートで渋谷の美容学校夜間に通う日々を過ごした。

この時期に兄が親父とたまに会っていた。

当時親父も仕事もして生活も安定していたようで、兄も安心して私が美容師になって世田谷で働いているという事を話したと。

まぁ、ちゃんとやっているならいいかと思ったのもつかの間、お金が足りないから貸してくれ、数万程度何回か渡していた。


そのころには兄にも金の無心がエスカレートしていたようで、最終的には兄は消費者金融に一緒に行ってお金を渡していた。


さすがにブチキレた兄は消費者金融で借りたお金を親父にたたきつけて二度と来るなと!

そうすると、今度は私の勤めている美容室にいきなり来て金の無心をする。

10年ぶりの再会がこれだ。


もういい加減にしろ!というと、お前にお金がないならお店のオーナーにお金を借りてくれと。

怒りより俺は何でこんな奴の子供として生まれたんだろうとしみじみと思った。

私も親父に向かって、お前のような奴は親じゃない!2度と俺の前に顔を見せるな!と。

しょんぼりと帰っていった後ろ姿を最後の別れと眺める事もなくすぐに仕事に戻った。

しかしこれが最後の別れではなかった。
それは後ほどのお話で。

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