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小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.30

「キミたちは未成年だから、酒とかタバコは禁止だからね! 見つけたらソク出場停止! 分かった?」
 コンテスト当日、出演する14バンドを前に鈴木先生が予定や注意を説明している。他の13バンドを見回してみたところ、唯一ライヴハウスで見かけたことがある2年生のパンクバンドがいるくらいで、他にロックぽいヤツらはいない。
「これは楽勝かも…?」とほくそ笑んだ。
 チケットは西北女学院のグループやシライさんの部活仲間に頼んだところ、思いの外に売れてしまい、最初にもらった30枚では足らず、追加で20枚もらって計50枚を売りさばいた。これで1等賞がますます近づいたはずだ。
 パンクバンドに話しかけてみた。
「オマエらチケット売ったん?」
「ぜんぜん売っとらんです。別にノルマはないち、言いよったけん」
「そうね…」(コイツらは勝てんな…と確信した)
 ひと通り説明が終わってからリハーサル。うちのバンドはトリだったから1番最初に演奏した。やっぱり何かリズムのズレを感じる。シライさんも緊張のせいか、歌がバンドの音に乗れていない。
 早々に控室になっているスタジオのロビーに戻り、コンテストのスケジュールに合わせて予約していたDスタジオで練習を始めた。
 1時間、演奏する曲を5セット黙々と練習した。
 コンテストでゲスト演奏するバンドのメンバーとは顔見知りで、Dスタジオを出たところで鉢合わせした。
「リハを見たけど、今日は調子悪いやん! 前にお前が演りよったバンドはまあまあやったけど…」
「ちょっと練習不足で…。でも本番はピシャリと決めるつもりです!」
「そうね…。練習不足は言い訳にならんけん、しっかりがんばり!」
 やっぱりバレるんやな…と不安になったけど、後は本番しかない。
 ソワソワして、スタジオの隅で火柱をたててタバコを吸った。

 大会は着々と進行していた。
 出番を前にメンバー全員でメイクをした。シライさんはこの日のために衣装を買ったらしく、ボーイッシュな服にパット・ベネター風のメイクで気合が入っていた。
 そして出演の順番になった。
 ロックバンドだし…、最年長の3年生だし、トリだし…、気合いを入れたしかめっ面で、気だるそうにステージに上がり、セッティングをした。
 準備ができると客席をにらみつけた。
 シライさんがちょっと不安そうにこっちを見ていたので、小さくうなずいた。
 ダムドのララブ・ソングとマシンガンエチケットの2曲を合体させて1曲だと言い張っているオリジナル曲はベースから始める。
 バンド名が紹介され、「シライ先輩〜!」と女子の声援が聞こえた。間髪入れずベースを弾き始めた。ドラム、そしてギターが重なる。
(あっ! リズムがズレた。そして走っとる…)
 いきなりベースとドラムが合わなかった。でも間違ってしまっても、走ってしまっても、始まってしまえば最後まで演るしかない。
 次の曲はヘルタースケルター!
 シライさんが自分で歌いたいって言っただけあって、断然こっちの方が声質に合っている。
 演奏が終わり司会の女性に呼ばれ、質問された。
「曲は誰が作ったんですか?」
「曲はバンドを辞めた今は亡き元メンバーのセイジくんです。詩はボクが書きました」

「まず、ベスト・ミュージシャン賞の発表です」
 ゲストバンドのライヴが終わり、審査発表が始まった。
「セルロイド(※)のコータくんです!」
 コータがステージに駆け上がり、満面の笑みで表彰された。ベストミュージシャン賞を密かに狙っていたギターのツヨシは残念がっていたが、バンドにとっては幸先が良い。
(※書き忘れてましたが、セルロイドがうちのバンド名です。先輩バンドの曲名からつけました)
 次に3等賞…、どっかの学校の女の子バンド。
 2等賞はライヴ前に話しかけたパンクバンド。無邪気に喜んで表彰されていた。
 残すは1等賞。「来るぞ、来るぞ…」とメンバー全員で身構えた。
「最後に1等賞の発表です! エントリーナンバー………」
 呼ばれたのは別のバンドだった。

 各パートについて、審査の総評があった。
「…そもそもベースはバスドラに合わせて、リズム良く弾くとノリが…」
 うちのバンドのこと? ボク? それはポップスやろ? 俺らロックやし…、自分はサイドギターのつもりで弾きよるんやけど…と心の中で毒づきながら、鈴木先生の姿を探した。

「話が違うやないですか?」
 後片付けが終わって、戻ってきた鈴木先生に不貞腐れてそう言った。
「オマエら、愛想がないんだもん! 元気よく挨拶しなきゃ! どこの世界でも挨拶は大事だよ」
「でも50枚もチケットを売ったやないですか?」
「1等賞のバンドもたくさんチケットを売ってくれたんよね…。エンターテイメントは客を呼んでなんぼだからね…」
「そんな…」
「でも、お前ら次点だったんだよ…。もう少し愛想が良かったらな…」

 数十年後に実家で、「絶対勝手に開けるな! 本人以外開封厳禁!」とマジックで書いて封をしたダンボール箱を押し入れの奥から引っぱり出した。(たぶん母親の手で…)封を開けられた形跡があるその箱には、上京する前に捨てられなかったものを詰めていた。
 透明の下敷きに挟まれたトレーシー・ハイドの切り抜き写真や高校3年間の生徒手帳、女子の先輩からいただいた修学旅行のお土産、割れたピック、ライヴチケットの半券、当時集めていたマッチ箱なんかと共に、変色した「高校フォーク」のメダルが見つかった。参加賞のメダルをもらっていたことは、すっかり忘れていた。
 鈴木先生は、「賞を獲らせてやるとは言っていたけど、1等賞とは言ってなかったな…。参加賞はもらってたんや」と思った。
 当時の手帳に、この大会の感想が書かれていた。

『7月22日「高校フォーク・ジャンボリー」終了。
 これでBANDもいっときおさらば。
 あんいな考えでのぞんだし、練習もしてなかったけん、しょうがないか。
 でもコータが賞を獲ったし、次点やったてゆうし、まぁ良ろしいんじゃないですか。急造バンドやったら勝てんよね。』

 手帳によると、次の日は朝から3年9組のメンバーと海水浴に行っている。翌週にはライヴ…、そして呑み会…、花火…。受験生だよね?
 なんだか楽しそうだ…。


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