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【劇的バックパッカー紀行!深夜特急(小江戸号)】当時の写真で見る『ラオス』と番組内で紹介したエピソード

番組をお聞きの方もそうでない方もこんにちは。
ポッドキャスト番組『昭和オカルト奇譚』のマサです。
実は最近、なくなったと思っていたバックパッカー時の画像の一部が保存されているSDカードをサルベージしました。そこには、2004年頃のラオスの画像が収められていましたので、少しご紹介します。番組内でもラオスエピソードは触れているので、その時の画像なども。

また、基本ひとり旅なので、自分自身が映っている写真がほとんどないのですが、ひとつだけ今回、蔵出しします。

カンボジアの記事はこちらからどうぞ。

ラオス入りのルート

以前、番組内かスペース配信中に明かしましたが、僕はベトナムに結構長い間滞在していたため、ハノイに友人が多く、拠点も一時期そこにしていました。なので、カンボジアをシェムリアップ→プノンペンまで移動した後、再度ベトナム入りして、ホーチミン(サイゴン)→ダラット→フエ/ホイアン→ハノイに戻り、そこから国境超えのバスでビエンチャンまで向かいました。

全部車だと55時間かかるらしい

ハノイ→ビエンチャンは少なくとも22時間は乗車していた気がする。

長時間の乗り合いバスで何をしていたか…

嘘ではなかったでしょう?(ドヤり)

こちらはスペース配信で語ったと思います。バックパッカーが乗車する長時間のバスではどのように過ごすのか。違法性のある悪いタイプと、健全なタイプにわけるとした場合、僕は後者です(強調)。乗り合わせた他の旅人とトランプなどをやっていました。こちらは、バックパッカーのイスラエル人グループと、実は日本でも数年後にブームになる「人狼」ゲームの基ととなるゲームを教えてもらっていました。

この時のスペース配信で語っています。まだ聴ける?
※ぼくのアカウントでは残っているので一応貼っておきます。

「インターネットカフェ」とは?

ここを撮る必要性がなかったので、アドレス交換した方との写真にて。

カンボジア回の冒頭で説明した、謎のWindowsのバージョンがある「インターネットカフェ」。当時の東南アジア圏では画像のような感じです。通りに面してとても開放的(ドアとかない)で、PCと座り心地の悪い椅子がある空間をそう呼んでいました。一応ノートPCは持ち歩いていたのですが、Wi-Fiなど普及しているはずもなく、こういう場所でネットをするしかありませんでした。そのため、各国の貧乏旅人が集う場所でもあります。
奥地にいけばいくほど、日本語が使えないので毎回30分ぐらいかけて日本語IMEをインスコしていたのは何を隠そうこの僕です。

バックパッカー御用達の「ドミトリー」って?

まぁプライベートなど皆無です。

一泊1ドルや2ドルといった信じられない価格のドミトリーとは、相部屋の宿泊施設のことを指します。1部屋に複数台の2段ベッドがあったり、写真のようにベッドだけの部屋が多いです。男女兼用です。
こちらを動物園の猿とでも思っているのか、夜になると欧米人カップルがおっぱじめたりとか普通にありました…(´・ω・`)

東南アジア特有のおおらかなバスターミナル

こういうバスに長時間揺られます

写真はおそらく、世界遺産の街「ルアンパバーン」(ルアンプラハン)のバスターミナル。AM10:00発のバスが、PM2:00に到着するぐらいの時間差が普通なので、旅慣れている人ほど遅れてやってきても全く焦っていません。もちろん自由席です。指定席などありません。2人がけの席に5人座ろうがそれもまた自由です。

おいて行かれた村

伝われ…!絶望感!

どこかのおたより回でエピソードを語った、トイレ休憩中においていかれた村(の朝)。一瞬、なんでデスクトップの壁紙が目の前にあるんだろうとタスクバーを探すぐらい混乱しました。

目抜き通りの住宅街

この時使っていたカメラが確か、SONYから当時発売されていた、手の中にすっぽり収まるぐらいミニサイズのもので、常にポッケに入れていたのでカメラはあったのだと思います。バックパックは到着地点に運ばれ、前述のトランプやっていたイスラエリーが保管してくれていました。

世界遺産の街「ルアンパバーン」

ナイトマーケットが有名

この街は毎晩開かれているナイトマーケットが有名です。観光客価格なので貧乏バックパッカーはひやかすだけなんですけども。日本からシルクを買い付けにきている人もいるとか。

托鉢

早朝は、僧侶による圧巻の托鉢風景が見られます。

ラオスの物乞いはどうだった?

ラオスにはいなかった。子どもたちも人懐っこい

あくまで自分の体験のみですが、少なくともラオスには物乞いの子どもたちはいなかったように思います。ベトナムがお隣なので、イメージはそっちに近く子どものうちから物売りなどでちゃんと仕事をしている子のほうが多かった印象です。また、バスの乗り継ぎなどで旅人のもとに寄ってきたりもしますが、彼女たちの名誉のために書きますが、一切物乞い行為はされませんでした。通じない言葉で何か楽しく盛り上がっていただけです。珍しかったのでしょうね。

道なき道を泥にまみれながら進む

家畜を運ぶように人を運ぶ

ルアンパバーンから北は、当時はまだ舗装もされておらず過酷なルートでした。番組内のどこかでこれも語っていますが、バスではなく写真のようなタイでいうところのソンテウ風な車の荷台に押し込まれます。
泥にタイヤを取られるたびに、乗客もみなで車を押すため、ドロドロのボロボロになって、国境の街「ルアンナムター」に着きます。

電気が一日数時間しか使えない村

看板から場所がわかるかも

写真は、ルアンナムターで滞在していたゲストハウス前から撮影。ご存じの通り、ラオスはタイに電気を売っているので、国内は常に電力不足です。タイとの国境であるこの街は特に顕著で、一日に数時間しか電気が使えないため、扇風機が突然止まるという地獄がふいに訪れます。

メコン川の向かいはタイランド

ボートで国境を越えてタイに入ります。漠然とこのあたりでは、どこにでも人間は住んでいるものなんだなぁと考えていた気がします。特にへき地で車窓から流れる風景をみながら、そこに人の生活を垣間見たとき、そんな気分になりがちです。

車窓から流れる景色

…窓なかった!

【追記】まさに↑を撮影した前後と思われるMPGが残っていたので貼っておきます。

東南アジアに染まったぼく

タイ側で撮ってもらいました

普段滅多に自分を撮らないので、バックパッカー旅中の自撮りなどはほとんどありませんが、ラオス・タイ国境ではおそらく一緒に渡った旅人に撮ってもらったものが残っていました。
ベトナムで髪を切ったり、現地の服を着ていたりだったので、もうほとんど洗練された練馬ボーイのおもかげは残っていません。

川の国境

そんなこんなでラオスの画像をお届けしました。いかがでしたでしょうか。
タイトルがタイトルなのでお約束を貼っておきます。

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