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善と悪 ~クマとヒトとゴイムと~

地元では、今年もクマの話題が尽きません。いつまたヒトが襲われるかと、気が気でない日々が続きます。とはいえクマが善いの悪いのと言ったところで仕方ないですから、ヒトが天与の理性と感性をはたらかせて、あらたな悲劇を防ぎつつクマとの共生の道を切り拓いていきたいものです。

ツキノワグマ

多様な生物種の一つに過ぎないヒトですが、私たちは他の「種」とは比べものにならないほど大きな影響力をもっています。利害を正当化する善悪の基準を作り出してこれまで多くの「種」を絶滅させてしまったのですから、なんとも身勝手な生きものです。

ニホンツキノワグマも、道路開発や宅地造成といったヒトの行為によって、下北半島や四国山地など五つの地域では「絶滅の恐れのある地域個体群」に指定されています。

そもそもヒトは、とめどない欲望に苦悩する極めてまれな生物です。けれどもその長い歴史を悩み抜いた結果、生物多様性の摂理を知り、たとえ食物連鎖の頂点にいたとしてもそれは支配の頂点なのではなく「命」を差別せずに尊重しなければ自分たちもまた生きられないという道理に気づきました。そのため今では、クマに対してもやみくもな駆逐を戒め共生を模索しています。理性で欲望を制御し、知的に対処する術(すべ)を身につけて、ヒトは進歩したのです。

それでもいまだに、恥ずかしげもなく他者を差別し抑圧し支配しようと企みます。六万年程前にアフリカから散らばったヒトという「種」は、そのわずかな違いにこだわってヒトを差別し否定するのです。イスラエルでは、他の民族をゴイム(家畜)と称して蔑視します。それが善だというのです。パレスチナの人々を人間動物と公言して虐殺し続け、蟻だと言って軍用ブルドーザーで生きたまま踏み潰している様は狂気そのものです。

ヒトは善悪の基準にこだわると、あらゆる「命」を平等に尊ぶヒトならではの瑞々しい感性や理性を捨ててしまうのでしょうか。いつか自らの蛮行に向き合ったとしたら、その瞬間から加害の苦悩にもがき続ける事は明らかなのに。

そんなイスラエルに対して、日本を含む西側の為政者たちは「完全な連帯と支持を表明」しました。「ハマス及び他のテロリスト集団がイスラエルに対して行った残忍なテロ攻撃に対する最も強い非難を改めて表明する」と、G7プーリア首脳コミュニケで述べたのです。また、ウクライナに対しても「軍事、予算、人道及び復興の支援を継続していく」としました。西側のいくつかの国は、イスラエルやウクライナに対して、殺戮兵器を供給するだけでなく軍隊までをも派遣し続けているのです。

善悪の基準をもちだせば、ヒトは善を助けて、悪を懲らしめ駆逐しようとします。けれどもクマとも共生を目指していける私たちなのですから、自他を共に尊重した多様で寛容な共生社会を目指す事だってできるはずです。折角ここまで道徳的に進歩した心を、欲望にまみれた幼稚で野蛮だった頃にまで巻き戻し過ちを繰り返したのでは、あまりにも愚かではありませんか。悪を駆逐するためにではなく殺戮を止めるためにこそ、天与の理性と感性を活かしませんか。

一般に戦争は敵と戦う事のように思われますが、実際には支配者が善悪の基準をもちだして配下に殺し合いを命令(督戦)し、敵味方なく人々を不幸のどん底に陥れる行為です。極限状況に追い込まれ命令されて殺しあう双方の軍人も、戦場を離れて我に返れば加害の苦悩と被害の苦悩に生涯もがき続ける事となるでしょう。

「戦争をさせないために脅かしておこう」
「もしも侵略してきたら相手が悪いのだからやっつけよう」
「自分が殺したり殺されたりするのは嫌だから自衛官に頑張ってもらおう」等など。

自分たちさえ良ければ、あるいはまた、善なるものや「平和」のためなら、他の誰かが犠牲になっても構わないのでしょうか。その延長線上には徴兵制や生活苦が待っています。自分だけ無傷でいられるはずはないのです。

他者を抑圧したり差別したり支配したりせず、誰にも殺し合いをさせることなく、誰もが平和で豊かな生活を謳歌できる共生の道を切り拓きませんか。

進歩した心が願う【道徳的選択】を誇り高く貫き通したいものです。
悲惨な過ちを繰り返さないためにも。

かつて特攻兵が翼を振って今生の別れを告げたとされる開聞岳


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