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愛する世界の為に。

愛する世界の為に、出来る事をしていきたい。

『愛する心』の醸成が、より良い世界の為の鍵になると、私は確信している。

愛する心が学びの動機をくれる。その学びによって培った知恵や知識が、世の為人の為となり、世界が循環していく。
私は、そんなメンターや社会起業家になっていくような教育を、次世代を担う若者にしていきたい。

家族を愛する心、友達や仲間を愛する心、日本人を愛する心、人類を愛する心、自然を愛する心、地球を愛する心。
愛しているから、何かできる事がしたいと思うのは当然だ。
愛する人がいる国に、誰が爆弾を落とそうと思うか。

愛する心が行動のベースになれば、歴史上行われたような非人道的な結末にもならない。
逆に歴史上、その様な事を行った人物は、愛する心がベースにあったとは到底思えない。
“世界を変えなくてはいけない”
“自分こそ世界を変えられるのだ”
愛ではなく、そういった“せねばならぬ”という使命感が根底にあり、短絡的な行動を促したと私は思う。

では、愛する心はどのようにして生まれるのか。
それは“感謝”だ。
感謝の心が、何かしてあげたいという愛する心を生むのだ。

現在の日本は、バブル崩壊後からの『失われた30年』と言われるように、経済の低迷や景気の横ばいが続いている。
そういった経済的状況が、今の日本国民の思想や不安定な心を作ってしまっている大きな要因のひとつになっている。

仕事というのは世の為人の為になる事であり、お金とはその価値と価値を交換する為の道具であるが、そういった背景も複雑に絡み合い、見えにくい状態になっている。

多くの人が、自分が生きていく為に仕事をして、自分が生きていく為にお金を貯める。
世の中の事、他人の事など、考える余裕などないのだ。
愛のベクトルが自分に向かざるを得ない状況になっている。
日々、自分自身の事で精一杯なのだ。

現に、日本財団が行なった『18歳意識調査』における“自身について”という調査結果では、『日々の生活で不安やゆううつを感じる』と回答した割合が、日本、中国、インド、アメリカ、韓国、イギリス、6カ国中、日本が1番多い。
国民の心を左右する要因として、経済的要因は明らかに多い。

それによってどういった事が起こっているのか。
その中のひとつに、感謝の心を感じにくい状況になっているということがあげられる。

都会に行けば行くほど、何をするにでもお金が発生する。
トイレを使う時でさえ、商品を買わないと使う事ができないという事も多々ある。
口ではありがとうと言っても、本来お金を払う代わりに、サービスを提供してもらうという、フェアな取引をしているのだ。
してもらって当たり前と、自然と思ってしまうのも仕方がない。
都会では田舎に比べて、感謝を感じにくい構図になってしまうのだ。

本来、愛というものは『無償の愛』である。
貰えるから与えるというGive&Takeの世界ではない。

それでは田舎はどうか。
都会では、田舎で採れた食べ物を運んできて、ビジネスをしているのに対し、田舎では畑で採れた食べ物を直接近所の人がくれるかもしれない。
海で採れた食べ物を直接くれるかもしれない。
海で自分で釣った魚を、自分で食べる。
頂いている事が目に見えてわかる。

それは、誰かが見返りを求めて行った事ではないはずだ。
そこに“ありがたい”という感謝の心が自然と生まれるのは当然だ。

また都会に比べ、田舎は不便な事も沢山ある。
都会ではお腹が空けばUber eatsや出前などのサービスがあり、家のすぐ外には24時間営業のコンビニやスーパーがある。
移動がしたければタクシーをスマホ一つで呼んで、電車にもすぐに乗れる。

田舎は都会に比べれば、明らかに不便だ。
しかし、不便な分、感謝するきっかけをくれる事が多い。
喉が渇いているから、水が美味しく感じるのと同じだ。
あればあるだけいいという訳ではない。

近年、日本ではアウトドアが流行っている。
都会に疲れた人々が、せっかくの休日に、わざわざ田舎に不便な事をしにくるのだ。
これは偶然起こったブームではないと私は思う。
心が疲れ切っているからこそ、心のどこかで“癒し”を求めているのだ。
サウナがブームになっているのも同じである。

人間界に疲れた人が、自然界に癒しを求める。
自然の中で風を感じ、波や川の音、虫の声を感じ、太陽の温かさ、夜の寒さを感じる。
人間界では“当たり前”のガスコンロではなく、火口から火を熾すプロセスに苦労を感じ、火加減が難しいと感じる。
そういった、日々感じる事を無くなってしまっている、“ありがたい”と思う豊かな心を感じたいのだ。

キャンプで不便な生活をしてみて、ありがたみに感じる。
実家を離れてみて、初めて親のありがたみを感じる。
不便な生活をして、初めて食事のありがたみを感じる。
熱が出て、初めて自分は健康だったと感じる。
そのような時、人は感謝の心が生まれやすい。

実家を離れる事、不便な生活をした事、熱が出た事。結果としてその様な原体験が学びに繋がり、人生を変えるきっかけをくれる。

本やYouTube、人からの言葉、あらゆる事で人間は学びの機会を得る。
しかし、人生の学びや転機となるような、本当に意味のある経験は、一見すると無意味なように見える。
だが、一見無意味な経験こそ、意味のある経験だったりする。

スポーツで苦しむ事に、人生の学びがあるなんて、その意味を体験していない学生に対して、果たして響くであろうか。
自分が体験したから大切な学びがあると言えるが、苦しんでいる本人は依然として、その理屈はわからないだろう。
まだスポーツに成長があるというのは、多くの人が体験しているため、まだ理解を得られるほうかもしれない。

では、例えば映画のCast awayのように、乗っていた飛行機が墜落して、無人島で何ヶ月も過ごす事になったとしよう。
その人は、無事帰ってきてあらゆる事に感謝し、誰も体験できないようなその経験が、人生の大きな学びになるだろう。
しかし、無人島で何ヶ月も過ごすという経験が学びになると、誰が思って行動するだろうか。

人生において、本当に意味のあるような学びとは、一見意味のないような化けの皮を被ってやってくるものなのだ。

冒頭にも、愛する心が学びの動機をくれると書いたが、感謝する心が愛する動機をくれるのだ。

私は、愛する心を醸成し、その心を動機に学び、社会に貢献していけるような社会起業家を世の中に輩出していきたいと考えている。
そんな本質的な教育事業を、今水面下で進めているところだ。
ワクワクが止まらない。

まだまだ、全部始まったばかり。
人生いつもスタートラインだ。

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