のら@文筆家
お役立ち情報です。 ※★はおすすめ記事です※ 自伝コラムエッセイ 短編小説趣味関係①弾き語り体験談 今後掲載する予定のタイトル 【片付け術】すべて捨てればうまくいく 【シンプル】地獄を抜けたきゃこれをしろ 僕流、強メンタルの作り方 【自己洗脳】あなたの描いたようになる ポジティブという戦略 【連載小説】日暮木陰シリーズ 【実話】引きこもり歴8年の僕が、ヒッチハイカーになるまでにしたこと 宗教という呪い 人は一人では生きれない 【エッセイ】最悪旅に出ればい
夕暮れ時、小さな町の中心にある公園で、少女のカエラは元気いっぱいに猫を追いかけていた。猫はカエラの足音を感じると、しっぽを高く掲げて逃げ出し、カエラはそれに付いていく。公園の中を駆け抜け、木々の間を縫うようにして駆ける。 猫は細い小道に入り、カエラも追いかける。小道は急なカーブを描き、猫はカエラを巧みにかわしながら先を行く。夕日が西の空を染め、木漏れ日が小道を照らしていた。カエラは息を切らせながらも、猫を追いかける。 突然、猫は小道の終わりにある古びた家の庭に飛び込む。カ
事務所のドアを押し開けると、堺が既に待ち構えていた。 「どうやら面白いネタを持ってきたようだな。」 「頼むぜ、堺。今回は俺が当たられたんだ。徹底的にやってくれ。」 堺はにやりと笑い、机に置いた書類を手に取った。「もちろんだ。相手の女は既に警察に連行されている。これから彼女の背後関係も調べて、どれだけの金が巻き上げられるかを見極めよう。」 話が早い。堺は仕事が迅速で確実だ。俺はソファに腰を下ろし、事の次第を細かく説明した。 「なるほどな。ストーカー被害と痴漢冤罪、しか
いつも通りの昼、リビングに出ると笑顔で迎えてくれるはずの母が、珍しくぐったりしていた。 「疲れた…」 どうやら、大分疲れた様子。 顔面からは完全に生気が抜けて、ゾンビみたいになっていた。 ラインをみると、弟からこんなメッセージが。 時計を見ると、時刻は午後二時。 他の家族はその時既に各々の予定で外出しているようだった。 いつも家族のために家事に勤しむ母。 思えば、子供だけでも5人いるこの家で、こうなる日が今までなかったことの方が不思議だった。 ゾンビのような
炎が消えたのは半年前、自分の限界を感じた時だった。 その日も僕はいつものごとく、自宅であるワンルームマンションにひきこもって、音楽制作をしていた。 将来は曲を作って生きていけるようになりたい。 16の頃から抱いていた夢は、その日までの約7年間変わらず僕の中にあった。 ひきこもり、社会不適合者、ADHD。 将来に対する不安は尽きなかったが、それでもことあるごとに自分を鼓舞し挑戦を続けていた。 「絶対に諦めない。」 「諦めなければ、きっといつか報われる。」 そんな
今年の創作大賞は僕のものです。 必ず大賞を取ってみせます。 言いたいことはそれだけです。
吉祥寺で弟と路上ライブをしてきました。 初めてなので一曲だけにしようとしたけれど、楽しくなって3曲もやっちゃいました。 (撮ったのは一曲だけでした。) 動画は一発目、米津玄師さんの感電を歌った時のやつです。 うまいとは到底言えませんが、楽しかったのでまたやろうと思ってます。 少しずつ決まり事を作りながら完成度を上げていきたい!! ということで、また今度。 ばいなら。
走り出したのは、冤罪を回避するためだ。 「この人痴漢です。」 思い出すだけで寒気がする。 電車を降りた時、小太りの女は俺の手を掴んでそう叫んだ。 周囲の目なんて、気にしている暇はなかった。 駅を抜ける時、何やら駅員らしき声に静止をされた気がするが、止まれなかった。 当然だ。 車内には確か、カメラは設置されていない。 俺は断じてあんな女になど触れていないが、舌戦に敗れる恐れは十分にある。 理詰めには自信があるが、一度容疑がかかった人間の発言に信憑性を見出そうと
平成世代、 特に2000年代前半生まれの方、 こんにちは。 旅する文筆家ことのらです。 今回は、 自分が小学生時代にハマっていたことについて突如書きたくなったので、書いていきます。 いやほんとに、語り始めたら止まらなくなると思います、はい。 我が家は複数兄弟だったので、 その頃にはやろうと思えば何でも出来るようになってまししたし。 いやほんとに。(誰も疑ってない) あの頃は最高でした(^^) 今も十分楽しいですが、子供の頃の鋭い感性を持ってものを楽しむことは、子
「みちは昔から、本当に手がかからない子だった」 母親に自分のことを聞くと、よくこう返されます。 因みにみちというのは、主に家族内で共有されている僕の愛称です。 たしかに僕は、幼い頃から今に至るまで一人でいることが多かったし、する遊びも比較的静かなものが多かったので、母が「あまり注意して見ていなくても大丈夫な子」というイメージを抱くのは普通のことだと思います。 少なくとも、さみしくて泣くようなことはなかったような気がしますしね。 しかし、そんな親の目を離れることが多
ある日の夕方のことです。 僕は一人で自宅近くの公園からの帰り道を歩いていました。 直前まで家族と行きつけの公園で遊んでいたのですが、一人だけ遊びあきでもしたのでしょう。 もしかすると、家に帰ってゲームがしたくなったのかも知れません。 理由は覚えていませんが、とにかく僕は一人でした。 たしか、その頃の僕は小学校に入ってから1年ほどしか経っておらず、そのため、登下校の時間以外に一人で外を出歩くことは、まだ殆どありませんでした。 なのに何故、その時一人であったのかと
小学校に入学して早々、僕はサッカーを始めました。 別に、もともとサッカーが好きだったとか、そういう訳ではなくて、きっかけは一つ上の兄がその時既にサッカーをしていたことでした。 ここまでも何度か触れてきた通り、兄は非常に人当たりが良く、運動神経も良かったので、アグレッシブなイメージのあるサッカークラブに当時からぴったりと馴染んでいました。 それどころか、彼は常に、他の誰よりもいきいきとボールを追いかけてたようにすら思います。 そんな姿を見ていたものですから、入学当初の僕
小学校入学当時の記憶が大人になった今存在するかと聞かれれば、おそらく殆どの方が「ない」「殆どない」と答えることでしょう。 しかし僕は、大人になった今でもその頃の記憶を割と鮮明に覚えています。 それが何故かと考えれば、実は僕自身、身に覚えが目茶苦茶ありまして、その時期にある衝撃的な出来事を1つ体験したからなのだと思います。 その出来事というのは、丁度入学の直後から始まった高学年児童との交流の時間です。 どのような名目の元に執り行われていたイベントかははっきり覚えていない
幼い頃に嫌いだったもの、嫌だったことを思い返すと、ぱっと思い浮かぶ情景が僕には2つあります。 1つ目は、僕ら子供に向かって獣のような怒鳴り声を上げる父の姿です。 まず初めに断っておくと、幼い頃から僕は父のことが嫌いだったというか、ひどく苦手でした。 理由はと聞かれても、当時の僕には「なんとなく」としか答えられなかったと思います。 幼さ故に考える力が足りていなかったというのもあるとは思いますが、それ以上に僕らは、思い浮かべるだけで思考が停止するほどの恐怖を父に対して常に
さて。 前回が家族構成、前々回が出産について書かせていただいたということで、今回からは数回にわたって、僕の幼少期時代の話を書かせていただこうと思います。 とはいったものの、僕は自分の幼少時代についてあまりはっきりした記憶を持っていなくて、つまりはこれから書くことは半分くらいが親づてに聞いた話になります。 まず、僕は今もそうなんですが、幼い頃からとにかくぼーっとすることが大好きでした。 「ぼーっとすること?それが好きだったの?」 と思われる方がいらっしゃるかもしれませ
本格的に自分の人生について語りはじめる前に、ここで一度、僕の家族の話をしようと思います。 まず、家族構成なのですが、僕の家族は数年前に亡くなった兄を含めると全部で8人います。 まぁ、兄に関しては時系列が追いついた時にでも詳しく書くことにするとして、とにかく僕の家は所謂大家族と呼ばれる類の家庭でした。 なんせ、僕が生まれた時点でも父母姉兄僕の5人家族だったわけですから。 そこに3人の弟が生まれてきて、全部で8人な訳です。 ここで気がついた方がいらっしゃるかもしれません