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インドネシア・スンバ島にて故大石慎治君の軌跡を辿る旅

インドネシアの秘境・スンバ島を訪れました。
スンバ島は、私が学生時代所属していたNPO法人e-Educationの仲間であり、大好きな友人でもある、故大石慎治さんが早稲田大学在学時に長期間滞在し、教育革命に挑む中で数多くの伝説を残してきた?インドネシアの離島です。


スンバ島とは?

インドネシアの8割が暮らすと言われるジャワ島の遥か東、ティモールのわずか西にスンバ島は位置しています。日本人はまだ数十人しか足を踏み入れたことがないらしく、ちらほら欧米人の観光客がいるくらいで、まさに謎に包まれた秘境の島です。インドネシア人のうちのスタッフにスンバ島に行くと言っても、半分のスタッフがわからなかったくらいマイナーな島w
ただ、最近は未開発で綺麗すぎるビーチに欧米人も気づき始めたらしく、リゾートホテル建設が少しずつ進んでおります。

ローカルの子どもしかいないビーチ

人口は約80万人とまあまあな数おります。
宗教はキリスト教や土着のマラプ教。ジャワ島はイスラム教徒がほとんどでバリはヒンズー教、こちらはキリスト教となかなか頭が追いつかない…笑
マラプ教徒は結婚する際にバッファローを20頭以上は購入しないといけない文化だそうで、「だからスンバは貧困なんだ。笑」と現地人は言ってました。

驚いたのは子どもと動物の数。
クリスチャンで堕胎できないこともあってかそこらじゅうに子どもがおり日本人からすると羨ましい限り。自由に、無邪気な笑顔を浮かべる東南アジアの子どもっていつ見ても本当に可愛い!
そして、動物。まったく開発されていない島なのでバッファローから牛、鶏、馬、犬などそこら中に寝そべっています。

大量発生バッファローに道を塞がれる…w

故大石シンジ君とは?


故シンジ君は、人生で出会った人の中でもTop3に入る変人です。笑
簡単に紹介します。

・佐々が学生時代所属しミャンマーへ行ったキッカケでもあるNPO法人e-Education(途上国版東進ハイスクール的なスキームを創って教育格差是正を目指すNPO。学生を1年間1人途上国に送り込みプロジェクト創ってこ〜いというクレイジーなインターンで有名。)でインドネシアプロジェクトを2014年に担当。スンバ島に長期間滞在していた。

・e-Educaionでは先輩、歳は同じ、リクルートでは後輩という時空が歪みまくっている人。(リクルートの面接はずっと短パンビーサンで臨み、合格するという謎スペックw)
かぐらぼという神楽坂にある超クレイジーなシェアハウスの発起人であり、ASEAN HOUSEのシェアハウスを立ち上げる時に様々なことを教えてくれた恩人。かぐらぼではいつも美味しい料理を振る舞ってくれた。
・麻雀好き。時間にルーズだけど、めちゃくちゃ優しくて人を褒めるのが得意。
・人類皆友だち!と言う感じ。とりあえず話しかける。みんなに好かれる。

そんなシンジ君は、2020年10月に交通事故で他界しました。
本当に大好きな友人だったのでとても悲しかったです。まだまだシンジ君と語りたいこと、一緒にやりたいことが沢山ありました。

スンバに到着!Ivonさんと初対面!


出張先のフィリピンからバリを経由し、「よし、スンバに入るぞ!」と、意気込み、離陸直前で航空機は加速。その時でした。
緊急停止。。。

航空機の故障でフライトが欠航。インドネシアのローカル航空会社どうなってんねん。。
このまま離陸していたら…あぶない。。

気を取り直し、バリで一泊した後ようやくスンバ島に到着。
e-Educaionインドネシアのシンジ君の後任である信くんにご紹介頂いたIvonさんの住んでいる街へととりあえず向かい、早速お会いしました。
Ivonさんはスンバ島生まれで、バンドンの日本語学科を卒業している(が、日本語は話せない😅)30代の女性。e-Educationの映像授業を導入しようとしていた高校の先生で、その時にシンジ君達と出会ったとのことでした。

Ivonさん

後任の信くんからは、シンジ君が変人すぎてイメージが強烈&おそらく入島した日本人がシンジ君くらいしかいないこともあり、スンバ人は『日本人=全員クレイジー』だと勝手に思い込んでいると聞いていました。そして、みんなスンバ人は日本人を見ると「シンジはどこだ?」と本気で聞いてくると。。
「そんなわけないだろ」と半信半疑でしたが、本当でした。笑

Ivonさんはとにかく楽しそうにシンジ君との思い出を2時間超語り続けてくれました。

シンジ君が残してくれたもの


Ivonさんが語ってくれたシンジ君のクレイジーストーリーは以下になります。笑

歩くたびに村人に話しかけ、全員友人になる。(どの言語で意思疎通取っているかは不明)村の子どもを全員引き連れて歩行。その親達は、初めて見る外国人SHINJIに驚愕。その際SHINJIは金髪だったこともあり、怪しまれて親たちは強制帰宅を指示し、シンジ君は怒られる。(尚、親たちには日本人は全員金髪だと思われている模様)
道で出会った人と、気づいたらその人の家で料理を敢行。とても美味しいスパゲッティを作る。
・村原産の純度100%の酒を購入し飲み干す。
・大石氏、忽然と消え、帰ってきたと思ったらいきなり海辺へ連れて行かれた。そこには「俺が発見し開拓した」と言い張る綺麗すぎるビーチが広がってきたという。

大石氏が開拓したと言われるビーチ。今では欧米人がサーフィンしに来るビーチになったらしい。

数えきれないほどの伝説で『日本人=クレイジー』というとんでもないイメージをスンバの後世に残していました。笑(ちなみに、「佐々は落ち着いている人だね。」と言われてしまいました。これでも日本ではかなり変人って言われるんですが…w)

そして、やはりシンジ君は愛されていました。
Ivonさんだけではなく、その後Ivonさんが連れて行って紹介下さる方もほとんどシンジ君のことを知っていてみんな口を揃えて「シンジはいいやつだ」と言っていました。

シンジ談話の様子

南半球の海を超えたこんな誰も知らないような孤島で、死んでしまった後も時代を超えて、話のネタを創り続け、愛される男はいるでしょうか。
みんな、本当にシンジ君のことを楽しそうに語るんです。10年経っても。なんだか胸が熱くなりました。
シンジ君のように、私も異国で愛され語り継がれる男になりたいな、と素直に思いました。シンジ君に教えを乞いたいです。

大石氏が渡り歩き友達になったと思われる村

シンジ君の想いを繋げたい!


佐々はあのシンジの友人だ!ということでスンバの村の人が私の滞在するゲストハウスに集まってきてくれました。
私の今取り組んでいるインドネシア日本語学校事業(詳細はこちら)のお話をすると、みんな興味津々。スンバ島ではやはり仕事は少なく、月に2,3万円しか稼げないとのこと。
次の日にはIvonさんの知り合いが働いている看護専門学校と、Ivonさんが教えている高校に連れて行ってくれました。
その高校はシンジ君がe-Educationプロジェクトを行っていた高校でした。

Ivonさんの高校にて、校長先生も暖かく迎い入れてくれました

日頃から私が叫んでいる「日本企業の駒不足を補うだけではつまらないじゃないか。日本での就業経験を活かし母国の発展へ寄与する人材の輩出を目標にしよう!」というASEAN HOUSEのビジョンに、高校の先生方は非常に共感して頂きました。

スンバで2,3万円の月給の方が、日本で20万円稼ぎ、故郷へ仕送りをして故郷も豊かになり、スキルアップして帰ってきて10万円稼ぐようになる。自分が富むだけではなく日本で培ったスキルやマインドセットを活かしてスンバの行政運営や経済発展へ貢献する。日本は修行の場なのかもしれません。主役はスンバ人。スンバ島。
※逆に日本人はスンバの方から、スンバにしかないモノを学ぶことができる。より密度の濃い“就労”を通した真の国際交流なのかもしれません。

我々は「いつかは絶対インドネシアに帰ってこい」と外国人求職者に言っております。笑

先生方はとても前のめりで、弊社のインドネシア/バンドンの日本語学校(詳細はこちら)へ自分たちの高校の生徒を進学させたいとのこと。その後日本に行けたら生徒の生活も良くなるのでぜひ後押ししたいと。

とんとん拍子で話が進み、締結をどのように進められるか?生徒がもし興味を持ってくれないとしたらどのようなパターンか?など具体的な話になりました。
インドネシアの責任者を呼べ!ということで弊社ASEAN HOUSE インドネシア支社マネージャーのOlivia を急遽繋ぎインドネシア語で具体的なことを話し合いました。(Oliviaの事業立ち上げストーリはこちらから)

校長先生にOliviaから説明

そして、生徒にも早速意見を聞いてみよう!と教室にも向かいました。
そうすると、なんと彼らは日本語が話せる!!!
発音も完璧でした。
他のスンバの学校ではドイツ語を第二外国語で教えているが、なぜかこの高校だけIvonさんのおかげか、シンジ君のおかげか、日本語を第二外国語で教えているそうでした。
もちろん生徒にとっては初めて会う日本人が僕ということもあり、私は一躍スターに。。笑
シンジ君がよく、「スンバで俺モテてたんだよ」と言っていたことを思い出しました。

私との写真タイムで30分くらい。人生最初で最後のモテ期でしたw

ASEAN HOUSEの日本語学校の話をするとみんな興味津々。
戦後の日本兵は良い印象もあるし、日本の文化の影響もある。そしてやはり給与が魅力的と言ってくれました。
こんな遠く離れた国で日本に興味を持ってくれて日本語を話してくれる方が沢山いらっしゃることに感謝感激です。


集まってきてくれて日本での夢を語ってくれました

シンジ君が尽力していたこちらの高校ではe-Educationプロジェクトは現在は行われていません。
しかし、確実にシンジ君はこの高校に、日本の良いイメージを残してくれていたのだと思います。
シンジ君が繋いでくれた縁を強く感じると共に、「これは運命かもしれない」と有難くそのバトンを受け取って次に繋げていきたいと強く思いました。

シンジ君が強烈なインパクトを残したこの島から、シンジ君の母国である日本へと!
そんなスンバ人を多く生み出し、その経験を通しスンバの発展に寄与する人材を輩出し、スンバの豊かさを守りたい。
シンジ君も喜んでくれるといいなと思います。

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