Shoji_M

福岡県北九州市生まれ。高校卒業後、東京へ。 バンドを始めて一生懸命練習していた頃の話を…

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福岡県北九州市生まれ。高校卒業後、東京へ。 バンドを始めて一生懸命練習していた頃の話をいつか書こうと思っていたら、40年以上経っていました…。 週1ペースで書いてみたいと思っています。

マガジン

  • 小倉竪町ロックンロール・ハイスクール

    1981年9月、日本を代表するパンクバンド・亜無亜危異(アナーキー)の前座を演るためにクラスメイトとバンドを結成。ギタリスト以外はバンド初体験で演奏経験なし。ライヴは3か月後…。週2回のスタジオ通いが始まった。 ※登場する人物やできごとはすべてフィクションです。実在の人物や組織などとは関係がありません。また誹謗中傷する意図もございません。

最近の記事

John & Yoko

1960年代から1970年にかけて活躍したイギリスのロックバンド「ビートルズ」のメンバーだったジョン・レノン(以下、ジョン)がニューヨークで射殺されたのは、1980年12月8日でした。 ジョンと小野洋子(以下、ヨーコ)は1966年11月に知り合い、1969年3月に結婚式を挙げています。 出会ったばかりの頃、ジョンは「新聞は男が先に読むものだ」とヨーコに言い放ったそうですが、ヨーコは「じゃあ、2部取りましょう!」と言い返したらしいです。 そんなことを言った彼ですが、1975年に

    • 再生

      小倉竪町ロックンロール・ハイスクール

      「小倉竪町ロックンロール・ハイスクール」の紹介動画を制作しました。 1981年9月、日本を代表するパンクバンド・亜無亜危異(アナーキー)の前座を演るためにクラスメイトとバンドを結成。ギタリスト以外はバンド初体験で演奏経験なし。ライヴは3か月後…。

      • 小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.30

        「キミたちは未成年だから、酒とかタバコは禁止だからね! 見つけたらソク出場停止! 分かった?」  コンテスト当日、出演する14バンドを前に鈴木先生が予定や注意を説明している。他の13バンドを見回してみたところ、唯一ライヴハウスで見かけたことがある2年生のパンクバンドがいるくらいで、他にロックぽいヤツらはいない。 「これは楽勝かも…?」とほくそ笑んだ。  チケットは西北女学院のグループやシライさんの部活仲間に頼んだところ、思いの外に売れてしまい、最初にもらった30枚では足らず、

        • 小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.29

          「今度うちのスタジオ主催で“高校フォーク・ジャンボリー”っていうコンテストをやるんだけど、ウッチーたちも出ない?」 「フォークですか? オレはロッカーですもん。フォークシンガーやないけん…」 「フォークもロックも良いものはイイし、オマエらフォークは暗いとか、貧乏臭いとか言ってバカにするけど、パンクだって暗いじゃん?」 「ボクは明るいパンクバンドを目指しとるとですけど…」 「ん…? 明るいパンク? そんなもんはない!」  いつものようにスタジオへ遊びに行ってヒマそうにしていた

        John & Yoko

        マガジン

        • 小倉竪町ロックンロール・ハイスクール
          30本

        記事

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.28

          「マコトは受験するんやろ? どうすると?」 「東京の大学に行こうて思いよるんよ。親が福岡とか大阪に行くんやったら東京に行けち言いよるし。セイジくんはどうするん? こっちでバンド続けると?」 「新しいバンドに入ったけど、ヴォーカルのヤツも大学進学で東京に行くつもりらしいけん、この夏で解散するんやないんかね? 俺も東京行こうかね…。新聞奨学生ち、あるんよ。バンドの専門学校とかもあるらしいんよね…」  にぎやかな声が響き、時おり水しぶきが飛んで来る。照りつける太陽のもと、プールサ

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.28

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.27

          「文化祭どうするや? 出るんやったら明日が申し込みの締切日で、出演者への説明会もあるらしいばい」  6月初旬、久しぶりにショウイチがうちのクラスに来た。 「どうするってどうするん? セイジくんとゲンちゃんの都合がつくんやったら演ってもいいけど…」 「2人は出てもいいち言いよったばい! じゃあ、申し込んどくばい」  そう言うと、ショウイチはさっさと自分のクラスに戻っていった。  高校の文化祭は6月26日(土)と27日(日)だった。本番まで3週間くらいしかない。  次の日にミーテ

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.27

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.26

           ライヴハウスからベース教室の鈴木先生に「スターリンのライヴで警備が足りない。チケットはソールアウトしているし、誰か手伝ってもらえないか?」と連絡があったそうだ。 「ウッチー! ライヴハウスが緊急事態らしいから、バンドのメンバーとか友だちを集めて、これから呼び出して応援に行っておいで!」  家でテレビを観ていたら、鈴木先生から電話があった。 「でも鈴木さん…、スターリンって、ステージで全裸になったりシッコとかをしたりするバンドなんでしょ! 豚の内臓とか、頭とかも投げつけるらし

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.26

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.25

           3年9組は受験科目が少ない私立文系を目指す生徒が主なクラスだ。2年間ずっと男子クラスだったので、3年9組は初めての男女混合クラスだった。 「これから楽しい健全な青春が始まる!」と少しだけ期待していたが、3年生ともなるとほとんどの生徒は受験を意識していて、浮かれた雰囲気は少数派だった。すっかり忘れていたが、自分の通っていた学校が進学校だったことを思い出せてくれた。 「バンドは終わった。勉強せな」と生徒手帳の1ページ目に書いたくせに、勉強をするモチベーションは全く上がらなかった

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.25

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.24

           セイジくんが抜けて、ゲンちゃんも新しいバンドに入ったので、ノイズは実質解散状態になってしまった。  でもセイジくんが1回目の2年生の頃から演っていたバンド(ノイズを始める前に演っていたバンド)をボクが手伝うことになっていたので、私立大学の受験がほぼ終わった2月下旬からまたスタジオに入り始めた。  3月20日に3年生がレインボープラザで卒業記念コンサートを企画していて、そのバンドもエントリーしたものの、ベーシストの都合が悪くなり代役を頼まれたのだ。昨年6月の学園祭で観て、「カ

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.24

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.23

           北九州市の中央部に位置する中央町に建てられたレインボープラザ(北九州市勤労会館)の地下1階には多目的ホールがあり、学生主催のライヴやダンスパーティーがよく行われていた。今回出演することになった「スプリング・ライヴ」も、うちの高校の2年生が主体になって企画したもので、その中心になっていたヤツが友だちだったのでボクらのバンドも誘ってくれた。  出演バンドは10バンドでチケット代は100円。しかも日曜日の昼から開演だったので、ライヴハウスのチケットに比べると断然買ってもらいやすか

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.23

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.22

          「3年生を送る会」のライヴ演奏は、うちのバンドがトップだった。  2年生代表から、大学進学や就職する3年生への激励と感謝の挨拶が終わると、すぐ出番なのでステージの横で待機していた。  1階席も2階席もほぼ満席だった。 (うちの学校って、こんなにたくさんの人がおったんやな…)  そんなことを思いながら、舞台袖から客席を見上げているとだんだん緊張してきた。1学年約450人で3学年、欠席している人もいるだろうが、1300人くらいはいる計算になる。  ホールなので舞台も広い。ライヴハ

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.22

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.21

           次のステージは8日後、市民会館で開催される「3年生を送る会」だった。  全校生徒合わせると1,300人以上、受験や病気等で欠席する生徒がいたとしても1,200人以上の観客はいるだろう。しかも市民会館の大ホール。この会のためだけに演奏するモッズの曲を中心に、気合いを入れて練習した。  2年8組の仲間も「3年生を送る会」でうちのバンドを盛り上げるために準備をしてくれていた。 「オマエらが出てきたら、みんなでノイズコールをして盛り上げるけん。…で、演奏が始まった瞬間に、クラッカー

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.21

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.20

          ライヴハウスからバンドの写真を持って来るようにと、ショウイチに連絡があったらしい。  1月2日の昼に黒崎SOGOで待ち合わせをして、屋上で写真撮影をした。カメラマンはショウイチの弟。無理矢理連れて来らされたようで、ふてくされていた。 「おい! レンズ睨め!」  SOGOの屋上でショウイチが叫んだが、みんなで別々の方向を見た。  撮影は30分もかからず終わったので一旦解散することにして家に帰ったが、夜中にまた集まって黒崎の初売りに参戦した。 「すげぇ〜! 起業祭みたいやん!」

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.20

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.19

           1月1日、家族との新年の挨拶はそこそこに、でもお年玉だけはちゃんともらってから、ライヴハウスへ向かった。  元日のステージは、大晦日の夜から元日の夜まで延々とライヴが続くイヴェントの一環だった。人気バンドは一番盛り上がる新年を迎える頃か、エンディングに近い時間帯の出演で、ボクらのバンドは午後イチくらいの予定だった。  ライヴハウスの出演も4回目ともなると、すっかりミュージシャン気取りだった。スタッフの方々や共演者に「おはようございます! おめでとうございます!」と挨拶をして

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.19

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.18

           1月1日(金)、5日(火)、22日(金)にライヴハウスの出演が決まった。  正月のライヴは年越しイヴェントなので、何もしなくてもそれなりに人が集まるはずだが、5日と22日は自分たちを含めた3バンドのみが出演。どのバンドと一緒に演るかはまだ決まっていないけど、たぶん新しいバンドと組まされるとショウイチが言っていたので、自分たちでがんばってチケットをさばかない限り誰もやって来ない事態が想定された。  幸いノルマはないらしいが、チケットは売らなければならない。チケット代は600

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.18

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.17

           ショウイチから今度はライヴハウスのオーディションだと言われていたので、ベースを持って学校に行った。昨夜は早く寝たくせに、まだ身体がだるく、肩に食い込んだプレベがいつも以上に重たく感じる。  教室に入ると、2年8組では唯一の生徒会役員であるヨシアキがやって来て、うちのバンドが「3年生を送る会」のオーディションに受かったことを教えてくれた。 「えっ! 何でオレらが選ばれたん? 誰かが生徒会役員を脅したりしたんやない?」  そう思って教室を見回してしまった。 「ショウイチが何か裏

          小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.17