見出し画像

逃げ水 #5 | 穴子の天ぷら

ブビンガ材の一枚板の天板には雄弁なスケッチが置かれていた。

その絵から立ち上がる空間について、クライアントはパッと明るい表情を見せたり、時に鉄格子の向こう側にあるリンゴを、どうやって取るか悩んでいる哺乳動物の表情になりながら、社長との会話に花を咲かせていた。

付き添いで同席している、店長になる20代後半と思しき栗色の巻き髪の女性は、口角を適度にあげ、今の空気にちょうど良い表情で顔の筋肉を固定させ、メトロノームのように一定のリズムでうなずいている。

僕はというと、テーブルの端っこに座り、目の前の方眼紙に目の前でやりとりされている会話から、主に意思決定がなされたことを書き記している。
いわゆる議事録を取っている。

「顧客が座る椅子はこのスケッチよりもう少しボリュームがあって座り心地を重視したい」
「ネイリストが使う道具や機器を置くスペースが足らなさそう」
「接客カウンターは提案の木材が良いが耐久性は大丈夫か?」
などといった内容だ。

「いやぁ、しかしええ感じの雰囲気ですなぁ。特にカウンターの上の吊り棚がディスプレイにもなってて。これ、棚の上に照明器具置いてるんですか?間接照明があるとええなと思ってましてん。あ、あと後ろのネイルの瓶を並べる壁面がミラーになってるんもアリやねぇ。奥行きが無い店やから広く見えるし。」

どうやら鉄格子の向こうのリンゴは手に入ったらしい。鉄格子の幅よりリンゴの直径の方が大きかったはずだが、そこはさすが万物の霊長。道具を使うことができる。
しかし「万物の霊長」とは人間様はなんと驕り高ぶる動物だろう。他の動物とコミュニケーションが取れないことをいいことに、勝手に自らを最上位の存在に据えるのだから。

ともあれ、デザインプレゼンは概ね好評に終わり、ここからは絵に描いた餅を、図面という道具で現実で食べられるようにしていく作業となる。
クライアント二人を階段の下まで見送り、踵を返して打合せ室の片付けに戻る。

コーヒーカップとソーサー、それから木材やタイル、ガラスなどのサンプルを所定の場所に持っていき、最後に打合せの終始、話題の中心にあったスケッチを手に取る。


これは僕が描いたものではなかった。



いつの間にか出社していた先輩たちへ、気の入らない挨拶をしながらデスクの後ろをすり抜けて、CGパースをあきらめて急ぎ足で描いたスケッチを社長のデスクへ持っていった。

社長の第一声を待つ時間は、無人島でお手製の濾過器から出てくる雫を待つくらい長く感じられたが、実際にはほんの数秒だった。

「まぁ、悪くはないねんけどな。」
「プレゼンに使うには、ちょっとアレやな。」

そう言って、社長はカバンの中から1枚のスケッチを取り出した。
「悪いねんけど、今日はこれ使うわ。」

「悪くはない」ならどこが良いのか、「アレ」って何なのか、「じゃあ明日はどうするのか」「そもそも僕に頼んだのになぜ描いたんですか?」そんな質問をすることが無意味であると、そのスケッチは何も語らずに示していた。

微細なブレと緩急のあるフリーハンドで引かれた線は、空間の輪郭を正確に描きながらも躍動感につながるラフさがある。
焦点距離の取り方は人間の目のそれより若干望遠気味で、空間のみでなく商品と人の存在を際立たせていた。
水彩絵具による輪郭のグラデーションと色同士の重なりは幾何空間をやわらかくしていて、他者との対話の余地を残しているようだった。

こういうスケッチを社長が描くことは、引き出しからいくつか拝借して眺めていたのだから、もちろん知っていた。だが、線を引きはじめ、絵をどんどん完成させていく過程でゾーンに入った時、すでに客観的な視点は失われ、自己満足のみが抽出されていた。いや、客観的な視点を取り戻しながら描いたとしても、同じようなオーラを放つものは到底描けるはずがなかった。

こうして目の前に並べて比較すると、評価するまでもないのは歴然としているのに、なぜ今この時まで気がつかなかったのだろう。
「悔しい」という気持ちを抱くことがおこがましい、と人生で初めて感じた。
だから、プレゼンの場では、僕はただ議事録を書くしかなかった。


打合せ室の片付けを終え、席に戻るときに社長に声をかけられた。
「昼メシいこか」

普段のランチは先輩たちと一緒で、社長と共にすることはほとんどなかったが、打合せ時間がお昼をまたいだため、先輩たちはすでに食事を終えて戻ってきていた。
断る理由を即座に思いつかず、気まずさを感じながら後ろをついて、近場にある魚がメインの定食屋に入った。

注文を終えると、社長は案の定、先ほどのプレゼンの総括をし始めた。
直接的なダメ出しはせずに、誰しも初めての仕事なんてそれくらいのもの、という視座から、スケッチの描き方やどういったところにクライアントは注目するのか、といったあれこれを教えてくれた。
身も蓋もない解釈をすれば、経験に勝るものはない、一つ一つの機会をどれだけ濃密に吸収できるかどうかだ、というものだった。

一朝一夕に仕事の技術が身に付かないことはわかっている、しかし造形力というものには、先天的な才能というものがあるのではないかと、学生の時から感じていた。それはデザインの習得に特段熱くなかったアキがそうだったからだ。
僕は一刻も早く追いつかなければならない。のんびりしている暇はない。

話の途中から食べ始めた穴子の天ぷらはゴムのような食感で、噛めば噛むほど味がしなくなった。きっと養殖なのだろう。穴子が養殖されているかどうかは知らないけど。
社長のありがたい話は食事中も続いたが、この穴子と同じように言葉を咀嚼すればするほど、理解が薄まっていった。




建築・インテリアなど空間デザインに関わる人へ有用な記事を提供できるように努めます。特に小さな組織やそういった組織に飛び込む新社会人の役に立ちたいと思っております。 この活動に共感いただける方にサポートいただけますと、とても嬉しいです。