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炎
炎が消えたのは半年前、自分の限界を感じた時だった。
その日も僕はいつものごとく、自宅であるワンルームマンションにひきこもって、音楽制作をしていた。
将来は曲を作って生きていけるようになりたい。
16の頃から抱いていた夢は、その日までの約7年間変わらず僕の中にあった。
ひきこもり、社会不適合者、ADHD。
将来に対する不安は尽きなかったが、それでもことあるごとに自分を鼓舞し挑戦を続けていた。
「絶対に諦めない。」
「諦めなければ、きっといつか報われる。」
そんな言葉を僕は、おまじないのように唱え続けていた。
「できないかもしれない。」
そんな言葉は間違っても口にしたりしなかった。
ただ、その日の僕はいつもと何かが違っていた。
どれだけ頭をひねっても、曲作りが前に進まない。そんな状態が2週間ほど続いていたからかもしれない。
『僕には、音楽は向いていない。』
パソコンのディスプレイの前で、僕はついにそんな負の予感を口にしてしまった。これがいけなかった。
それから僕の脳内には、堰を切ったように負の思考が渦巻きだした。
曲を作るのは楽しい。しかし、本当にこれで生きていけるようになるのだろうか。なったとして、僕が夢見るような素晴らしい音楽家になれるのだろうか。
かき消すために、僕は何度もおまじないをかけようとした。しかし、その日はどうしても止まらなかった。
僕が生涯をかけて音楽に打ち込んだって、きっと出来上がるものは一流のそれには敵わない。であれば音楽は彼らが作ればいいわけで、駄作しか生み出せないであろう僕が曲作りを続ける意味はあるのか。
いや…
そこまで考えたところで、僕はぞっとした。
『ない…』
気づけばその2文字が、僕の頭の中を支配していた。
その日の夕方、僕は自らの手でパソコンを破壊した。貧乏な上に一人暮らしをしていた僕にとって、それはほとんど夢を捨てることに等しかった。
殴りつけていた時のことは、あまり覚えていない。しかし、翌朝ゴミに出したそいつの姿は、今でもはっきりと覚えている。僕にはそれが、夢の死骸のように見えた。
それから僕は、夢もくそもない単なるひきこもりに成り下がった。
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それから色々あって、現在僕は東京にある実家に帰って就職活動をしている。
8年続いたひきこもり生活ともおさらばして、今では普通に外にも出れているわけだ。
「一人が好き。」
「人が怖い。」
「社会がおそろしい。」
ひきこもりの頃は、世の中がそんな風に見えていた。この世のすべてが恐ろしかった。
今思うとそういう感覚はひきこもり生活を続ける中で染み着いた一時的な状態でしかななかったように思う。
勇気を出して外に飛び出して、社会になじむための努力を相応にするようになってからは、人の中で生きていくことの心地よさを感じることも増えたし、見えなかった人のやさしさにも少しずつ気づくことができるようになった。
むしろ今は、引きこもりに戻らないためにはどうすればいいのかということを常日頃考えながら過ごしているくらいだ。
ただ、一方で思う。外の世界や人への抵抗がマシになって、あの頃よりもだいぶ生きやすくはなった。
が、僕が今の暮らしを心の底から楽しめているかと言ったら、正直そうではない。
その点でいうと、引きこもって音楽制作に夢中になっていたあの頃のほうが10倍楽しかった。
ひきこもり時代は苦しさ50楽しさ50といった塩梅だったが、今は苦しさ5楽しさ5といった感じで、気分としてはほとんど無に近い。要は、半年たって僕の生活は、とてつもなく味気ないものになっていた。
原因はいうまでもなく、夢がなくなったからだろう。
あの頃、目標に向かってそれこそ命を削っていた僕は、例えるのなら黒い炎だった。
色こそどす黒く染まっており、流動性はないものの、熱だけは際限なく内側から湧き出て止まらなかった。体は暗い部屋の中にあっても、迷わぬようにと心を燃やし続けていた。
何より、なんとなく過ごしていた時間なんて一秒たりともなかった。そのせいか、一日が終わる時には、いつの日も充実感で心が満たされていた。苦しかった日も楽しかった日も、それは同じだ。
ただ、今はせいぜい街灯だ。
外の世界はいつだって明るいから、それほど大げさに照らさなくとも視界が取れる。つまり、平和すぎて大きな目標や夢を掲げなくともなんとなく生きていけてしまう。
それは別に、一概に悪いことではないのかもしれない。世の中には、平和と安心を何よりも大事なものと考える人も沢山いるだろう。
しかし僕はこの、刺激のない毎日にほとほと飽きてしまっている。
充実感を味わうためにわざわざ苦しい生活に戻りたいと言っているわけではない。ただ僕はあの日のように、命を懸けるに値するほどの何かを見つけて、全身全霊でそれに打ち込んでみたいと思っているだけだ。
つまり僕はいま、新たな夢を探している。それが何なのかは今はわからない。
ただ、これからはいろいろなことにチャレンジしていくつもりだ。
ちょっと前までひきこもり8年生だった自分が、今では普通に外に出て、夢を探している。半年後の自分がどうなっているのかなんて、考えたってわからないし、かえって選択肢を狭めることにもなりかねない。だから、今はあまり深く考えすぎないようにしている。
もしかしたら、もう一度音楽に戻るかもしれないし、就職をしてサラリーマンになっているかもしれないし、何かの間違いで宇宙を目指そうとか言っている可能性もなくはない。
実をいうと、この創作大賞へのエントリーも、次の夢を見つけるための行動の一環なわけだ。
文章を書くというのはあまり慣れてはいなかったが、なかなか楽しいものだとこの際分かった。もしかしたら、一か月後には作家を目指し始めている可能性すらある。
どのみち人生はよくわからない。
しかし、分からないからこそ、ここから先は改めて、楽しんで生きていくことを忘れないようにしたいと僕は思う。
大人になれば背負うものが増えて、目の前の不安を解消することにいっぱいいっぱいになりがちだけれど、不安がなくなったって、楽しくなければそこは地獄とほとんど変わらない。
そのことがここ最近、よくわかってきた。
この世は程度は違えど、どこに行っても地獄なのだ。ただ、そのことを忘れなければ、きっといつからだって人は違う地獄を選択できる。夢に向かって、不安を抱えながら生きていくことができる。
次に僕を燃やすのが、何色の炎かはわからないが、どうせ苦しむなら、僕はそいつとともに楽しく苦しみながら生きていきたい。
そう。
僕にとって天国とは、楽しい地獄のことなのだ。
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