香山の36「カーネル・パニックⅩ」(54)

 少年期を過ごした家庭環境はなんでもないありふれたものだ。一般家庭だった。貧困も、離婚も、虐待も、ありはしなかった。テレビを傍目に夜を待てば、湯気を昇らせる白飯が運ばれてくる。家族の目は死んでいたが、それだって別に特に特筆すべきことだとは思わない。何も変哲はないのだ。毎日毎日、飽かずに輝いた目で会話を弾ます家族なんているのかい? 普通の家庭とは裏腹に俺は頻繁に問題を起こしたがね。
 あのときは五歳だったかな。あの日に空を覆う雲は、雨も降らさずだらだらと頭上にあって鬱陶しかった。俺は近所の公園の砂場で山を作って遊んでいた。山の土台が出来上がると、俺と同い年くらいの少女が父親に連れられてやってきた。幼児用のバケツとシャベルをぶら下げたその少女は、砂場から離れた場所でしゃがんだ父親と向き合って何かを話していた。
 父親はにこやかだった。少女はもじもじと何かを恥じているようだった。一貫して言葉は聞き取れなかったが、それまでに何度かこういった場面に遭遇したことがあった。お前もそういう風な親子はよく見るだろうから、容易に会話は想像がつくはずだ。だから次に何が起こるのかは思い描くことには苦労しない。それよりも俺が気になったのは、父親が煙草を吸うかどうかだった。
 背中を優しく叩かれた少女はこちらへ歩いてきて、よく回らぬ舌で提案した。
「一緒に遊ぼう」
 気づかぬうちに近づいてきた父親も、煙草をふかしながら加勢した。―俺はここで彼が煙草を吸うことを確認したんだ。
「いいかい? うちの子と遊んであげて」
 提案には無邪気を装ってうなずいたさ。そして少女と一緒に砂を盛りはじめた。俺は父親が気になって、彼の様子を見ていた。彼はベンチに煙草の箱とライターを置いて座り、こちらを眺めて煙草を吸っていた。俺は少し間を開けて遊びに耽り、再び彼を見た。ベンチの上に彼はいなかった。喫煙具を置き去りにして、こちらに背を向けて電話で話をしていた。奇貨居くべしと思った俺は、素早くベンチに駆け寄ってライターをふんだくった。そして悪意とともに少女に近づいて、美しくはにかんだ。経験を積んでいた俺はこの年齢の少女がどうすれば見咎めずに行く末を見守るかを心得ていたんだ。
「こうすると面白いよ」
 俺は少女のシャベルを借りて、ライターで火をおこした。そのままライターを柄に近づけた。少女の持っていたのは幼児用のシャベルだとはすでに言った通りだ。ああいったものは大抵プラスチックでできているのは周知であろう。それに持ったときの軽さで分かった。そして、プラスチックは加熱で溶けてしまうのだ。すぐに柄はひしゃげてしまい、元の形を失った。自分の所有物が台無しにされたと思った少女は大声で泣き出した。気づいた父親がこちらにたどり着く前に俺はすぐに逃げたよ。走りながら胸は収まりを知らぬように弾んでいた。俺は昂っていた。また一つ自分の能力の証明を終えたように思えた。
 俺は人を傷つけることを楽しんだ。……しかしこういったものは、行為障害の症状そのものだった。他人の所有物を火によって破壊することがね。
 反社会性パーソナリティ障害の一つの重要な診断基準として、アメリカ精神医学会の提唱したものはこうだ。「幼少時に行為障害であったこと」。文章を読むたびに押し寄せる記憶の波が俺を追い詰めていった。
 自分の目の前で人が苦しむ様が愉快でならなかった。規則違反、無責任、カリスマ性の演出、暴悪、無鉄砲、罪悪感への不能……それが自分の生きがいだと信仰していたのさ。それもこれも、世界で市松模様のように蠢く人間には自分のように罪悪感を知らぬ、一種の不能の能力なるもの(これは実にメタ的な表現だね)が宿っていないと感じ、優越感に浸れたからだ。その優越感が根拠を失って崩れ去るのは、当然ではないのかね? この病名が存在し、かつ研究対象とされているという真実は、自分のような人間が、ランダムに目の前に現れかねないという説を俺に与えたのだから……!

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