ポートランド滞在記録5【多様性の町でDiversity&Inclusionを考える】
どうも!
オレゴン歴史博物館に行って来ました。というのは前にも書きましたが、この博物館に滞在したことで多様な社会でどのように人々が共生していくのかについて、うっすらと、ポートランドに滞在してから感じていた感覚が言葉になってきたのでそちらにフォーカスして書いていきたいと思います。
この博物館、とても好みでした。
様々な常設展と共に”問い”を投げかけられる展示がおいてあり、オレゴンという土地にある物語を辿ると共に、自分がオレゴンで滞在(住民向けには住みながら)しながら感じていることを問いと共に深めていくことができます。まさに、歴史を辿る旅をできるような仕立てになっております。
展示自体はそんなに多くはないのですが、しっかり旅をしたら気づいたら2時間くらい経過していました。
結構、それぞれの問いが刺さる。
そして、いかに自分が普段暮らしているエリアで考え方や行動様式に共通性のある生活文化が土台にある社会で生きているかについて改めて認識したのでした。
同時にインクルージョンっていうのは既存のメインストリームにマイルドに溶け込んでいくような、そんな形で実現していくようなイメージを持っていることに気づきました。時には強烈な痛みを伴い共通体験をし、コミュニティや社会全体が次の認識に進んでいくこともある。
自分自身がその認識自体に向き合える機会になったのでよかった。
とまぁこんな感じで普段生活していて、多様な社会だってことを認識できる生活基盤が近くにあるのがポートランドの生活。
圧倒的な多様な人たちが暮らしているということなわけですが
一つの事象を見るときに、本当にそれぞれの立場から見えてくる視点があって、それを知らないこと自体が分断を生み出すのだということをしばしば感じるのです。
同時に、自分も圧倒的なマイノリティ。
攻撃されるかもしれない立場にいるわけです。
そのポートランドで短いながらも感じていた、自分の中の体験の蓄積がこの問いによってひとつ昇華された気がします。
この歴史の旅を終えた後に自分の中に立ち上がってきた着想の一つとして
異なる背景を持つ人たちが、インクルージョンし共生していく社会を築いていく際に重要なプロセスとして
「体験と対話を重ねて相手を理解し、信頼し(時に失敗も許容し)
最後には双方に勇気を出し、相手に委ね、信頼をベースに再構築する。」
特に異なる違う立場の人を包摂する世界を再構築していくそのためには、膨大な共通体験の機会とそれに基づく対話の機会が特に大切だと感じます。
その体験の際には、異なるバックグラウンドの影響で擦れ合うこともあるだろうけど双方に諦めずにその体験から感じたことから考えたことを言葉にしていくしていくことも同じくらい大事なのだなと。
やっぱり身体性を伴う体験の力がまずはとても重要なのではないかと思うのでした。そして、この歴史博物館も一つの体験装置になっているのだなということを感じました。
そして、生まれてきた問いとして
「この多様な文化・背景をインクルージョンできる社会の実現のために必要な体験と対話の機会をどのように実現するのか?」
その社会の実現に必要なのは「余白」
体験を許容できる時間の余白、空間の余白、思考の余白、関係性の余白
「余白」という言葉だと既に色がついている言葉な気がするが、
つまり余裕が大切そうだ。
ポートランド的には創造性という感じか?
”常に資源を使い競争し優位を築く経済システム”
”常に時間を食い潰していくライフスタイル”
”常に関係性を消費していく人間関係”
ちょっと余裕のなさそうな感じがする。
近頃、ポートランドでも少しだけ差別的な言動が増えてきているような話も聞きます。
コロナをきっかけにホームレスやドラッグなどで治安も悪くなり、少し余裕がなくなってきたからなのだろうか。
元々、多様な社会だったわけですがそのひとつ一つの背景をいかにインクルージョンしていくのか?
同時に膨大な時間がかかるこのプロセスに対してポートランドはどのようになっていくのかについて、非常に学び深いなと思います。
ということで、ありがとうオレゴン、ポートランド。
完全にインスパイアされています。
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