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【ホラー連載】 ココカラダシテ 第七顔

これまでのできごと
・ 2019年7月23日 19:11
 陳野洋平は嘔吐した。
・ 2019年7月19日 22:25 水原恵は失踪した。
・ 2019年7月23日 21:18 角田雅彦はタクシー運転手だ。
・ 2004年8月8日 20時頃 宮司東太は姿を消した。
・ 2019年7月23日 22:34
 夏野美咲は死んだ。
・ 2019年7月24日 02:38 エミリはいなかった。

「う、うわあぁあああー!」

 死体が、骸骨が、体を掴みにじり寄る。
 洋平の記憶が……一気に弾けた。

ツ 陳野洋平(らのようへい)は嘔吐した。
ミ 水原恵 (ずはらめぐみ)は失踪した。
ツ 角田雅彦(のだまさひこ)はタクシー運転手だ。
グ 宮司東太(うじとうた)は姿を消した。
ナ 夏野美咲(つのみさき)は死んだ。
エ エミリ (みり)はいなかった。

ツミツグナエ

ツ ミ ツ グ ナ エ

ツ ミ ツ グ ナ エ !


「そんな……そんな……!」

 まるで強烈なフラッシュのように、脳裏に光景が瞬く。焼きつくような鮮烈さで。

 暗いオフィスの廊下を、後ずさる水原恵の姿が見えた。その背後から忍び寄り、手を伸ばすのは……「違う! 俺じゃない!」

 薄暗い井戸の前。覗き込む東太少年。彼を背後から殴り、突き落としたのは……「俺じゃない……俺は、こんなことしていない!」

 父親の寝室。ベッドに向けて鬼のような形相でバットを振り降ろす……「嘘だ……! こんなはずはない……こんなことはしていない!」

 美咲は……恐怖で大きく目を見開いて固まっていた。その頭部に向けて、振りかざしたワインのボトルを……「違う……違う違う違う! うああそんな……美咲! 俺はやってない!」

 静かな夜。井戸のつるべ跡に紐をかけて、首を吊ろうとする洋平の母。その手助けをしているのは、幼き日の……「嘘だ嘘だ嘘だ嘘嘘嘘嘘嘘! 俺はやってない! こんなの……こんなの俺じゃない……」

「よーちゃん……」
「洋平くん……」
「洋平……」
「陳野くん……」
「かわいいようちゃん……」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「嫌だ……こんなの……嫌だ……」

 いつしか……洋平は死体に包まれていた。身を捩じり足掻こうとする洋平を、体液のような生温かさが包み込んでいく。

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

 死体が溶け、混じり合い……腐臭のようなおぞましい何かが、洋平を飲み込んでいく。

 俺は……。
 なんで……こんなことに……。
 なんで……なんで……なんで……。

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

 洋平はもがいた。視界が紫に染まっていく。汚泥の底へと落ちていくような感覚がする……紫の、腐って溶け落ちた、肉の膿の底へと。

 知らない……。俺は知らない……。
 俺の記憶……。俺の知らない記憶……。
 俺の知らない、俺の記憶……。
 俺ではない、俺の記憶……。

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

 もがき、沈んでいく洋平の眼前に、白い女の顔が浮かびあがった。

 エミリ……。

 女は無表情のままパクパク、パクパクと口を動かす。
 聞こえてくるのは、声ならざる声だ。

「顔」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「顔」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「甘露」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

 その言葉は、高い知性と非人間的な冷たさを感じさせた。
 
「知的生命体の生体反応において、恐怖こそが至上のものである」

 意識が……薄れていく。洋平は溺れるようにもがいた。

「知性体の持つ感覚器……認識と交流と捕食のための器官……『顔』を通じて、、、、ヲ、ィ、ェ 恐怖によって発せられたエネルギーを、鰹輯鐔� ……吸収し、鐔э秀��� 鐚�鐚�鐚�鐚�鐔�鐔�鐔� ……家畜……鐚醐執鐚��鐔э秀鐔�終��帥�、「、、、ヲ、ィ、ェ 」ー」ア」イ」ウ」皀筌� 」リ」ル」レ而耳自蒔・ゥハクサ嵂ス、ア・ム・ソ。シ・�……することが、オ。ヌス。ヲクヲオ�。ュカ<�奄�� 楽土である」

 それは言葉を超えた言葉だった。洋平は手足をばたつかせ「嫌だ」と叫んだ。しかしすべてが無駄だった。白い顔はなおも呟きながら、紫の肉汁の中へと溶けていく。

「縺ゅ>縺�∴縺� �撰シ……恐怖、甘露……顔、甘露……シ搾シ�ソ��。繹ア」

 そして気がつくと、洋平は真の闇にいた。

 ……くちゃ。

 くちゃ、くちゃ、くちゃ。

 ああ……。咀嚼する音が聞こえる……。

 くちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃ。

 洋平は飲まみ込まれていく……。

 …………。
 ……………………。
 …………………………………………。

 ダシテ……
 ダシテ……

 昏い底で、たった一人。

 ココカラ……

 孤独に囚われ、

 ダシテ……
 ココカラ……

 ただひたすら揺蕩っている。

テレッテー! 
うわーい、ぼくはあんこくをつらぬく、
あおきりゅうせい!
うちゅうをかけるせんしだ!

 己を見失い、体を震わせて。

 ダシテ……ダシテ……

 昏い底で、たった一人。

わるいうちゅうあくまめ!
ぼくがたいじしてやるぞ!

 ココカラ……

 ここは羊水のように温かくて、冷たくて。

 ココカラ……

しゅばーん、しゅばーん、
ばきゅんばきゅん!

 永遠に孤独で。

 ココカラ……ダシテ……

 顔。

 苦しくて。そして。

 ココカラ……ダシテ

 顔。

 ただひたすらに哀しくて。

どうだ、えいえい。
まいったか!

 ココカラ……

えいえい!
うわーい、やったぞ!

 ダシテ……

 涙ももはや、枯れ果ててしまって。

えーん、えーん。

 顔。

 ココカラ……

ごめんさい……

 ダシテ……

ごめんなさい……

 ココカラ……

わっはっはっ!
あやまったって、ゆるさないぞぉ!

 胸を押し潰す悔恨。

ココカラダシテ

 
 底知れない、闇だ。

 木霊のように声が聞こえる。

 ココカラダシテ……
 ココカ、ラ……ダシテ……
 ココカ、ラ、ダシテ……

 だが、それでもなお。

 洋平は思い出す。底知れない闇の中で、手を伸ばす。
 
 ココカ、ラ、ダシテ

 立ち上がり、前を向かなければならない。

 不確かな記憶の中で、たった一つだけ、確かなものがある。

 ココカ、ラ、ダシテ

 己の使命を果たすために。

 俺は望まない……こんなの、俺じゃない……。

 ココカ、ラ、ダシテぃ

 この胸を焦がす炎は。

 洋平は手を伸ばす。その先には……。

 ココカ、ラ、ダステ

 たとえ卑劣な罠にかかろうとも。

 微笑む美咲と、その手のぬくもりがあった。

 ココカ、ラ、ダシティ

 決して消えることはない。

 洋平も微笑んだ。昏い闇の中で、それでもなお、美咲の笑顔とその手のぬくもりだけは、確かなものとして信じることができた。

 俺の、女神様……。

 ココカ、ラ、ダシテ

 声が聞こえる。

そうだ。それでいい。
お前の自我を保て。
お前が望む、お前が信じる、お前だけの己を掴め。

 ココカ、ラ、ダシテ
 ココカ、ラ、ダシティ
 ココカ、ラ、ダステ

 俺は戦士だ。

 洋平は手を伸ばす。

 ココカ、ラ、ダシテ
 ココカ、ラ、ダシティ
 ココカ、ラ、ダステ

 俺は戦い続ける。

 今まで恐怖でしかなかった言葉が……「ココカラダシテ」と囁く言葉が……まるで洋平を励ますように、背中を押すように、力強く、そして明瞭になっていく。

 ココカ、ラ、ダシテ
 ココカ、ラ、ダシティ
 ココカ、ラ、ダスティ

 俺は宇宙を駆ける。

 洋平は……記憶の中のぬくもりを手繰り寄せ、掴み取った。美咲の微笑みが閃光のように洋平を包み込む。その暖かさの中で、繰り返され続けた「ココカラダシテ」という言葉が……

 ついに、真の意味を取り戻す。

 ココカ、ラ、ダステ
 ココカ、ラ、ダスティ

 ココカ・ラ・ダスティ

 俺は蒼き流星。

 そうだ俺は……。

 ココカ・ラ・ダスティ
 ココカ・ラ・ダスティ
 ココカ・ラ・ダスティ




「そうだ。俺はココカ・ラ・ダスティ。
宇宙を駆ける戦士」




 刹那、洋平の手から輝きが迸った。
 輝きは洋平の顔を貫き、焼き切る。

 ずるり。

 まるで仮面が剥がれるように、洋平の顔が滑り落ちた。洋平の視点がくるくると回転し、落下していく。

「あ、あれ……?」

 べしゃり。

 地面に落ちる音とともに、洋平は覚醒した。

 暗黒の空の下、男が洋平を見下ろしている。
 洋平は体を動かそうとして、大地の上でびちびちと魚のように跳ねた。

「え? え?」

 なんか……体が……おかしいんですけど……。
 手足の感覚が無いんですけど……?

 洋平は己を見下ろす男をまじまじと見つめた。

 え。え。え。

 え? その体……。

 ちょっと待って。その体って、俺の体では……?

「そうだ」

 見下ろす男は……洋平の体を持つ男は……静かに告げた。

「お前は……奇顔病の人面瘤だ」

「……は?」

 洋平は……目をつむった。

「なんだ、夢か」

 なんか安心したぞ。

「もうちょっとだけ寝よう……」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン……
 ゴゴゴゴ。ゴウン……

次回、最終回

「ココカラダシテ」は毎週火曜日、
19時に更新していきます。


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