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小学校30年生の教育雑感②実録:国語苦手少年⇒文系大学院修了へ

はじめに

この記事は、国語が苦手だったのに文系大学院を修了したある少年の記録である。

親「うちの子は国語ができないんだよなぁー・・・」

とテストが返ってくるたびに鼻息をフンフン!させている親御さんは続きをご覧ください。また、「自分もこんな少年だった!」と共感できるところもあるかと思う内容でもありますので、皆様気軽にお読みくださいね☆

※大学受験や大学院受験についてはほとんど書かれていません。ご注意下さい。

国語が苦手なある少年の思考回路

国語の問題文

 たけしの学校では1か月後の合唱コンクールに向け、各クラスが放課後に練習をおこなっていた。たけしは本当は部活に行きたいのだが、先生から頼まれて指揮者に抜擢された。たけしの幼馴染である真理子は、隣のクラスのピアノの伴奏者に選ばれたが、なかなかうまく演奏できず、クラスも伴奏者がうまく弾けないのだから練習が進まない。そんな真理子たけしに合唱について相談することにした。たけしは、

「うちのクラスの伴奏者の由美子ちゃんはピアノ上手だから教えてもらえば?頼んであげようか?」

真理子は何も言わず、たけしのもとから離れていった。そしてしばらく口をきいてくれなくなった。

問 真理子はなぜ何も言わずたけしのもとを離れ、口をきいてくれなくなったのでしょうか。説明しましょう。

みなさんならどう答えますか?・・・


国語苦手少年の脳内では・・・

この問題に対峙したとき、私(あっ、言っちゃった!)の脳内は次のような感情に支配されました。

(脳内)真理子は弱すぎる。わけがわからん。たけしの意見は合理的な解決策であると感じる。にもかかわらず耳を傾けないのはなぜ?「精神と時の部屋」で修業してボロボロの服で出てこいや!たけし、お前は部活に行け!

当時だって冷静に考えればわかるんです。真理子は口をきいてくれないのだから怒らせてしまったわけですよね。真理子が由美子に直接相談できるのであれば、たけしになんて相談しませんよ。

このような思考回路に陥り、気づくと残り15分!あせって解答欄を埋めるが、いい点数は取れず。わかってはいるんです。感情移入しては国語の問題は解けないことくらい。でも、テストのプレッシャーからか冷静さを失い、何度も同じ失敗を繰り返していました。

では、なぜ私が上記のような思考回路になってしまったのか、その理由を考えていきましょう。

理由①「解決してあげる=いいこと」という価値観

ある日、親戚のお弁当屋さんに遊びに行ったことがありました。おばさんのお弁当屋さんの2階は物置兼休憩場所のようになっていて、私はそこで一人遊ぶことにしたんです。暑かったので、扇風機をつけようとしたのですが、どうやら羽が回転部分の金具から取れてしまったらしく、しばらく使用していないとのこと。暇だったし、コンビニにおつかいにでもいって時間を潰したかった私は、瞬間接着剤を買いに行くことにしました。なんのことない作業で、羽と回転部分をくっつけ、スイッチをオン!羽は外れずクルクルと回り始めました。

おばちゃん「あらっ、〇〇ちゃんありがとう!すごいじゃない!」

以降、親戚の集まりの時にも間接的に私が扇風機を直した話をしてくれたりして、「よくできる子」だ、「頭がいい」なんてほめられる。直接ほめられることより、間接的に褒められていることを知る方がめちゃくちゃうれしい。しかも気をよくした親からお小遣いをもらえる!(しゃ!!)

私は一人っ子だったので、兄弟くらべられることもないし、好きなものも基本買ってくれる。だから、大人の要求にただただ従順であればよし。そこでこんな思考回路が出来上がったのです。

他者のことを考える=相手が困っていることを解決する=答えを与える

この思考回路は非常に強力なもので、他の思考回路など必要ないくらい自分の脳内では「キングオブ思考回路」として位置づけられ、また「この考え方さえしていればオッケー!」とすべての事柄を解決する公式と定義づけられるようになったのです。

ここで冒頭の問題文に話を戻します。真理子はピアノの伴奏に苦戦していました。たけしはおそらくその時もっとも合理的である「由美子に手伝ってもらう」という「論理的最適解」を提示したのでしょう。しかし、真理子の反応から分かるように、それは真理子にとってみたら最適解ではなかったのです。つまり、主観的な「解決思考」が脳内で起動し、干渉することが原因で国語の問題を冷静に解くことができなかったのだと考えられます。

理由②「勧善懲悪」が好き⇒貧相な語彙力少年へ

冒頭の問題ですが、当時の私に解答時間を1時間与えたらどうなるか。おそらくですが、先生から「〇」をもらえる解答を書くことはできなかったと思います。「頭の中」ではなんとなく真理子の気持ちはわかるんですが、感情を表現するために必要な「語彙力」が育っていなかったのです。

その理由は明白でした。「なるべく少ない言葉でやり過ごしたい」、「面倒くさい」、「友達と遊んでいても感情表現の語彙力は必要ない」。結果、以下の大人が好きな3大フレーズさえ心得ておけば、「世の中わたっていくことができる!」と確信していたのです。

「はい!」 「ごめんなさい!」 「ありがとう!」


理由③貧相な語彙力少年でも得意教科はある

おそろしいことに、この程度の語彙力の少年にも得意教科があります。それが算数です。少ない公式で1つの答えを導き出す。大好きでしたね。数学と違ってそこまで公式を暗記しなくてもいいですし。この算数を軸に中学受験を突破(マーチ附属2校合格)してしまいました。国語はおそらく60点くらいしか取れなかったのですが、算数は両校とも90点以上は取れたと思います。(※ちなみに当時は2教科で受験できましたが、現在ほとんどのマーチ附属は4教科受験です)


国語苦手少年のその後

しかし、私立中学に進学したことが結果的に人の気持ちを考えたり、コミュニケーションの工夫につながったり、社会性が身についたりする大きなきっかけとなりました。

私立中学では同じ学力の人間が集まっているわけです。自分より頭のいいやつが沢山いるわけですから、これまでの思考回路「他者のことを考える=相手が困っていることを解決する=答えを与える」が使用できなくなりました。だって、困っている人がいないんですもん(笑)

大学附属中に入ると、公立中とは違い、少年たちの価値観は「学力」を除く2つに絞られました。それが「運動ができる奴すげぇ」、「面白い奴すげぇ」です。特に後者は学年が上がるごとにその地位を高めていく傾向にあります。そしていつしか私も「面白いって思われてぇ!」と考えるようになりました。すると、相手の気持ちを考えるようになったり、人に興味をもつようになりました。

高1の現代社会の先生の授業がとても楽しくて、しかも普段悪さをしている少年たちも授業にまきこみながら(学校でほとんどの教員が不可能と考えていた!)授業を展開する。外国に旅行に行った話や、時事的な話を生徒と会話しながら解説してくれる。

私「おれの目標すべてが詰まっていらっしゃる」

気付いたら、教育関係への就職を目指し大学院で修士論文書いてました汗。要は、好きになれば勝手に新たな思考回路が構築されて、必要に迫られることで文章が上手になったりするわけです。

子どもはどこかで壁にぶつかって、今まで通用した思考回路が通用しなくなる瞬間があります。私の場合は中学入学後がきっかけであったと思います。我が子を見ていると、世の中に壁があることにすら気づいていない段階だと思うんです(笑)

国語力だけでなく色々な力を幼少期につけさせたくなりますが、自然なタイミングに任せることも大切かもしれませんよ!(子どもに国旗だ日本地図だ、ポイントカードだなんだって言っている、そこのお前、お前のことやぞぉ!)


子「(思いっきりパンチした後)パパーっ、戦いごっこしょう!!!」

父「・・・っううう。やったなぁーーーー!おりゃーーー!!(・・・まだタイミングじゃねぇな汗)」


小学校30年生さとる君

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