【第7回】ちょっとだけハードな僕の人生~とある日の記憶編~【自伝コラム】
ある日の夕方のことです。
僕は一人で自宅近くの公園からの帰り道を歩いていました。
直前まで家族と行きつけの公園で遊んでいたのですが、一人だけ遊びあきでもしたのでしょう。
もしかすると、家に帰ってゲームがしたくなったのかも知れません。
理由は覚えていませんが、とにかく僕は一人でした。
たしか、その頃の僕は小学校に入ってから1年ほどしか経っておらず、そのため、登下校の時間以外に一人で外を出歩くことは、まだ殆どありませんでした。
なのに何故、その時一人であったのかと考えると、それは母が複数人の子供を相手にしていたからということもあるでしょうし、その公園が家から一分程の位置にある近場の公園であったことも関係あるでしょう。
間もなくして僕は、特に迷うこともなく自宅前に到着しました。
住んでいた家が一軒家であったら、その日は何事もなく平穏な一日として終わっていたでしょう。
しかし、当時僕が住んでいたのは、とあるマンションの一室でした。
いつものごとく扉を開き、エントランスに入ると、管理人のおじさんが僕の帰宅に気がついて、扉を解錠してくれました。
これは特に珍しいことでもなかったので、ペコリと頭を下げた僕は、そのまま扉を通り過ぎました。
悲劇はこの直後に起こりました。
僕の家は3階の、階段を登りきったちょうど目の前に位置しており、
つまりは、エレベーターより階段を使った方が早く辿り着く位置にあったので、
その日も僕は、エントランスを抜け廊下に出ると、向かって右側、階段の方へと進路を取りました。
そのまま、いつものように慣れた足取りで階段の手前までやってきて、一段、二段、三段、四段と駆け上がりそのまま3階に到着、
となればよかったのですが、その頃の僕は階段を登ることをある種の競技のように捉えていました。
どれだけ早く3階まで駆け上がれるか。
そのことに子供特有の出所不明のこだわりを持っていたのです。
これがいけませんでした。
つまり僕は、2段飛ばしでかつ最速でその日も段を駆け上がろうとしていました。
年齢的に無理があるとはいえ、それまでは何事もなく済んでいたのです。
しかしその日は駄目でした。
僕のイメージでは、三階まで流れるように駆け上がる、といった予定だったのですが、
その日は、2歩目にしてブラックアウト。
つまりは、足を踏み外しました。
いや、それだけで済めばまだ良かったんです。
スネをぶつけるくらいのことはそれ以前にも偶にありましたし、足を引きずりながら自宅を目指せる程度のの痛みで済めば、多少我慢すればすぐに治る。
それほどまでに、子どもの治癒力は偉大でした。
しかし、その日僕がぶつけたのは、あろうことか右のこめかみでした。
ぶつけた瞬間のことは不思議とあまり覚えていないのですが、子どもの足取りがどれだけ恐れ知らずかということを知る人であれば、それが目をつむりたくなるような光景であったことは想像が付くかと思います。
実際、勢いよく段の角にぶつかったであろう僕のこめかみには大きな切れ目が入り、時間差でそこからは多くの血が流れてきました。
言うまでもなく大事故です。
しかし、その頃の僕は右と左を覚えたばかりの無知な少年でした。
当然パニックに陥って、泣き叫ぶことぐらいのことしか出来なかったのを覚えています。
幸い、血だらけのままこめかみを押さえて数分がたった頃に、早期帰宅者第二号として帰ってきた姉が偶然通りかかってくれたので、その後はどうにかなりました。
姉いわく、その後は同マンション内にいる知り合いの方に助けを求め、応急処置をしてもらったとのことです。
パニックになってこちらまで泣きたい気持ちになったけど、頑張ってこらえて、僕を助けようと頑張った。
報告を受けて駆けつけた母は、そのように訴える姉の姿を今でも覚えているらしいです。
何にせよ、あの時姉が駆けつけてくれて本当によかったと思います。
そのおかげで僕の傷口は、たったの三針縫うだけの軽い施術で閉じました。
もし母が子どもたちを連れてぞろぞろと帰ってきでもしていたら、それはもうパニックで大変なことになっていたかも知れません。
そうなるともう、阿鼻叫喚です。
一人だからと頑張ってくれた姉も、その時には母親を頼って動けなくなっていたかもしれません。
因みに、それからしばらく僕は、階段を使うことを露骨に避けるようになりました。
しかし、それ程大きなトラウマにはならなかったらしく、今では余裕で3段飛ばしが出来るようにまでなりました。
そう考えると、怪我なんて本当に大したことではないのかもしれませんね。
まぁ、傷口は消えず、未だに残っちゃってますが。
傷まないのでノーダメです。
【第8回に続く】
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