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白いご飯をおいしく食べられなくなるのはどうしてなのか(牛丼より白ご飯のほうが好きな人には吉野家の味はきつすぎた)

(こちらの記事の続きとなります)

小学生の頃から、高校が終わるまで、実家を出るまでずっとそうだったと思うけれど、俺は昼飯の時間にあまりお腹が空いていなかった。

俺の母親は栄養短大だったし、自分は食べないくせに、朝飯はとにかく何か食べたほうがいいものだと思っていたのだと思う。

けれど、俺はいつも朝にまったくお腹が空いていなかった。

共稼ぎだったから少し夕飯が遅かったというのもあったけれど、単純に三食食べる生活をするには夕食を食べ過ぎだったのだろう。

朝飯の食パンを美味しいと感じなかったのだって、お腹が空いていなかったからというのが大きかったのだろう。

そして、美味しくないなと思いながら、空いていないお腹にスーパーの食パンを押し込んで、そのせいで給食の時間になってもお腹が空いていなくて、給食のコッペパンをまた美味しくないなと思いながら食べることになっていたのだ。

俺の実家では朝に米を食べなかったけれど、朝が米のご飯の家だったなら、毎日お腹が空いていない状態でご飯を食べて、米にあまり味を感じられなくて、飽きたなと思いながら、ふりかけをかけたりして口の中に押し込むようにして、米はいつでも美味しいものだという感覚の子供にはならなかったのかもしれない。

むしろ、俺が米は美味しいと思ってきたのはその逆の現象として思っていたことだったのかもしれない。

俺は子供の頃から、間食の習慣がなかったし、そのうえで共稼ぎで遅めの夕食だったから、晩御飯はいつもちゃんとお腹が空いていた。

そして、スパゲティも、焼きそばも、そうめんも、昼飯でしか食べなくて、お好み焼きでもご飯は食べるから、晩御飯はほとんどいつでも米だったのだ。

そんなふうに、毎日万全な態勢で米を食べられるようになっていたうえで、俺と弟の食べる量が増えるまでは、米屋に配達してもらう新潟かどこかのコシヒカリとかを食べさせてもらって、そのあとも、安すぎる米は買わずに、充分に美味しいくらいのお米をスーパーで選んで食べさせてもらっていたのだ。

俺が米を食べるのが好きで、米を食べることが中心にあるような食事を基本だと思って、弁当にカップラーメンをつけることはあっても、カップラーメンで一食というのはしっくりこなくて、ノスタルジー消費でしかラーメン屋にも行かないし、仕事帰りの夜遅くでも、軽いものにしておきたいから立ち食いそばにしていただけで、食べても大丈夫そうなお腹の具合ならいつでも松屋で牛めしを食べようとする人間になっていった源流はそんなところにあるんだろうなと思う。

自炊していると、ちょうど米がなくて炊くのも面倒なときに、素麺とかパスタを茹でて食べることはちょくちょくあるけれど、オフィス勤めで昼飯にでるときには、ほとんど米を食べられる店で食べてきた。

例外は体がだるくて、食べないと体が冷えてくるから食べたほうがよさそうだけれど、まともに食べるとだるくなりそうなときで、そういうときは、立ち食いそばとかそれに類するような店に行って、具を足すにしてもわかめを足すくらいで軽く食べることはちょくちょくあった。

けれど、そうでもなければ、とにかくご飯が食べられる店に行っていた。

同僚に誘われるから、たまに昼飯でラーメン屋やうどん屋に付き合うこともあったけれど、インドカレーでナンとかチャパティとか、中華料理で刀削麺とかを除くと、ひとりでぶらぶら入る店を探していて、ごはんじゃない店に入ってみるなんて、年に一度か二度くらいだったのだろう。

それくらいに、俺はいつでもお米が食べたかったのだし、ご飯が美味しく食べられる店で食べたいといつでも思ってきたのだ。

子供の頃は、家でも給食でもパンを出されていて、親が週休二日になるまでは土曜日はよくインスタント麺を食べていたし、お好み焼きや焼きそばを食べることも多かった。

けれど、振り返ってみても、そういうものをお米より好きだと思っていたことなんてなかったんだろうなと思う。

一時期とてもピザが好きだったりはしたけれど、ピザはほとんどソースとチーズとか乗っかっているものの味で食べているものだし、ピザの生地を主食的に味わっているわけではないのだろう。

ソースもチーズもついてないピザの耳も、もったいないからといつでも食べていたけれど、美味しいと思って食べていなかったし、耳を続けて食べていると、喉につっかえてくるというか、だんだん体が食べるのを拒否してくる感じはあったように思うし、宅配ピザとか、スーパーで売っているピザとか、ピザ生地にしても、自分の中ではスーパーの食パンと同じような感じだったのだろう。

俺にとっては、日常的に食べているものでは、お米だけがいくら食べていても美味しいものだったのだろうし、お米を食べられるのならそれに越したことがないという感じ方は、子供の頃からじりじりとより強固なものになっていって、今では、日々の食事の九割以上で米を食べている感じになっている。

そうなっていく過程として、俺は延々と中華料理屋で昼飯を食べてきたのだし、安いのにご飯が美味しかった松屋を特別ありがたい店として、ファストフード店の中で特別な店に思い続けてきたのだ。

(といっても、松屋では、牛丼45、カレー3、うまトマとか麻婆豆腐とかその他2、というくらいの比率でしか食事してこなかったのだろうし、完全に牛丼屋として利用していた感じだったけれど)

最近まで、松屋というのは、美味しいご飯が食べたくて食べに行って、いつも満足させてくれる手軽な店として、ずっととてもありがたい存在でいてくれた。

そして、それと並行して、数年に一度食べるたびに、やっぱりなんだかぐずぐずした米だなと、美味しくなかった小学校の給食の米を思い出しながら、ずっと吉野家になんだかなと思い続けてきたのだろう。

けっこう美味しい店でも、タイミングの問題で、炊いてから保温している時間が長くなって、乾いてきているし、匂いも悪くなってきているところに当たったりすることはあったし、そういうときは運が悪かったなと思って、ピークタイムに来たらもっと美味しいんだろうなとか、そういうことを考えてやり過ごしている。(そんなことで腹を立てたりはしない)

吉野家の場合、炊いてからの保存状態で米が悪くなっていることもめったにないし、そんなにはっきりと美味しくないわけではないのだ。

本当に、俺にとっては、米がいまいちだからと、なんとなく行くのを躊躇してしまう、その境界線のぎりぎりのところにあるのが、吉野家の米という感じなのだろうなと思う。

吉野家だってより美味しい米を出せるように、いい米を探して、いいブレンドの仕方を探して、炊き方や水分量も最適なものになるように、ずっと試行錯誤しているのだろう。

てんやにしてもそうだけれど、丼ものという、米を食べる料理に特化した店の米がどうしていまいちだったりしてしまうのかなとは思うけれど、そうやってできるかぎり美味しく出そうとしていてそうなっているのだから、それは単純に、米自体があまり美味しくないものを使っているからなのだろう。

そして、だからこそ、なんだかなと思っているのもあるのだと思う。

日本の米は美味しいというのは、ある意味ではデタラメで、俺は美味しい米を食べてきたし、今でも美味しそうな米を選んで美味しく食べて入るけれど、西日本で米の収穫量が一位の兵庫県の中心である神戸市の学校給食ということでは、安い給食費で出してあげる米だからといって、子供に食べさせる米ですら、そんなにも美味しくない米を出していたのだし、日本でも指折りの米を調理して食べさせている会社である吉野家は、昔からずっと、なんともいまいちな米を出し続けているのだし、それはすき家とかてんやだってそうだし、そこにこれから吉野家に近付いていくのだろう松屋も加わっていくのかもしれないのだ。

もしかすると、俺は生まれてからずっと米の消費量が上がりつづけているのかもしれない。

小さい頃から朝はパンで、小学生でさらにパン食が増えて、一番食べ盛りの頃も朝食はパンで、大学の頃も、社会人になってからも、朝はパンを食べることが多かったし、自炊を始めてからは、スパゲティを食べることも多かったし、外食するにも、若い頃ほど、ピザを食べたり、インドカレー屋でナンを食べたりしていたけれど、西洋料理を食べる頻度は下がったし、インド料理も南インドとか米で食べられる店ばかり行くようになった。

一応関西人で、それなりに実家ではお好み焼きを食べたし、たこ焼き器も家にあったけれど、この十年はお好み焼き粉以前に小麦粉すら買ったことがない。

本当に、どんどんと米ばかり食べるようになってきたんだなと思う。

けれど、俺のこの四十数年はそうでも、国全体としては、米の一人あたりの消費量は、1962年をピークに下がり続けているのだ。

みんな、本当にスーパーの安い食パンなんて美味しいと思っているんだろうか。

安いそうめんとか、安いパスタをそんなに美味しいと思って食べているんだろうか。

安すぎない米を買えば、そして、米を味わいながら食べ進められるくらいの味付けのおかずを用意すれば、米は本当に美味しいのになと思う。

単純に、ほとんどの人は、味がきついものばかり食べ過ぎなのだ。

そのせいで、米でもパンでも、主食の美味しさが口の中にじんわりと広がってくるのを楽しむことが中心軸になったような食事の時間を過ごせなくなっているのだろう。

俺の場合、味がきつくないからこそ米を食べることがより心地よくなるというのを教えてもらったのは中華料理屋だった。

(二十代で成都の四谷三丁目店に教えられ、三十代で美林華飯店で教えられた感じだったけれど、美林華飯店についてここで書いた)

そして、そういう味わいが心地よかったりする自分が、子供の頃からなんとなくずっともやもやしていたことがどういうことだったのかを教えてくれて、自炊でそういう美味しさを満喫するためにはどんな考えで料理すればいいのかというのを教えてもらったのが弓田亨さんの本だった。

俺はそうやって、自分がしっくりくる食べ物というのはどういうものなのかを知っていって、自分でも自分がしっくり食べていられるものを作れるようになっていったけれど、それは俺が育った家庭がそうだったところに戻っていけたとか、そういうことではなかった。

母親の料理は美味しかったし、家の米は美味しかったし、外食の機会も多くて、だから俺は食べるのが好きな人間になっていけたけれど、俺が今自炊しているものは、俺が実家で暮らしていたときに食べていたものとはかなり対称的だったりする。

味噌汁と酢の物がない家だったけれど、俺の自炊は味噌汁と酢の物は基本の作り置きだし、母親はいりこが嫌いだったけれど、俺はいりこだしが基本になっている。

具だくさんみそ汁と、野菜と肉の鰹節醤油炒めと、酢の物あたりを作り置きしているけれど、味がきつくなくて、何を食べているかちゃんとわかる感じになっていれば、続いても不思議に飽きない

実家ではしっかりした味付けのものを美味しくがっつかせてもらったけれど、それでも、煮物が甘すぎるとか、スーパーとかデパートの惣菜は味がきついしあんまり美味しくないとか、そういうことは小学生の中学年くらいの頃には思っていた。

朝食のスーパーの安い食パンだけではなく、おかずとして出してもらっていた、ポークビッツとかのソーセージやベーコンとかにも、中学生くらいからは、ちょっと味がきつくて、口に味が残るなと感じたりもしていた。

スーパーの安いハムなんかも、おかずとしてそれによってパンを食べられはするけれど、ハム自体としては美味しくないんだよなと思っていたように思う。

母親の料理を美味しいと思って、食べるのが好きな人間に育っていったからって、ずっとそんなことを感じていたのだ。

もともとそんなだったから、子供の頃に吉野家を食べて、美味しいと思ってがっついてはいても、味のきつさに違和感を覚えて、普段食べているものとは何か違うように感じたのだろうし、美味しかったからといって、また食べたいと思い続けたわけではなかったのだろう。

まだ自分がどういう食べ物が好きなのかもわかっていない頃ですら、初めて食べたときから吉野家は味がきつすぎると感じたのだし、本当に、吉野家というのは、俺の米を美味しく食べたいという欲求にぴったり来ない店だったのだ。

あれだけ味が強いから、味わって食べたとしても、米は牛丼味になった米としてしか味わうことになって、米自体を味わう状態にはならないから、あれくらいの米でいいということになるのだろう。

松屋が味が薄かったり弱かったりするわけではないのだろうけれど、松屋は定食の比重も大きくて、おかずで丼飯を美味しく食べる店として、丼飯自体が美味しくなくてはいけないというのがあるのだろう。

そして、そうやって丼飯自体が美味しいから、米自体が美味しいことを前提にしたバランスで牛丼のつゆを作れることになって、多少甘みが勝ちつつも、吉野家より食べ疲れにくい、きつくないことでご飯の美味しさに浸っていることもできる牛丼になって、俺はそれが好きだったのだ。

久しぶりに食べた松屋が、米もいまいちだったし、つゆも吉野家に寄せられているように感じたけれど、あれはそのときたまたまそんなふうに感じたのか、それともやっぱり松屋もいろいろ変わっていきつつあるのか、またそのうちに確かめに行かないとなと思う。


(終わり)


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