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小倉竪町ロックンロール・ハイスクール vol.25

 3年9組は受験科目が少ない私立文系を目指す生徒が主なクラスだ。2年間ずっと男子クラスだったので、3年9組は初めての男女混合クラスだった。
「これから楽しい健全な青春が始まる!」と少しだけ期待していたが、3年生ともなるとほとんどの生徒は受験を意識していて、浮かれた雰囲気は少数派だった。すっかり忘れていたが、自分の通っていた学校が進学校だったことを思い出せてくれた。
「バンドは終わった。勉強せな」と生徒手帳の1ページ目に書いたくせに、勉強をするモチベーションは全く上がらなかった。
 クラスや学年が違ってしまったし、バンドもなくなってしまったので、以前のように4人で集まることはなくなった。セイジくんとショウイチはとなりのクラスだったけど、話す機会は少なくなった。ゲンちゃんは2年生なのでフロアも違うのでほとんど顔を見かけなくなった。ショウイチ情報では、月曜日はほとんどさぼっているらしいので西北女学院の女子とデートでもしているのだろうか?
 セイジくんが加入したバンドのライヴ会場で会った大正女学館のゲンちゃんファン情報では、新しいバンドでがんばっているとのことだった。
 バンドを続けているセイジくんやゲンちゃんがうらやましかった。
 勉強する気は起きないし、目標もやりたいことも思い浮かばない。
 授業は内容が理解できないから退屈で、すぐに眠たくなった。しかも席が窓際だったので、春の陽射しがポカポカして気持ち良く熟睡できた。
「マコトくんはいっつも気持ちよさそうに眠とるよね…」
 すぐ後ろの席のキョウコちゃんは、そんなボクを見てあきれていた。授業中はそんな調子で、休み時間は友だちと無駄話をした。放課後は近所のレコード屋に行くか、原チャリでスタジオに遊びに行った。バンドの練習はなくなったけど、スタジオにはスタッフの方々以外にもバンドで知り合った人たちがいつも誰か来ていたので、遊んでもらっていた。
 スタジオでイヴェントがあるときはスタッフとして手伝ったし、お客が少ないイヴェントでは鈴木先生から動員で呼び出されることもあった。友だちや先輩バンドのライヴにもよく行った。

 そんなことをしていたらすぐに5月になってしまった。いつものようにスタジオへ遊びに行っていたが、その日は土曜日にもかかわらず午後4時過ぎのスタジオは閑散としていた。
「じゃあ、そろそろ帰ります」とボクも家路を急いだ。
 午後5時5分から、NHKのヤングミュージックショーで、クラッシュが2月1日に中野サンプラザで演ったライヴを放送される。テレビでライヴが放送されることが稀な時代、ビデオも普及していなかったので、北九州のバンド少年・少女は放送開始に向けてテレビの前にスタンバイし(はずです…)。
 その翌日は、友だちのバンドが出るライヴだった。
「昨日、観た?」
「観た! 観た! “将来のために生きてるわけじゃない 俺たちは今日を毎日生きている(ジョー・ストラマー)”って名言よね?」
「モッズの“今日すら見えないのに明日は来ない”みたいなもんやろうか?」
「あの“団結”と“神風”の鉢巻きはありなん?」
「どこで買ってきたんやろうね?」
「でも、何か下手クソやなかった?」
「トッパーのドラムはカッコ良かったやん」
「パールハーバーっち、誰なん?」
 昨日のクラッシュの番組をそのライヴ会場に来ていた演者も観客もみんな観ていてその話で盛り上がった。
 友だちのバンドのメンバーが、セイジくんとゲンちゃん(会ったのはひさしぶりだった)も来ていたので「ノイズも飛び入りで何曲か演らん?」と言ってくれた。ショウイチはいなかったので、そのバンドのヴォーカルのバックで、ひさしぶりに3曲を演った。
 観客には、うちのバンドのライヴに来てくれていた西北女学院のグループもいたので、喜んでもらえた。
 終わってから、ゲンちゃんのことが大好きなイズミちゃんのグループと話していたら、「ヴォーカルがショウイチさんじゃなくて良かった! これからもこのメンバーでやればいいのに」「そうよ! 今日良かったし!」…と口々にショウイチの悪口を言い出した。
 その話はゲンちゃんにも聞こえているはずなのに、ゲンちゃんはあえて会話に入って来ない…。
(ショウイチがイズミちゃんグループに何かやっちゃった?)
 鈴木先生がベース教室で教えてくれた話が頭をよぎる。
「だいたいさ、バンドはうまく行かなくなるときは異性がらみなんだよ…」


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