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小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.17

 ショウイチから今度はライヴハウスのオーディションだと言われていたので、ベースを持って学校に行った。昨夜は早く寝たくせに、まだ身体がだるく、肩に食い込んだプレベがいつも以上に重たく感じる。
 教室に入ると、2年8組では唯一の生徒会役員であるヨシアキがやって来て、うちのバンドが「3年生を送る会」のオーディションに受かったことを教えてくれた。
「えっ! 何でオレらが選ばれたん? 誰かが生徒会役員を脅したりしたんやない?」
 そう思って教室を見回してしまった。
「ショウイチが何か裏工作したんかね?」
 セイジくんも驚いていた。
 出演が決まり、クラスメイトも喜んでくれた。
「ノイズの出演が決まったんやったら、みんなで思いっきし盛り上げんといかんね」と2年8組は盛り上がっていたが、「本当にオレらでいいん?」とちょっと複雑だった。
 その日も6時間目が終わるとダッシュで学校を出て、制服のままライヴハウスへ向かった。「おはようございま〜す!」と重たい扉を開けながら挨拶をして、楽屋へ行き、土曜日に着ていた服に着替えた。
「もうこれで3回目なのに今さらオーディションとかするん?」と思ったが、このライヴハウスにレギュラー出演するにはオーディションが必須らしく、今日はその月に1回のオーディション・デーで一般の客も入れるらしい。(とは言え、簡単なサウンドチェックが終わり、オーディションが始まる時間になっても、一般のお客らしき人はいなかった)
 亜無亜危異の時のセットリストがうちのバンドのレパートリーすべてなので、同じ曲を同じ順番で演った。さすがに3回目ともなると緊張感は薄らぎ、下手くそながらも普通に練習通りの演奏ができていた。
 ところが最後のオリジナル曲、残り8章節でベースの一番太い4弦が切れてしまった。当然音は鳴らない。まだ別の弦で同じ音を弾くような芸当はできなかった。音が出ない切れた4弦を弾いて最後まで演りきった。
「ライヴの前に弦くらい替えれっちゃ!」
 終演後にショウイチが不機嫌そうに言った。
「お前が亜無亜危異の時に、ビールをかけるけん切れたんやろうが! ベースの弦は1セット3,000円もするとぞ。そんなんしょっちゅう替えられるわけないやん! ベース教室の月謝だってあるのに…。“援助するけん金は心配するな”とかオマエは言いよったけど、援助してくれたの最初だけやん」
と逆ギレした。ベース教室はお金が続かず、12月いっぱいで辞めることを鈴木先生には伝えている。
 それでもオーディションは合格だった。きっと新しいライヴハウスだから出演バンドがまだ少なくて大変だったのだろう。1月からライヴハウスに出演することが決まった。
 ベースの弦は4弦だけを張り直した。1本1,000円だった。

 ライヴハウスのオーディションがあった次の日、昼休みにバンドーのミーティングをした。
「やっぱり、みんなが知っとる曲を演らないけんばい!」
「3年生を送る会」は、ロックを聴かない人だっているので、みんなが知っている日本語の曲をやろうとセイジくんが言い出した。
「日本語の曲って、何を演るん?」
 ゲンちゃんが尋ねた。
「モッズを演ろうと思うんよ」
 ショウイチが代わりに答えた。
「モッズやったら、ピストルズやクラッシュよりみんなは知っとるやろうね…」
 6月に発売されたロンドン・レコーディングのアルバム「FIGHT OR FLIGHT」でデビューしたザ・モッズは大人気だった。10月にはセカンドアルバム「NEWS BEAT」も発売されて話題になっていたし、年明けに小倉のヤマハショップホールでライヴがあるので、4人で行くことにしていた。
 選曲は、土曜の深夜にFM番組で放送されたエイティーズ・ファクトリーのライヴテープを参考にした。
 まずはテープの順番通りに「オール・ウェイ・ザ・パンクス」「がまんするんだ」「うるさい!」のメドレーを演ることにした。ファーストアルバムから「崩れ落ちる前に」「ノー・リアクション」「ワン・モア・トライ」「トゥモロー・ネヴァー・カムズ」。
“みんなが知っている曲を演る”という前提でモッズを選んだのは正解なのだろうか? しかも、これから大学や社会に旅立つ「3年生を送る会」の選曲として、これらの曲はどうなんだろう?
 甚だ疑問ではあったが、選曲はセイジくんとショウイチに任せた。
 そして亜無亜危異のライヴは終わったものの、「3年生を送る会」や、次回のライヴハウスに向けて、週2ペースでの練習は続けることにした。

 3か月以上そんなペースでスタジオに通っていたので、練習に来る他のバンドともすっかり顔見知りになり、話をするようになっていた。
 北九州一番人気のハイヒールは毎日練習をしていたので、相変わらず扉の小さな窓からよく練習をのぞいていた。メンバー全員、スタイリッシュでカッコ良かった。他にも、ニュー・ドブや三四郎一家といった人気バンドもスタジオの常連で、シーナ&ザ・ロケッツやルースターズのエピソードを聞かせてもらった。
「オマエらさ、ルースターズが好きだったら、ローリング・ストーンズのファーストは絶対に聴かないけん!」
「サンハウスは知っとるね?」
「デュラン・デュランのファースト・アルバムがカッコいい!」
「“ヒート・ウェイヴ”とサンハウスの“もしも”のベースラインはここが違うんよ…」
 いろんなことを教わったり、カセットテープをもらったりした。
そんな話が楽しくて、時間があると練習がない日でも原チャリに乗って、スタジオに遊びに行くようになった。
 年の瀬が迫っていたある日、スタジオが空いている時間を見計らって遊びに行ったら、鈴木先生が自分のミュージックマン・スティングレイベースをスプレーで塗っている最中だった。
「どうしたんですか? ナチュラルのミュージックマンですよね?」
「スティングレイをハイヒールの冷牟田くんに売ることにしたんだけど、 “赤いベースしか弾かない”って彼が言うから、リフィニッシュしてるんだよ。ウッチー、自分のベース持っていなかったよね? 安くするように交渉ししてあげるから、冷牟田くんが弾いてるアリアプロのベース買ったらどう?」
 鈴木先生からアリアプロの赤いチューリップのようなベースを勧められた。
「これ音が良いんよ。本当は売りたくないんだけどね~」
 しばらくしてやって来た冷牟田さんも、そう言うのですっかりその気になり赤いベースを買うことにした。ミディアム・スケールでプレベより弾きやすく、音は確かに良かった。
 やっと自分のベースギターを手に入れた。


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