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【ホラー連載】 ココカラダシテ 第四顔

これまでのできごと
・ 2019年7月23日 19:11 陳野洋平は嘔吐した。
・ 2019年7月19日 22:25 水原恵は失踪した。
・ 2019年7月23日 21:18 角田雅彦はタクシー運転手だ。

 薄暗い洋間。

 チカチカと、テレビが賑やかな明滅を繰り返している。陳野洋平(つらのようへい)はソファに寝そべりながら、繰り返される明滅を、虚ろな顔で眺めていた。

『世界水泳金メダル、顔選手にドーピング疑惑……』

 流れているのはニュース番組だ。原稿を読み上げるニュースキャスターの声音はどこか虚無で、鼻の裏側を通って出たような声が不愉快だな……洋平はそんなことをぼんやりと考えていた。ソファに沈み込む体が重い。起きあがる気力すらわかずにいる。

2019年7月23日 21:45

 瀟洒な住宅街の奥にある700坪の邸宅は、不思議なくらいシン、と静まり返っていた。

 洋平の彼女、美咲(みさき)は家に入るなり「うわ、汚い」とか「うわ、片付けなきゃ」とか「うわ、なんだこれ」とか、さんざんに騒いだあげく、洋平をソファに寝かしつかせ、「流しを借りるね」と言って出てったっきり、何分経っても戻ってこない。

 洋平は孤独だった。

 テレビが明滅している。

『世界水泳金メダル、顔選手にドーピング疑惑……』

 音が、聞こえてくる。

 ゴッ。ゴゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

『世界水泳金メダル、顔選手にドーピング疑惑……』

 ゴンゴ。ゴッゴゴゴ。ゴンゴ。
 ゴンゴ。ゴッゴゴゴ。ゴウン。

『顔選手に顔選手に顔選手に顔選手に顔選手に顔選手に顔選手に顔選手に顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔……』

 ああ、またか……と洋平は思った。それ以上の感慨は無かった。

 ブン……ブブン……ブン。

 テレビの画面にノイズが走り、ニュースキャスターの顔が歪んでいく。歪んだ顔は告げる。

『それでは、本日の特集です』

 歪んだ顔がカクカクと動きながら、洋平を見つめている。洋平はぼんやりとした目でそれを見返した。テロップが流れる。

特集:宮司家の悲劇

『15年前、宮司家を襲った悲劇とは』

 カクカク、カクカクと小刻みに揺れながら、ノイズとともにキャスターの口は動いていく。まるで早送りをしたような奇妙な声で、それは告げた。

『その真相に、迫ります』

 陳野家の隣には、かつて、広い敷地を持った立派な邸宅がありました。宮司家です。

 陳野家にも負けない豪邸は有名で、陳野家と宮司家、両家は高級住宅街の「顔」とでも言うべき人々だったのです。

 宮司家の一人息子、宮司東太(ぐうじとうた)くんは宮司家自慢の一人息子でした。同じく陳野家の一人息子である洋平くんとは、大の仲良しです。

 洋平くんは言います。

「東太くんはねえ、すごく楽しいんだ。僕と違って頭もいいし」
(東太くんのことは好き?)
「うん! でも……」

 洋平くんの顔が曇ります。

「少しは宮司君を見習いなさい」

 いつも洋平くんのお父さんは言うのです。そう言われるたびに、洋平くんは傷つきました。東太くんは優秀で、上品で、なんだかキラキラしている少年でした。

「東太くんは僕とは違うんだ」
テレッテー! 
うわーい、ぼくはあんこくをつらぬく、
あおきりゅうせい!
うちゅうをかけるせんしだ!
 暗い部屋の中、テレビだけが明滅しています。2階の子ども部屋の片隅。洋平くんは膝を抱えて小さく縮こまりながら、大好きなアニメを見ています。傷ついた時、洋平くんはいつもそうやって悲しい気持ちを紛らわせていたのです。

「ようちゃん」

 そんな洋平くんに優しく語りかける女性がいます。絵美里(えみり)さん。お母さんのいない洋平くんにとって、絵美里さんはまるでお母さんのような存在です。

「お母さん……」

 洋平くんは思わずそう呟きます。もちろん、絵美里さんは洋平くんのお母さんではありません。でもそんな時、いつも絵美里さんは優しく微笑んで、洋平くんの頭を撫でてくれるのです。

「ダメよ、ようちゃん。お母さんじゃなくて……」

 絵美里さんの唇が、洋平くんの目の前で艶めかしく動きます。

「エミリって呼んで」
「……エミリ」
「はい、よくできました」

 そんな会話の後、絵美里さんはそっと洋平くんを抱きしめます。「かわいいようちゃん」絵美里さんの肌はひんやりとしていて、洋平くんはゾクゾクとしてしまいます。
「困ったことがあったら、原因をひとつずつ潰していきましょうね」
 そして絵美里さんは体を離すと、洋平くんの赤く染まった頬に触れます。

「かわいいお顔」

 絵美里さんの真っ白な指が、さわさわ、さわさわ、と洋平くんの頬を撫で回します。

「お顔は、大切にしようね」

 ……そして、夏休みになりました。

「洋平くん、あーそぼ」

 燦燦と太陽が照りつける中、東太くんの声は元気です。洋平くんも元気に家を飛び出していきます。二人は大の仲良しなのです。楽しい夏休みが始まりました。

 でも、その夜。

「少しは宮司君を見習いなさい」

 またです。また洋平くんのお父さんはそんなことを言うのです。洋平くんは傷つきます。せっかくの夏休みが台無しにされた気分でした。そしてその次の日も。「洋平くん、あーそぼ」東太くんの元気な声が響きます。洋平くんは家を出ていきます。そして「少しは宮司君を見習いなさい」また言われます。「洋平くん、あーそぼ」「少しは宮司君を見習いなさい」「洋平くん、あーそぼ」「少しは宮司君を見習いなさい」「洋平くん、あーそぼ」「宮司君を見習いなさい」「洋平くん、あーそぼ」「宮司君を見習え」

 そんな毎日が繰り返されました。洋平くんは悲しげに呟きます。

「東太くんは、僕とは違うんだ」

 絵美里さんが優しく囁きました。

「困ったことがあったら、原因をひとつずつ潰していきましょうねぇ」

 そして、そんな夏の夜。

「洋平くん、怖いよ……」
「大丈夫だって」

 懐中電灯を持った洋平くんと東太くんが、陳野家の広い敷地の中を歩いています。陳野家の庭の裏手は林になっていて、100年以上前の古い小屋や井戸などが、そのままで残っているのです。

「もう帰ろうよ……」

 怯える東太くんに洋平くんは言います。

「肝試しなんだから、怖い方がいいんだよ」
「でも……」
「大丈夫だって。ほら……」

 洋平くんは懐中電灯で林の奥を照らし出しました。

「エミリもいるよ」
「え……?」

 次の日。朝から宮司家は大騒ぎでした。東太くんが姿を消したのです。警察が来て、近所の大人たちも総出で捜索を始めます。
テレッテー! 
うわーい、ぼくはあんこくをつらぬく、
あおきりゅうせい!
うちゅうをかけるせんしだ!
 洋平くんは部屋の片隅でいつものアニメを見ています。お父さんが問いかけます。

「洋平、東太くんを見てないか?」
「んー、知らない」

 洋平くんは身じろぎひとつせずに、膝を抱えた姿勢のままじっとテレビの画面を見つめています。そんな洋平くんを絵美里さんはそっと優しく抱きしめます。

 それから1日経ち、2日経ち、3日経ち、1週間が経過し……それでも東太くんは見つかりませんでした。
テレッテー! 
うわーい、ぼくはあんこくをつらぬく、
あおきりゅうせい!
うちゅうをかけるせんしだ!
 今日も洋平くんは、暗い部屋の片隅で膝を抱えてアニメを見ています。1階の玄関から声が聞こえてきます。東太くんのお母さんです。

「返して……うちの東太を返して……!」
「ちょっと、落ち着いてくださいよ……」

 困ったようなお父さんの声も聞こえてきました。洋平くんはじっとテレビを見つめています。
テレッテー! 
うわーい、ぼくはあんこくをつらぬく、
あおきりゅうせい!
うちゅうをかけるせんしだ!
「ようちゃん」

 背後から白い手が伸びて、そっと洋平くんを抱きしめます。

「聞こえてくるんです! 毎晩、お宅の庭から……」東太くんのお母さんは泣いていました。「聞こえてくるんですよ……!」

 お母さーん
 お母さーん

「毎晩、毎晩、あの子の声が」

 お母さーん
 お母さーん
 取られちゃったよー
 お母さーん

「ようちゃん」

 絵美里さんの白い手が洋平くんの頬を撫でまわします。

「お顔は大切にねぇ」

「聞こえる! ほら!」

 東太くんのお母さんが叫んでいます。

 お母さーん
 取られちゃったよー

「今でもあの子の声が!」

 お母さーん

「聞こえる!」

 僕の顔が

「東太!」

 僕の顔が

 取られちゃったよ

『その後の宮司家がどうなったのかは、誰も知らないと言います』

 ニュースキャスターは洋平を見つめながら、神妙な面持ちで告げた。

『とても、恐ろしい出来事でしたね』

続く

「ココカラダシテ」は毎週火曜日、
19時に更新していきます。


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