見出し画像

ポーランド滞在記録2【希望ある物語を紡ぐ】

どうも!

ポーランド滞在記録の後半です。
前回の滞在記録についてはこちらをご覧ください。

今回の滞在では、僕ら家族はエコロジカルホイスコーレに泊まらせていただいたわけですが、食事は三食とも発起人のEwaの家でお世話になっていました。

三食一緒に過ごすことは短い時間でもポーランドの生活、そしてEwaの人生そのものを知る上ではとても大切な時間となり、ありがたいことでした。

Ewaの家は、エコロジカルホイスコーレの敷地内にあり歩いてすぐのところでした。近くにスタッフも住んでおり、子ども達も中庭で遊んでいることもしょっちゅう。
長男くんは初めて、同世代とちゃんと遊ぶ経験になりました。

サッカーボールが言葉を超え、ボールにより心を通わせる瞬間を間近で見ました。笑

ただ、ここで一緒に暮らしている犬のトゥビッシュに追いかけられまくり、長男くんは号泣してました。笑

食事にはEwa達が作ったチーズやパンが食卓に並んでいてとても豊かな時間でした。また、ポーランドの伝統的なスープや僕らのために米も用意してくれていました。

ジャガイモ&ビーツの冷製スープ。芋は直前に一緒に掘りました。
工房で作られているレーズンパン。丁度いい甘さで本当に美味しい。

ご飯を食べる前には、短い歌をみんなで歌います。
「慈しみと愛を持って、神と共にありますように」
そんな意味だったと思います。同時に「いただきます。」という日本語僕らがいうと、意味を教えてというので、その意味も伝えて、食文化でプチ文化交流でした!
でも、総じてポーランドも日本も「感謝をする」ことでした。
やっぱりこういうことが素敵だよね。

フォルケホイスコーレの10の要素をまとめた10冊セットの本には「Sing together」という一冊がああります。まさに歌うことを通じ、共同することや感謝、愛についての理解を深めていくことをエコロジカルホイスコーレでもやっているのだなと感じました。

2日目には彼女が滞在しているエリアの近くにある美術館にも案内してくれました。元々は人が住んでいたらしいのですが、今は美術館としてポーランドの世界大戦前の生活からその後を展示しています。
Skansen Osadnictwa Nadwiślańskiego w Wiączeminie Polskim
ここでは旧福音派アウグスブルク協会やヴィエンチェミン ポルスキ村の生活を垣間見ることができます。

17世紀からその後にかけて非常に多くの人たちが移住してきていたそうです。ポーランド人やオランダ人、そしてドイツからの移住者も多かったそう。宗教的な立場が中心だった当時の世界において、カトリックやプロテスタント、福音派なども混ざり合いながら教会を利用し、様々な立場の人たちがこのエリアに住み、共に暮らしていたそうです。
特に福音派(=主にドイツ人)は農業や土地改良の技術的な土台を持っていたこともあり村の農作物を育てる土台を築く上ではとても重要な役割を担っていたそうです。

奥に見えるのが協会、その手前には当時の民家がいくつか並んでいます。
当時のこのエリアにあった民家を再現したもの
教会の中にはこの地区の歴史が記されていました。
教会の近くには必ず学校があり、子ども達はここで民族の壁を越え
共に学んでいたということ教えてくれました。

その後、第二次世界大戦が始まります。
ヒトラー率いるドイツのポーランドへの態度は歴史的周知の事実です。
その際に、ポーランドから多くのドイツ人が追い出されて行ったそう。そして、このエリアでも共生し共に暮らしていた彼らでしたが一緒に住むことはできなくなったそうです。当時村に住んでいたポーランド人もドイツ人も双方が等しく大戦の犠牲者。

それでも、何人かのドイツ人が村に残り続けたり、大戦後戻ってきたりしたということ。そして、住民たちは協力して、荒廃していた教会を自分たちみんなで修繕し、礼拝も一緒にしたそうです。

「ポーランドとドイツは歴史的に非常に難しい関係になってしまった。
それでも、ここで起きていた出来事は私たちにとても大切なことを教えてくれる。私たちがここで活動する意味をこの出来事は教えてくれる。」

「現在までもポーランドの多くの人の心に遺恨を残していることは変わらないそれでも、私たちにはもう一つ理解し共に分かち合ってきた歴史もある。それがとても大切。」

この物語をEwaは僕ら家族に伝えてくれました。
勇気がもらえる時間でした。

一緒に近くの歴史地区を散策し、夕食はポーランドの伝統食をいただきました!

Ewaと生活を共にしていると、彼女の願いみたいなものが見えてきます。

「これから生まれてくる子ども達や次の世代が平和になるように
そして、この豊かな自然環境を次の世代まで引き継いでいけるように。」

非常に過酷で苦しいコンテキストの中にいても、希望を失わない。
自分の願いを見失わない。

「あなたはとてもオープンで、話していて楽しいわ、私が答えられることはなんでも答えるからいつでも話してね。」
彼女と話している中で言われたワンセンテンスです。

彼女から何かを託されているようなそんな感覚にもなりました。
そういう文脈を引き継いで生きていけるように僕自身もまた力強く生きていこうと思いました。

ポーランドという国が大好きになりました。
また絶対に行きたいな。

それでは!

エコロジカルホイスコーレから見えた夕日。本当はもっと美しかったんだけど。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?