香山の23「ナナへの気持ち」(41)

「お疲れ、何か食べるかい」
「いいの」
「お前、あの店のラーメンが好きだったろう。俺も好きなんだ。あそこに行こうか」
「うん」
 息子はきっと、父親の傲慢に腹を立てる日々で感じる、ふとしたそんな優しさと自分の犯した過ちを同時に認識し、泣きながら告白したのかもしれない。いいや、人間はそんなに綺麗ではない。少年院や学校での立ち回りを怖れ、それとなくぼやかして告白したのかもしれない。少年にとっては、父親の愛情は、キリスト教のアガペーに似た存在である。父親が叱れば、それで許されたような感覚を得ることができる。
 さて、この先に彼らの身の上に降りかかる事態を、私は知っている。私が明に命じたのだが、彼は家族全員を殺害したのだ。ほかならぬ私の命令で。そのときの私は煙草を喫んで暗雲を晴らしていた。暗雲が自分をどんな気分にするかを知っていたくせに、それを無視したかった。
 これを想起して、今の私は立ちながら膝ががくがくと震えていた。お宮や明の体裁を気にしなければ、倒れこんでいるほどにまで震えていた。そして、これまでの悲しみや、やるせなさを抱えてまで体裁を気にする自分が嫌になってしまった。
 あのとき自分が奪った命に包み込まれた、重大な過去と未来をすべてこの世から消し去ってしまった。
 戻ることはできないのか、あの決断の日に。
 できない。
 お願い神様、と無信仰に生きているくせに懇願をしていた(この神は、必ずしも作者である柴田隼人を意味しない)。何度も神を裏切り、それでいて恩恵を受けるつもりかい?
 人生のどこかで私は人の道を踏み外したのだ。
 ふっ、と肺の空気を抜いて、心の中にある黒色の空間を見つめた。親しみのある空間だった。目を通じて染み入る不安で胸が冷たく感じるのも、それはそれで抱きしめたくなるぐらいに愛しい感覚だった。
 行動に責任のない人間を、責任の無い方法で殺してしまった。自分もあのとき死ねばよかったのに、と心に何度も殴り書きした。姑息にも証拠を残さなかったばかりに、自分は逮捕されずにのうのうと生きている。ああ、生を得ている。自分が幸福になる権利などあるはずがない。

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