香山の26「ファニーゲーム U.S.A」(44)

 私は明を、彼の家の近くだという姪浜駅まで送っていくことにした。ロイヤルホストを過ぎて、あと少しで駅に着く、というところで私は、明に胸の内を明かした。
「きいてくれないか」
「みすみすお宮を逃がしておいて、どうした」
「……罪悪感で弾けそうに苦しい」
「そりゃ俺とは縁のない感情だね。どうも生来罪悪感を知らない人間らしいんだ、俺は」
 そう言われて返す言葉のなくなった私は、彼と自分の相違を思い出した。彼と私とで、この感情を共有することができないのだ。私達二人の世界は平行線どころか、全くえにしの無い別の次元に存在する。それはまるで、母国語を日本語としない、文化的な背景を異とする者に向かって、「趣深い」の意味を説明するようなものだ。叶いそうであっても、叶わない。
 私はむなしくなり、話題転換を図るべく、口ぶりに勢いをつけて場を押し切ろうとした。
「こんな感情は、特にこの仕事だと、誰かに相談できるものではないんだ。今回のようなことだって、この仕事を続ければまた出くわす。きりがない」
「お宮じゃないが、お前のようなタイプは珍しいな。むしろよくここまでやってこれたもんだ。そんな感情は生まれてこの方持っていたものではないのかい」
「多分違う」私は呼吸をして、慎重に言葉を選んだ。自分の抱える違和感の黒幕を知らねばならない。「お前は自由を信じるか」
「藪から棒に。信じちゃいないさ」
「どうして」
「じゃあお前さんは今、自由なのかい。俺の目に映るお前は、そんな感情に縛られ、大変生きるのが苦しそうだ。自由とは対極の状態にあるじゃないか」
 私はそれとなく、自身の考えを口にした。
「たとえば、レールを奪われた電車はどうなると思う」
「脱線どころではないな」
「きっと今までレールの上を走っていた以上、多少のあいだはまっすぐ進めるが、それでもいつかバランスを失って、横転するか、街を破壊するかだと思わないか」
「ふむ。想像に難くはないね、たしかにそうだろうね。だがそれで一体何を言おうとしているんだい」
「俺達はきっと、レールを奪われた列車なんだ」
「誰がレールを敷いて、誰が奪ったのかしら」
「神が敷いて、俺達が奪ったのではないかね」
「いや待て、レールは何のメタファーだ」
「神が個々に与えた性格、……そうだな、キャラクターといえばいいのかもしれないね」
「するとこうかい? 神の言うことに服従すれば、それで自由なのかい? 神を信じる立場から考えるのなら、それは正しいことかもしれんがね。だがね、あくまでも神を信仰する人間にとっては、だよ。お前さん、何かしらの宗教はあるのかい。加えて、あるとすれば、それは殺人を良しとする宗教なんだろうね」
「それは特にないが……だが、神を信じてはいる。この世界は特定の存在によって創造されたんだ。その神は、創造だけにはとどまらず、その絶対的支配で個人を意のままに操り、世界をどう進めようかも考えていた。世界を作る神がいなければ、自由が手に入るとも思う。その神が死んで、自由が手に入った。しかし、その代償は大層に大きかった。俺はあれ以降、自由意志に基づいて行動してきたつもりだ。しかし、神のレールを失った今、俺には……」
「おかしな話だ。それではフィクションとノンフィクションの議論のようじゃないか。フィクションの世界の人間が、急にノンフィクションの世界に迷い込んだような」
 私は、神の存在を信じている。今は亡き、創造主の存在を。
 やがて車が姪浜駅に着いた。ロータリーに入って、彼を降ろそうとした。ここから事件がはじまった。仰げばこれは、私達にとって大地を破壊するほどの事件だった。

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