見出し画像

古事記のヤマトタケルに寄り添い、スキしてみた

ヤマトタケルさん、あなたはひどい人です。

景行天皇の皇子にして、西国の熊襲征討や出雲討伐、東国平定を成し遂げた英雄。

鬼のような強さで朝廷の全国統一に貢献した武神。

豪快で躍動感があり、武威をもって朝廷の威信を見せつけたあなたの活躍ぶりは、古代天皇の伝承録の中でも異彩を放っています。

でも。

敵を倒すときのやり方が、あまりにもえげつなく、ちょっとひどすぎませんか、ヤマトタケルさん?

名前をあげるから許してくれと命乞いするクマソタケルに、一片の情も見せず一刀両断し、名前だかはちゃっかり頂戴する。出雲タケルに対しては相手が風呂に入っている隙にこっそり木刀の剣にすり替え、お風呂上りのところを一気に攻めて命を奪う。

よくわかりません。そんな卑怯な真似をしなければ勝てなかったのでしょうか? 

あなたは強そうだし、もっと正々堂々とした戦いぶりであってもよかった気がしますが、違うでしょうか? だってあなたは皇子というまぶしすぎるお立場ですよ? どうしてそんなに荒っぽいやりい方だったのか、首をひねりたくなります。

もう一つついでに言うと、いったい何の道理があってあなたは実のお兄さんをその手にかけたのですか? 

あのときは景行天皇に、「お前の兄がここんところ顔を出さないから、ちょっと様子を見ておいで」と言われただけなのに、兄のところに押しかけていきなり命を奪った。そして天皇に「どうだった?」と聞かれて何食わぬ顔で「やっちゃいました」と答える破天荒ぶり。豪胆を通り越してほとんどサイコパスです。

とまあ思わず苦言を入れてしまったのですが、そんな血も涙もないようにみえるヤマトタケルさんでも、人間っぽく素直な一面を見せるシーンがありますね。

父の景行天皇に、東国平定の勅命を受けて征討の旅に出るときです。伊勢大神宮に立ち寄り、お参りして、斎女となった叔母のヤマトヒメノミコトにこんな愚痴をこぼしています。そこのところを意訳してみましょう。

お父さんって、俺のことマジで嫌いだよね……。だってさ、出雲と熊襲をやっつけてまだいくらも経っていないのに、今度は東の国へ行って言うこと聞かない連中を成敗してこいって言うんだよ? どう考えても俺のこと煙たがってるよね? おばさんどう思う? お父さんは俺のこと嫌いなばかりか、いっそのこと死んでしまえとか思ってない……?

「古事記」には、「嘆き泣き悲しんで出て行かれた」とあります。豪勇で鳴らすあなたがまるで幼児のように泣きじゃくるわけだから、その哀しみの深さたるや想像に難くありません。

このくだりを読んで「もしかしてヤマトタケルってファザコンだったのかな……」と思ってしまいました。

お父さんに認めてほしかった。

お父さんの愛情が欲しかった。

認めてもらい、愛情を受けたい一心だったから、ガムシャラにがんばって結果を出そうとして、少しやり過ぎてしまった。

もしかするとそんな真実があったかもしれませんね。

古事記は正直舌足らずな記述が多いので、書かれていない部分・わからない部分については想像に任せるしかありません。

私がみたところ、ヤマトタケルさんはお父さんが大好きで認めてほしいという思いが強かったように思います。

だって、お兄さんを殺し、地方の豪族や神々も容赦なくやっつけて、力だけなら天下一品ともいえる強さを持ちながら、なぜかお父さんにだけは歯向かおうとしませんよね?

あなたの実力をもってすれば、腕ずくで皇位を奪うこともやろうと思えばできたんじゃないですか? 

それをしなかったのだから、ギラギラした権力欲などはなく、純粋にお父さんに認めてもらいたかった。それで命令にも忠実になり、なりふり構わず行動に出た結果が、あのえげつないやり口だったと、好意的にみればそんな解釈もできないことはありません。

そういうふうに、ヤマトタケルさんの心情に寄り添ってみたら、強すぎる行動にも少しは理解できる余地はあるのかなという気がしました。

正直申し上げると、私は、ヤマトタケルさんの純粋な性格と、まっすぐで向こう見ずな行動に、ちょっぴり憧れる気持ちもあります。

それは私自身がどちらかというと感情を表に出すのが苦手で、ちょっとしたことでもいろいろ気に病んでなかなか行動に移せない人間だから、直情径行に突っ走るタケルさんがうらやましいというか、ないものねだりしてしまうのかもしれませんね。

その強烈な行動を文面だけ追ってみれば、ヤマトタケルさんはとても非情な方のように見えます。目的のためなら手段を択ばない暴君のようにも見えます。相手の痛みを分からないサディストといっていいかもしれません。

けれど、ヤマトタケルさんの気持ちがどこにあって、どんな背景と事情を抱えた人物なのか、それはつまるところあなた本人にしかわからないのです。

ヤマトタケルさんの例に限らず、そのような行動の奥にはどんな背景があったのか、立ち止まって考え、いろんな角度から物を見ることはどんな場合も必要だし、そのプロセス抜きには本質が見えてこないのかなとも思います。

ひとつの事象にちらばるたくさんの情報には大小の差があり、どうしても突出した情報、センセーショナルな情報に目を奪われてしまうのが人間の性です。私たちは得てしてそれだけですべての価値を決めようとします。これはある意味危険なことです。

暴虐な振る舞いがあったとしても、その背景にはそこにつながる何かしらの因縁があったりして、いたずらに感情や正邪だけで判断しようと思うと本質を見失うことがあります。俗っぽい言い方をすれば、俯瞰して公平に見ようというわけです。きれいごとかもしれませんが、なきもののごとく扱うより目を向ける努力をしたほうが評価する側もされる側もよき方向に流れていくと期待するのは甘いでしょうか。

ヤマトタケルさんにスキできる部分はないかと古事記を読みながらいろいろ考えていたら、物事を見極める難しさみたいな話になってしまいました。が、これはこれで大切なことであり、心にとどめておきたい学びを得られて感謝したいです。

このあたりでまとめます。

父への思いを正直に打ち明ける場面はヤマトタケルの人間味があらわれていてとても素敵です。勇猛だったあたなも最後、病にふせて異郷の地で客死する悲劇的な結末を迎えるわけですが、魂を白鳥の姿に変えて愛する故郷へ飛び立つ姿は詩情にあふれ、皇室の永遠を願う古代大和の心が象徴されているようで、文句なしに美しくスキです。








この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?