【第5回】ちょっとだけハードな僕の人生~小学校入学当時の衝撃編~【自伝コラム】
小学校入学当時の記憶が大人になった今存在するかと聞かれれば、おそらく殆どの方が「ない」「殆どない」と答えることでしょう。
しかし僕は、大人になった今でもその頃の記憶を割と鮮明に覚えています。
それが何故かと考えれば、実は僕自身、身に覚えが目茶苦茶ありまして、その時期にある衝撃的な出来事を1つ体験したからなのだと思います。
その出来事というのは、丁度入学の直後から始まった高学年児童との交流の時間です。
どのような名目の元に執り行われていたイベントかははっきり覚えていないですが、そういう時間はおそらくどの学校でもある程度は取られるものかと思います。
はじめにこの時間を存在を知った時、僕は確か、かなりの不安を感じていました。
前回のコラムでも書いた通り、僕は幼稚園時代に他の園児からいじめを受けていました。
そのいじめの中心にいたのは主に男子園児でしたが、中には数は少なかったとはいえ女子園児の姿もありました。
つまり、直前までそのような環境にいた僕には、この交流の時間にも同じようなことが起こるとしか想像が出来なかった訳です。
「自分はもしかしたら、沢山嫌なことをされるかも知れない。」
「しかも、その人たちはとても大きいらしい。」
「嫌だ。」
「怖い。」
当時の僕の脳内には、おそらく、このような文言が無限に渦巻いていた事かと思います。
しかし、入学したての頃のそれが思い過ごしに終わったのと同じで、結果としては、僕が心配していたような出来事は起こりませんでした。
というかむしろ、逆でした。
結論を言ってしまえば、いじめられるどころか、僕は高学年の男女らから異常なほどに可愛がられました。
「自慢かよ…」
「キモいわ…」
「は?」
「萎えました…」
と思った、そこのあなた。
ちょっとだけ待って下さい。
何も僕は、自慢がしたくてこの事を書いている訳ではないんです。
考えてもみて下さい。
直前までいじめを受けており、そのトラウマから傷つけられることに酷く怯えて生きていた少年が、突如「かわいい」「かわいい」という甲高い声の中心に立たされたのです。
そりゃあもう、とんでもないくらい戸惑うに決まっているし、
大人になった今でも忘れないくらいの衝撃を受けても、全く不思議ではないですよね。
当時の僕の脳内なんて、そりゃあもう、
「!?!!?!??!!??????!??????!??????????!!??!??!!!?!?!!!!!??????」
みたいな感じでしたよ。
少なくとも、今まで散々他者からぞんざいに扱われ、靴を捨てられ臭いきもいと罵倒されていた僕にとっては、その経験はあまりに刺激的でした。
はじめのうちは、自分が何を言われ、何をされているのかすらも分からなかったほどです。
ハグに撫で撫でに抱っこにエトセトラ。
去り際には溢れんばかりの黄色い声援がドアの向こうに消えていく。
そんな扱い、お母さん以外の人からされた事なんて、殆どありませんでした。
というか僕は、お母さんにさえ、「放っておいても勝手に一人で遊ぶ手のかからない子供」として、放任に育てられた過去があるわけで、
そりゃあ、
「おいおい、いきなり何だ何だ?」
「なにかの間違えか?」
的な反応にもなるはずです。
最近流行りの某アイドル漫画のように、まるで自分が別人に転生したかのような気分にすらなっていたかもしれません。
しかしです。
普段からぼーっとしてばかりだった僕も、一応ものを考えてはいました。
つまり、はじめの数回は何がなんだかわからず戸惑うだけだった僕も、何度かそんなことが繰り返される内に流石に気がついたのです。
「もしかして、この人たちは僕のことを傷つけない?」
と。
その交流は確か、入学直後から一ヶ月ほど継続して行われていましたが、僕がそのことに気がついたのは、大体一週間が経った頃だったと思います。
そして、2週間が経ったぐらいの頃に、僕は遂に気が付きました。
「あの人たち、もしかして、僕のこと好き?」
「かわいいって言ってない?」
「まじ?」
と。
今考えると、1つ目の「」は勘違い甚だしいですが、まぁ、何にせよです。
それに気が付いてしまった僕はとうとう、幼心に浮かれ始めました。
というか、単純に嬉しかったのです。
ここには前のように嫌なことをしてくる人はいない。
それだけではなくて、自分のことを認めて撫でてかわいがってくれる人もいる。
その気付きは僕の体を知らず知らずの内に硬直させていた緊張という名の鎧を、ある程度溶かしてくれたのです。
とはいえ、幼い頃についた心の傷というのは簡単には消すことができないというように、それだけでは僕の心が完全に癒やされることはありませんでした。
「どうすればいいのかがわからない。」
そうです。
幼稚園時代の僕を襲ったいじめというトラウマ経験は、
その頃既に、どれだけ嬉しくても、悲しくても、自分の気持ちを上手く外側に表現できない人間に、僕のことを変えてしまっていたのです。
結果として僕は、かわいがってもらえるだけかわいがってもらって、その癖ありがとうとも言わず、笑顔も見せずに、最後まで、無表情と無口を貫くだけの人形のように、その交流の時間を過ごしてしまいました。
それでも彼ら彼女らは僕のことをずっとずっと可愛がってくれましたが。
しかし、胸の底で密かに喜びを感じることしか出来なかった僕は、彼ら彼女らの去り際にいつも寂しさを感じていました。
今になって考えればその時僕は、子供ながらに自分の情けなさを恥じていたのかもしれません。
そしてその悩みを僕は、今でも克服できないままでいます。
人から受けた愛や好意に、どう答えればいいのかがわからない。
いつか直せる時が来るのかと考える時がありますが、そのイメージは未だつかめていません。
思い返せば、僕はこの十数年間一方的な愛情だけを求めて生きる獣のように、どこか寂しい気持ちを抱えて生きてきたような気がします。
初めてその事に気がついたのは、高校生の頃、聞いていた曲の中に「愛さずに愛されたかった」という歌詞を見つけたときです。
まぁ、とはいえです。
僕はこの交流の時間と、そこで僕をかわいがってくれた高学年生徒の皆さんには、未だに感謝をしています。
あの頃、少しでも心が癒やされていなかったら、僕の心はその先、完全に死んでしまっていたでしょうし、大げさかもしれませんが、今僕が生きているのは名前も知らない彼ら彼女らのおかげだとすら思っています。
とにかく、今思い出しても、衝撃的なイベントでした。
改めて、その頃の思い出には感謝をしたいです。
ありがとうございます。
【第6回に続く】
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